搖れる

大川澂雄

第一篇

 卸したばかりの半纏の両袖に腕を深く突つ込んで、榊原純は物思ひに耽つてゐた。外は凄まじい寒さである。特に日が落ちかけて空に黄昏の色が雲の隙間から覗く頃合ひには、寒さがより過酷になる。體の芯まで冷へが傳はり、動くことすらままならない。

 そんな時、決まつて純は部屋に引き籠り、レコードをかけて椅子に座つて聴く。今日の一枚を選ぶと、其の日はずつと其れを聴ひてゐる。時には同じ曲を何度も聴くことになるが、其れでも聴く。然し一枚のレコードを深く分析する爲ではない。ただ、レコードを變へるのが億劫なだけだ。

 さうやつてただ時間が過ぎるのを待つて、眠くなつたら寢る。ごくたまに、繪を描ひたりもした。

 今日は何を聴かうか。純はビートルズの「ラバーソウル」を棚から取り出し、針を落とした。ビートルズはモノラル盤を収集したいと思ひ、最近やつと買つた。聴き慣れたステレオ盤とは少し違つたミキシングがされてゐる。

 ひと息つひて、再び物思ひに耽る。此處はなんて狭い部屋だらう。

 純は大學の寮に住んでゐる。五畳一間の此の部屋は人が住むには狭過ぎる。収納スペースも無いのでカラーボックスを何段も積み上げるしかなく、餘計に狭くなる始末である。

 嗚呼、僕は何て不幸なんだらう。と純は思つた。大學の寮になんか住みたくはなかつたが、家の貧困が強引にさうさせたのだ。此の狭い船室の如き部屋は、純の精神を常に壓迫し續けてゐる。心が病むのも大體は此の部屋の所爲だ、と純は感じてゐる。然し、此の寒さでは外に出る譯にもゆかない。

 仕方がないので、純はギターを手に取り、何氣なく彈き始めた。適當なフレーズから、曲を作らうかとも思つたが、退窟だ。今日は駄目だ。

 携蔕を無意味に弄ることも夛い。殆ど時間の無駄であることも承知である。Twitterには純の知人の投稿が流れてくる。が、大した意味も無い投稿ばかりだ。

 某所へゆき遊んだとか、美味な料理を食べたとか、他人には關係の無い事を敢へて公開することで自分の生活が如何に充實したものかを他人に誇示するしてゐる人が夛い(といふよりも、Twitterは其れが目的であり至つて普通である)。さうすることで、其の内容はたとえ理解出來ないとしても、他者は其の人に「生活が充實し、滿たされてゐる」「健康的で爽やかな若者」といふ像を見るのである。

 純も同樣にさういふことを狙つて投稿するが、他者からの反應は少ないのが普通である。僕の投稿内容は高尚過ぎるかもしれない。と分かつてはゐるが、むしろさうするべきだとも思つてゐる。莫迦なことを云つてゐれば周圍は面白がるだらう。然し自分が周圍に媚びて好かれやうとは思はない。

 知人の投稿を見てゐたら段々と不愉快な氣分になつてきた。ずつと引き籠つてゐると、心が腐つてゆくのだらう。

 すると突然、携帶が鳴つた。同期の典子からで、明日の飲みの誘ひであつた。「明日の夜八時から、場所は…」といふやうな内容である。

 純は明日のことを彼是と考へ始めた…。

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