第5話

※※※




 ——その日の夕方。

 赤く腫れ上がった頬をさする俺は、裏庭で一人、悔しさに涙を流した。靴を無くしたと謝罪した俺に向かって、酔った父親が怒って殴ったのだ。

 


(俺のせいじゃ、ないのに……っ)



 やりきれない悔しさから、側にあった大きな石を掴むとジッと見つめる。



(これを、思いっきり投げたら……。少しは、悔しさも晴れるかな……)



「ニャア……」



 いつの間に来たのか、俺の目の前で小さな鳴き声を上げた黒猫。痩せ細ったその身体から察するに、きっと野良猫なのだろう。首輪もしていない。

 放心した頭で、そんな事を考えていると——。


 気付けば、右手に持った石を何度も大きく振り上げていた俺。右手に伝わる、鈍い衝撃。

 その何度目かの衝撃で、ハッと我に返った俺は、足元に横たわる黒猫に視線を落とした。



 ——!!!



 ピクピクと手足を痙攣させながら、顔面から大量の血を流し続ける猫。その姿は、もはや原形すらとどめていない。



「っ……ごめんっ。……ごめん、なさい……っ」



 涙を流して謝りながら、震える手でそっと猫に触れてみる。その指先から伝わる体温はとても温かく——けれど、鼓動を感じる事はできなかった。



(……っ。どう、しよう……っ。どうしよう……っ)



 自分のしでかした事態に恐怖すると、ガタガタと震え始めた身体でそっと猫を抱える。



(っ……か、隠さなきゃ……。でも……どこに……? ……あっ!)



 井戸の中で消えた靴のことを思い出すと、そのまま猫を抱えて歩き始める。



(……もしかしたら——)



 そんな思いを胸に井戸の前までやってくると、コクリと小さく息を飲む。

 俺は抱えていた猫を持ち上げると、ギュッと固く瞼を閉じ、そのまま井戸の上でパッと手を離した。


 閉ざされた視界の中で、恐怖に震えながらも聞こえてくるはずの音にだけ集中する。

 けれど、いつまで経っても聞こえてこないその音に、俺はゆっくりと閉じていた瞼を開くと、恐る恐る井戸の中を覗いてみた。



「……猫が……いな、い」



 確かに井戸の中へと投げ捨てたはずの猫の死体。

 それは、やはり先程の靴と同様に、井戸の中で忽然こつぜんと姿を消したのだった。


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