第29話 有明の月 ~涼&綾乃~

私が友人と聞いて、まず思い浮かぶのは彼女だ。彼女とは中学、高校と学校が同じで、ちょっとした事から知り合う事となった。私の方が年上なので、学年も違い、彼女と関わる事もそれほど多くなかったのだが、結果的に今も友人関係は続いている。


そんな彼女は、時折ふらりと私の元へ遊びに来る。暇だったり、悩み事があったり、一人になりたかったり…理由は様々で、私と話したり、動物と触れあったり好き勝手に満喫した後、帰っていく。お互い何も言わなくても、それで上手くいっている私達の関係は決して途切れることのなく続いていた。


そんなある日、随分会うことのなかった彼女から電話があった。普段遊びに来る時も連絡すらしない彼女からの電話に、さっと血の気が引く。

(何か、あったのかしら…)


スマホを持つ手が震えながらも、耳に当てる。


「もしもし」

「もしもし、涼?

今から遊びに来て良い?」


「はぁ!?」

「今、滝の公園にいるの。もう少ししたら、そっちに来るから」

「ちょっと、ちょっと待って!!何!?突然」


あっけらかんと一方的に話す彼女に、慌てて問いただすと、彼女の口調が、真剣になった。


「涼、会って欲しい人がいるんだ」

「…!?あんた…」

「涼の家で待ってるね」


一方的に電話を切られて、呆然とした。


彼女はあの約束を覚えていたのか…一度だけ彼女と交わした遠い昔の約束を―


とりあえず、仕事を区切りの良いところで終わらせるため、急いで作業を進める。


愛用のバイクに乗って家路に急ぐ。敷地前には、彼女の乗ってきた車が停めてあった。車の傍に人影はいなかったので、庭にいるようだ。どきどきしながらバイクを進めると、家の前にいる猫の傍に彼女の姿を見つけた。そして、もう一人…


「!?」


フルフェイスのヘルメットのお陰で驚く顔を見せずに済んだが、私は今までの人生で一番驚いた。彼女の傍にいたのは、綺麗な女性だった。


「マジか…」


ヘルメットの中で呟いて、女性の後ろに立つ彼女を見ると、照れくさそうに笑っていた。彼女がそんな顔で笑うのを、私は初めて見た。訊ねたい言葉を飲み込んで、とりあえず女性に挨拶をする。


「こんにちは」


女性は彼女から何も聞いていないらしく、にこりと笑い返して挨拶した。私と同じくらいもしくは年上だろうか、笑うと、ぐっと雰囲気が変わる綺麗な人だった。


「久しぶり、お邪魔してまーす」


相変わらずの彼女に睨み付けるが、その笑顔に毒気を抜かれ、彼女の表情を見て確信した。彼女は私に、本気でこの女性を紹介したかったのだと。


立木さんは、口数は少ないものの、話してみると良く物事を見ている人で、私には話しやすい女性だった。特に仕事に関しては、初めて見たり体験したらしく、様々な質問が出て、つい私も熱が入って話し込んだ。

ふと見ると、綾乃が面白くなさそうな顔をしている。

(まさか、妬いているんじゃないよね…?)


ここまで、あからさまに感情を出す綾乃は珍しい。私はその時、綾乃にそんな顔をさせる立木さんに、興味を持った。


仕事が忙しくて、それから二人に会うことなく、毎日が過ぎていく。

そんな私が綾乃の事を思い出したのは、彼女からのメッセージだった。


"ごめん、約束守れないかも"


たったその一文だけが、彼女の全てを語っていた。私達にとって、約束を守る事はとても大切な意味があった。急いで電話をかけたが、綾乃は電話に出なかった。


何度掛けても通じない電話に苛立ち、私は彼女の元を訪ねることにした。何度か訪れた事のある街の大通りを歩いていく。私の住んでいる場所と違い、人や車の多さに慣れないまま進むと、見覚えある女性を見かけた。

連絡無しで押しかけるつもりだったので、綾乃と会えるか分からなかったが、同時期に、思い詰めたように見える彼女の表情の原因は、きっと私の友人に関係しているに違いない。そう思って、私は迷わず彼女に声をかけた。


「立木さん」


立木さんをお茶に誘って、彼女に話題を振ってみた。最初は躊躇っていたものの、私が彼女達の関係を口にすると、相談相手が欲しかったのだろう、ぽつぽつと事情を打ち明けてくれた。

立木さんの話は、私が想像した以上に複雑で重かった。そして、私には綾乃の気持ちが痛い位理解出来た。


(綾乃…)


いつもふざけてばかりの彼女が、本当は酷く繊細で、傷付きやすく、寂しがりやで、そして優しい事を私は知っている。そんな彼女は、本当の自分を分かってくれる立木さんに出会ったのだ。


「一つだけ聞いて良い?

立木さんは、綾乃とこれからずっと一緒にいたいと思っているの?」


「ええ。私は、彼女とずっと一緒にいたい」


私の問いかけに、立木さんは真っ直ぐ私を見て、即答した。

その瞬間、立木さんもまた、綾乃を本気で想ってくれている事が分かった。


彼女は綾乃の心変わりを心配していたが、私は、その返事だけで、もう十分だった。立木さんを安心させるように励ますものの、彼女の表情はいまいち浮かない。私は、そんな彼女を手招きして耳許で囁いた。


「私と綾乃はね、約束していたんだ。

"もし、一生共に過ごしたい人が出来たら、お互いに紹介しよう"って」


自分より立木さんの気持ちを優先させるであろう綾乃に向き合う、立木さんの背中を後押してくれる、とっておきの言葉。

赤い顔の彼女の反応を見て、きちんと意味が伝わった事に安心する。

綾乃はきっと怒るだろうが、あの子に悲しい顔は似合わない。たまにはこんなサプライズも良いだろう。


夏樹さんと別れて、歩きながら考える。思いがけなくも関わってしまった彼女達の為に、私に出来る事はないだろうか?

彼女達は上手くいくという確信はあったが、私の中で'絶対'という言葉は存在しない。


「涼さん!」


後ろを振り返ると、夏樹さんが息を切らして走ってくるところだった。立ち止まり彼女を待つと、肩で息をしながら、思いきった様に私を見る。


「あのっ、どうしても、頼みたい事があるんです」

「何?」

「…涼さんの家の近くの、オブジェがある海岸が分かりますか?」


訊ねられて思い付くのは、少し前までオブジェが並んでいた海岸だ。


「分かるけど…もうオブジェは撤去されているよ」


「ううん、私、綾乃ちゃんと約束したんです。

もう一度、あの場所で一緒に海を見よう、って」

「…!」


私の中に、昔の綾乃の姿が思い浮かぶ。彼女は、良くあの海岸で海を眺めていた。嬉しい時、悲しい時、ずっと一人で…


私は、そんな綾乃の後ろ姿を見ながら、隣に彼女と並んでくれる人をいつも願っていた。

(綾乃は見つけたんだね…一緒に並んで、あの光景を見てくれる人を)


にこりと笑い、彼女を見る。私には出来なかったけど、この人なら、きっと綾乃を任せられる。


「分かった。必ず連れてくるから、後は頼んだわよ。夏樹さん」

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