第28話 有明の月 ~夏樹&春香~

暖かい風が強く吹き抜けて、思わず目を閉じた。気温が上がり、冬が終わったことを体感する。


あれからどのくらい経ったのだろう。綾乃ちゃんと出会ってから、私の人生は大きく変わった。遠い昔の様に思えるが、まだ一年も経ってはいない。

しばらく前から、私は再び仕事を探し始めた。ただ、今までとは違って自分の為の仕事を見つけたかった。私は、涼さんの仕事に対する姿勢に感銘を受けていた。彼女は、好きな事を仕事に出来る人で、その為にはどんな苦労も厭わない。私もそんな生き方をしてみたくて、色々模索していたが、現実は難しかった。

そもそも、今までの目標が会社への復讐で、その為に頑張ってきたようなものなので、'やりたい事'が見つからないのだ。職を失って自由な時間をもて余していた事もあり、外に出て探索する日々が続いていた。


久しぶりに書店に足を運んだ。最近通っている図書館に置いてあるシリーズ本の最新刊がどうしても気になって、覗きに来たのだ。綾乃ちゃんと過ごすようになって、本を読む時間がめっきり減った。彼女は本を殆ど読まないので、私が読んでいると大体別の事をしている。それでも構わないのだが、結局、私が集中出来ずに彼女に声を掛けてしまうのだ。一人で過ごす時間が嫌ではなかったのだが、今はなるべく一緒にいたかった。


置かれた本の表紙が、随分変わってしまった文庫コーナーを歩いていると、綾乃ちゃんと初めて会ったあの時を思い出す。


「こんにちは」

「えっ!?」


まるで時間が巻き戻ったかのような感覚を覚えて、声の方に振り向くと、女性が微笑んだ。


「夏樹さん、ですよね?」

「はい…あなたは?」

「私、綾乃の友人で桜井春香です。

いつも綾乃がお世話になっています」


控えめな印象を受ける女性の、綾乃ちゃんの保護者の様な挨拶に思わず笑ってしまった。


「立木夏樹です。

こちらこそ綾乃ちゃんにいつもお世話になっています」

「あの子と付き合うのは、大変じゃないですか?」

「えっ!?…そんな事ないですよ?綾乃ちゃん凄く優しいし…」

「ふふ、多分、それって夏樹さん限定ですよ」

「そうなんですか?」


綾乃ちゃんから色々聞いているのだろう、彼女は親しみを込めて話しかけてくる。戸惑いながらも、彼女と綾乃ちゃんの仲の良さがみえる。桜井さんを見ていると、どこかで見かけた記憶が甦る。確か…


「桜井さん、もしかして、お正月に会いました?」

「ええ、綾乃とここに映画を借りに来たときに」

「そっか、見覚えあると思ったんです」


「夏樹さんは本が好きなんですか?」

「ええ」

「お勧めってあります?」

「今読んでいるのが、これなんですけど…」

「これ、面白いですよね。私も読みました」

「本当ですか?」


桜井さんはかなりの読書家らしく、様々な本や話題について二人で盛り上がった。ふと、話が途切れた時、桜井さんが微笑んだ。


「夏樹さんが良い人で良かったです」

「えっ?どういう意味ですか?」

「綾乃の恋人が、年上で、しかも同性って聞いて心配していたんです」

「!…そうですよね」


桜井さんの言葉が、胸に刺さる。自分でも同性と恋愛するなんて思ってもみなかった。だけど、綾乃ちゃんでなければ、私はきっと、これ程好きになることはなかっただろう。


「綾乃が優しいって言ってましたけど、そんな事ないですよ」

「優しいですよ、綾乃ちゃん」

「あの子、見た目は幼く見えるけど、結構厳しいですよ。元彼の時も色々あってショックを受けていたみたいだけど、淡々としていたし…」

「…」


桜井さんは穏やかな口調で、私の知らない綾乃ちゃんを教えてくれる。普段とは違う彼女の一面を見せられて、私の心がざわめく。

桜井さんは、何を言いたいのだろう?


「だけど…あなたに会って、綾乃は変わりました。

ずっと、一途にあなただけを見つめていた。

…綾乃は料理が本当に苦手だったって、知っていますか?」

「ええ…聞いたことがあります」


「あなたに食べてもらいたいからって、毎日少しずつ練習していたんですよ。最初は酷かったです。怪我も火傷も毎日でした。それでもあの子はひたすら練習していました。初めて一人でお弁当を作った時、私は感動すらしましたよ」

「…」

「毎日、悩んで、苦しんで、泣いていました。多分、あなたの前ではそんな様子は見せなかったと思います。

だけど、あの子も完璧じゃない、ただの女の子です」


「あなたが、色々と事情があったのは聞いています。だけど、あなたと同じくらい綾乃が悩んでいたことを知っていて欲しいんです」


私は何も言えなかった。きっと桜井さんの言っている事は全て事実なのだろう。私がもがき、苦しんでいる間、笑顔で励ましてくれた彼女もまた、苦しんでいたのだ。自分の弱さを見せる事なく、私をずっと気遣ってくれた綾乃ちゃんに、私は気づかず甘えていた。


"私がどれだけ貴女を好きなのか、貴女には絶対分からない"


以前綾乃ちゃんにぶつけられた言葉を思い出す。

彼女の言った通りだ…私は彼女の想いをまだ全然分かっていなかった。そんな私の表情に気づいたのか、桜井さんは少し困った表情を見せた。


「あの、私は、あなたを責めている訳じゃないんです。

むしろ、お礼を言いたかったんですよ」

「…お礼?」


「綾乃はあなたと一緒に過ごすようになって、本当に幸せそうなんです。毎日、楽しそうにあなたの事を話していますよ。


だから、あなたも綾乃の幸せを守ってあげて下さい。あなたが幸せなら、きっと、あの子も幸せなんです」

「はい…」


言葉に詰まる私に笑いかけると、彼女は文庫本を手に取った。


「私も綾乃とずっと傍にいたいと思っています。だから、あの子がいつまでも幸せでいて欲しいんです。"貴女の想いは無駄にならなかったね"って誉めてあげれるから。

綾乃の傷つく顔を見るのは、一度で十分です。


だから、綾乃を宜しくお願いしますね。夏樹さん」


「はい」


桜井さんは私を見ると、安心したように笑った。


「まあ、最近は専らのろけばかりなので、その心配無さそうですけど…」

「えっ!?綾乃ちゃん、どんな事を…」

「聞きたいですか?」

「いえっ、遠慮します!」

「ふふ、その方が良いですよ。私も本人を前に、恥ずかしくて言えませんから」

「!!」


赤くなった私をからかうかのように笑ってから、「また話しましょう」と手を振ると、桜井さんはそのままレジに向かった。


彼女の後ろ姿を見送ると、急に綾乃ちゃんに会いたくなって、私は家に帰ることにした。

もうすぐ、彼女が笑顔で帰ってくるはずだから…

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