第24話 幾月

目が覚めていつも思うのは、隣に彼女がいない事。だけど、今日は自分の部屋ではなかった。部屋の光景も、匂いもいつもと違うここは…


「…涼の家に泊まりに来たんだった」


「明日休みなら、たまに付き合え」と、昨日、突然家に押し掛けた挙げ句そのまま連れて行かれ、お酒を飲みながら、久しぶりに夜遅くまで色々な話をした。就職活動や学校生活、涼は仕事の事…話題は尽きなくて、最後の方は、睡魔に負けて何を話したかすらあまり覚えていない。

ただ一つだけ、夏樹さんの事は話せなかった。昔交わしたあの約束を覚えているはずなのに、涼も何も訊ねなかった。

広い部屋は相変わらずの殺風景で、朝の仕事に行ったのだろう、涼の姿は既になかった。


布団を畳んで台所に行くと、朝食はまだ用意していなかったらしいので、冷蔵庫から適当に取り出して二人分作ることにした。

玄関の開く音が聞こえ、涼が帰って来た。台所の物音に気づいたのか、食事を作っている私を見るなり目を丸くする。


「綾乃が料理しているなんて…明日は、嵐か!?」

「うるさいな~、私だって少しは出来るんだから。

せめて、おはようくらい言ってから驚けば良いでしょう」

「だって、高校の家庭科の時の、あの事件の張本人の綾乃が料理…!!」

「あ~、もう!!それ以上言ったら許さないからね!!

それで、ご飯食べるの?食べないの?」

「…食べよう、かな?」

「何!?その、恐る恐る挑戦しよう、みたいな感じ!?」

「冗談に決まっているでしょう。勿論食べるよ」


私の黒歴史の殆どを知っている彼女に、驚愕されるのはある程度予想していた。だけど、冗談と分かっていてもここまで言われると、正直ショックだ。知り合って間もない晴次さんが、私の高校時代を知ったなら、おそらく同じ様なリアクションをとるに違いない、と思う。


「凄いじゃん、綾乃」

「普通の朝食メニューだよ。全然凄くない」


焼いたウインナー、卵焼き、お味噌汁を作ってテーブルにのせる。ご飯をよそい、向かい合って座る私に涼は笑いかけた。


「私から見れば凄いメニューだよ。

たくさん練習したんでしょう?…夏樹さんの為に」

「…」

「それじゃ、頂きます」

「…頂きます」


何も答えない私を、分かっていたかのように涼は一人で先に食べ始める。ぐっとこみ上げてくる感情を堪えて、私も箸を取ると、食べ始めた。


朝食の終えると、私は涼の仕事を手伝いながら過ごした。空は春霞で薄ぼんやりとしていたが、身体を動かすには気持ち良く、時折聞こえる鳥の鳴き声が、新しい季節の始まりを感じさせた。

そんな環境だったからか、いつしか私は夏樹さんの事を、涼にぽつりぽつりと話していた。涼は仕事の手を休めないまま、聞いてくれていた。


「気持ちの整理をするために、夏樹さんは離れたんでしょう。

それで、送り出したあんたは結局、不安なの?」

「だって、夏樹さん…帰って来てくれないかもしれない」

「どうして?」

「相手の人を凄く大切に思っていたんだよ。その人が元気になるのをずっと待っていたんだもん。

人の気持ちが変わらないなんて思えない…それが分かっていたから、待っている、なんて言えなかった」


「だけど、約束したんでしょう?…必ず戻る、って」

「…うん」

「それなら、綾乃が信じてあげなくて誰が信じるのよ」

「…」


「大丈夫よ」


俯く私に明るく涼が言った。顔をあげると自信満々で、少しも心配していない涼が笑っていた。


「綾乃が私に会わせたかった人でしょう?

何だかんだ言って、綾乃も夏樹さんを信じているんでしょう?」


その言葉に、涼があの約束を覚えていた事が分かった。彼女の笑顔と言葉に、私の心を覆っていた不安が少しずつ消えていく。


「そうだね。うん、信じているよ」


私も涼に笑って返した。


夕方まで涼と過ごし、そのまま駅まで送ってもらうことになった。海岸線の道路端のコンビニに駐車すると、すぐ目の前に夏樹さんと見た海が見えた。


「ごめん、綾乃。ちょっと十分位待ってもらって良い?

用事を済ませたいから」

「急がなくて良いよ。電車の時間まで余裕あるし」

「どこかで待っとく?」

「じゃあ、海にいるから。終わったら電話して」

「了解」


道路を横切って、海岸に降りる。砂浜のオブジェは期間限定だったらしく既に撤去されていて、いつもの何も変わらない砂浜が広がっている。


辺りに人影はなく、すぐ上の道路を走る車の音だけが聞こえるが、海に近づくにつれ、波の音だけが私を包んだ。波打ち際近くまで歩いて海を眺めると、太陽は水平線より上にあったが、太陽の光が海に反射していて、まるで一筋の道のように見えた。

あの日の夏樹さんの横顔を思い出して、目を閉じると、瞼に暖かな光が感じられる。

ふと、小さく砂を踏む音が聞こえて、何気なく後ろを振り返った。


「!!」


少し離れた場所で、彼女が私を見ていた。

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