第25話 最終話 望月
あまりの驚きで声がでない。なぜここにいるのか、なぜこの場所が分かったのか…頭の中で疑問が次々と浮かぶが、私は一言も口を開かないまま、彼女を見つめ続けた。彼女も私を見たまま、何も言えないでいる。
実際はほんのわずかの時間だったと思うが、それでも私には随分長い間見つめあっていた様に思えた。
やがて、彼女が私に向かって歩いてきた。久しぶりの姿を見ながら、思った以上に元気な事に安心する。そして、私の彼女への想いが全く変わっていない事を…
「…綾乃ちゃん」
どこか怖れるように、少し震える声で、それでも私から決して目を離さずに、彼女は私の名を呼んだ。
「…」
無言の私に、それでも勇気を振り絞るように、彼女は私の目の前に立つ。少し潤んだ瞳が夕日に照らされ、きらきらと輝いているように見えた。
「…どうして?」
「えっ?」
「どうして、ここにいるの?」
強ばった表情で訊ねた私に、彼女は一瞬、泣きそうな表情になったが、私に、にこりと笑いかけた。
「約束したでしょう。一緒に見ようって」
「…そうだったね」
あの時、私は確かに約束した。私が忘れていたあの約束は、彼女にとって、大切な約束だったのだろうか。
「…早紀さんが目覚めるまでの約束だよ。
もう、貴女には早紀さんがいる。それで十分でしょう?」
「早紀さんとは、話してきたよ。綾乃ちゃんのお陰で、きちんとお礼も言えた。ありがとう」
「良かったね…」
「うん」
穏やかだけど、悲しい気分に包まれたまま私は笑った。彼女の前で、涙は見せたくなかったから。
「あのね、綾乃ちゃん」
「ん?」
「…私、あの社長室で襲われたとき、本当に怖かった。
もう、本当に、自分が殺されるかもしれないと思ったの」
「…」
「その時、貴女の顔を思い浮かべたわ。最後に、綾乃ちゃんに会いたい、って思った」
「えっ!?」
突然の告白に驚く私に構うことなく、彼女は視線をそらさずに、穏やかに告げる。その表情には躊躇いはなく、ひたむきさだけがあった。
「貴女は早紀さんの替わりじゃない。
ううん、早紀さんは貴女の替わりにはならないの。
私は、貴女以外欲しくない」
「…」
「貴女が良ければ…私の'これから'を、貴女の為に使うことを許してもらえないかな?」
「…」
波の音だけが聞こえる中で、私は彼女をずっと見ていた。夕日が段々と沈んでいき、徐々に辺りが暗くなっていて、風が少し冷たく感じる。
「貴女に私の気持ちは分からないよ…」
私の冷たい声が響く。もう、感情が溢れそうだった。
夏樹さんは、驚いた様に私を見た。潤む瞳が、絶望に変わる前に彼女に告げる。
「私が、どれだけ貴女を好きなのか、貴女には絶対に分からない!」
私の心からの叫びを聞いた途端、彼女は我慢していた涙を溢れさせた。その流れる涙を拭うことなく笑った。
「それなら…」
「それなら、教えてくれる?
綾乃ちゃんの気持ちを、私が分かるまで」
「…きっと、10年、20年でも分からない。
それでも、良いの?」
「うん、ずっと、ずっと教えてほしい…貴女が、言葉と身体で」
「…本気で、言っているの?」
「うん、本気だよ。
貴女が生涯一緒に過ごしたいって思ってくれた事を聞いて、私、凄く嬉しかった」
「っ!?」
その言葉を聞いて、みるみるうちに顔が熱くなる。私は、その一言で、全ての謎が解けた気がした。
「愛してる」
「!?」
夏樹さんが、私の手を取った。真っ直ぐ見る彼女は、迷う事なく私に向かってそう告げた。柔らかく、温かい彼女の手から、夏樹さんの気持ちが少しでも私に伝わるように、優しく、しっかりと繋ぐ。
「愛してるよ。綾乃ちゃん」
「…私も」
「私もだよ…夏樹さん」
涙でぐしゃぐしゃな顔で笑って、ようやく私は彼女の名を呼び、固く抱きあう。嬉しくて、嬉しくて、涙はしばらく止まらず、私は愛しい人の名を呼び続けた。
【改ページ】
辺りが薄暗くなった頃、ようやく私は落ち着くことが出来た。ふと、気になった事を夏樹さんに訊ねた。
「夏樹さん。私の事、涼が話したの?」
「あっ、…うん。
綾乃ちゃんの事を相談した時に、おまじない代わりにって教えてくれたの。"もし、一生共に過ごしたい人が出来たら、お互い紹介しよう"って約束していたんでしょう?
…だから、私をあの時連れていってくれたんだよね?」
「涼のやつ…あっさりバラすとは」
「あの、内緒ねって言っていたのよ。ごめんなさい!」
「…良いよ。私の、本当の気持ちだから」
慌てふためく夏樹さんに、苦笑すると、ほっとしたような表情を浮かべた。
涼の事は後で考えるとして、今しなければならない事がある。私は夏樹さんに回した腕を、さりげなく引き寄せる。彼女が照れて、逃げないように。
「それよりも、さっき言ったよね。
'言葉と身体で教えて欲しい'って?」
「そっ、それはっ!!」
雰囲気を変え、にやっと笑った私に、状況を理解した夏樹さんは、腕から逃げようとしたが、私の方が早かった。
「勿論、教えてあげる。今すぐに」
「んっ!?」
答えを聞く前に夏樹さんの唇を塞ぐ。優しく少し強引なキスに、次第に夏樹さんの身体から力が抜けてきた。唇を離して、見つめあう。
「もう一度…」
どちらの口から発せられたのか分からないまま、もう一度重ねる。何度も、何度も重ねる久しぶりの柔らかい感触に、身体が歓喜に震え、もっと欲しくなって、彼女の頬に手を添えて深く交わす。
さすがに、息苦しくなって離れると、夏樹さんは肩で息をしていた。
「とりあえず、今は、このくらいで止めとこうか?」
「…今は…って?」
息も絶え絶えの夏樹さんの頬に、指先で触れながら、にっこりと笑う。
「後でゆっくり、ね?」
「!!」
薄暗い中でも分かるくらい赤くなった夏樹さんと手を繋ぐ。
指を絡めて、もう二度と離れないように―
「行こう。夏樹さん」
「ええ、綾乃ちゃん」
二人で笑い合って、私達は明るい光の方へと歩き出した。
砂浜を上がって、涼と待ち合わせしていたコンビニに向かって歩く。あれから随分と時間が経っていたが、涼が電話を掛けてこなかった事を考えれば、きっと夏樹さんの事を知っていたに違いない。そこまで考えてから、ふと疑問が浮かぶ。
「そう言えば、夏樹さんはどうやってここまで来たの?
涼が駅まで迎えに来たとしても、十分位じゃ絶対間に合わないよね」
「それは…」
コンビニの方に視線を向ける夏樹さんにつられて見ると、見知った顔が並んでいた。
(成る程、こういう事か…)
「遅い」
「晴次さんが勝手に待っていたんでしょう」
「あの、ごめん!遅くなって…」
待ちくたびれた様子の晴次さんに、言い返す私と、謝る夏樹さん、黙ってにやにや笑っている涼。
「夏樹」
「うん?」
「良かったな…」
「うん」
それだけのやり取りなのに、晴次さんと夏樹さんは全て通じあったかの様に、微笑んだ。嬉しそうな夏樹さんと、彼女を見て笑う晴次さん…二人の事情を知っている私は、心に誓う。
もう私は、夏樹さんを二度と悲しませない、と。
「お熱いことで、お二人さん」
「?…あっ!?」
そんな私達の空気を感じ取ったのか、涼が雰囲気を変えるように声をかけた。ずっと夏樹さんと手を繋いでいた事を指摘され、赤い顔のまま慌てて離れようとする彼女を、ぐいっと引き寄せる。
「良いでしょう?涼。
わざと、見せつけているんだよ。相手のいない、あんたの為に」
「は?あんた、喧嘩売ってるの?」
「あらあら、そう聞こえたら、ごめんね?」
「あの…綾乃ちゃんも、涼さんも喧嘩は…」
「夏樹さん、止めないでくれる?
綾乃に喧嘩売られて、買わないわけにはいかないから」
険悪な雰囲気になりそうな私達の間に、おずおずと入ってきた夏樹さんに、凄い勢いで問いただす。
「夏樹さん!!」
「はいっ!?」
「どうして、涼と名前を呼びあっているの!?」
「え?」
「いつから?どうして?ねぇ?」
「あ、あの…それは…」
言葉に詰まる夏樹さんを問い詰めていると、頭に激痛が走った。
「ぎゃー!!痛い!」
「落ち着け、バカ」
いつの間にかすぐ傍にいた涼に、頭を一発殴られ、一気にテンションが下がる。
「うー、頭が割れるかと思った…」
「綾乃ちゃん、大丈夫!?」
「夏樹さん、こいつの頭は頑丈だから、心配しないで良いよ」
「この、馬鹿力」
「何だって!?綾乃」
「お前達、…一体いつまで遊んでいるんだ?」
私達の一部始終を呆れた顔で見ていた、晴次さんの一声で、我にかえる。私はこれから夏樹さんと、先程の続きをしなければならなかったのだ。
「そうだよ!早く帰ろう!!
ねぇ、夏樹さん」
「えっ!?あ、うん?」
「晴次さん、早く車出して!
じゃあね、涼」
「なあ、水瀬さん。
綾乃の早く帰りたい理由って…」
「あー、…多分。長谷さんの考えている通りだと思います。
あの子、単純だから、すぐ顔に出るんですよね…」
「やれやれ…これから、あの二人を連れて帰る身にもなってほしいよ…」
「頑張ってくださいね。
一応、綾乃にも、二人きりになるまで我慢する位の理性はあると思います。…多分」
戸惑う夏樹さんを、車に押し込めるように乗せる私を見て、ため息をつく晴次さんと涼の会話を聞こえない振りをして、そのまま車に乗り込んだ。勿論、夏樹さんと並んで座る。
「また来るね、涼」
「感謝しなさいよ、綾乃」
車のドアを開けて、涼に手を振る。長い付き合いで、ぶっきらぼうの挨拶は、照れ隠しの表現だと知っているから、遠慮なく笑顔で返した。
「涼さん、ありがとう」
「夏樹さん、大丈夫だったでしょう?
だから、心配要らないって言ったのよ」
「うん。おまじない、ちゃんと効いたよ」
「そう、…良かった。また遊びにおいでよ」
「ええ、約束もしたしね」
「ふふふ、じゃあね」
「ねぇ、ちょっと!何、その、私との態度の違い!
それと、約束って何?」
「あー、うるさいな。あんたには関係ないでしょう。
また今度。それじゃ、長谷さんも、またね」
夏樹さんと笑い合って、涼は自分の車に乗り込んだ。片手を上げて、車を動かすとそのまま帰っていく。
「それじゃ、俺達も帰るか」
晴次さんがエンジンを掛けると、車には一昔前の洋楽が流れ出した。少し膨れっ面の私に、夏樹さんが耳元で囁く。
「後で、ゆっくり話そう?今までの事…
綾乃ちゃんに、聞いて欲しいことがたくさんあるの」
そっと彼女が指を絡ませると、私の気分は一気に上昇した。
「私もあるんだ。
今までの事、それと、これからの事」
「夏樹さんと話そう、一緒に」
少し潤んだ瞳の彼女を見て、言葉の代わりに繋いだ手を優しく握り返し、それから、私達は笑い合った。
〈完〉
後書き
これで「私と貴女と…」は完結になります。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
また、フォローや、毎回のように応援してくださった方々、本当に感謝しています。執筆していくなかでとても励みになりました。この場を借りてお礼申し上げます。
本編は完結しましたが、番外編として、彼女達のその後や、周りの人物との話をもう少し続けていきます。宜しければ、そちらもご覧下さい。
菜央実
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