第19話 十三夜月
その週からはとにかく慌ただしい毎日だった。会社は社長の逮捕で最早、機能する事も出来ず、私は被害者という事で警察の聴取を受けたり、弁護士とその後の事について連絡を取ったりして、今更ながら自分に起こった事、しでかした事の重大さを痛感した。
結局、会社はあっという間に倒産する事になり、私はそのまま仕事を失った。未練も何もなかったが、今までひたすら走り続けた人生を急に解放されて戸惑う。
そんな私に、綾乃ちゃんは出来る限り付き添ってくれた。毎晩、恐怖と自責の念に押し潰されてしまいそうな私を抱きしめて、励まし続けてくれ、いつしか私達は毎日一緒に過ごすようになっていた。
ようやく落ち着いて過ごせるようになった頃、いつもの様に二人で談笑していると、綾乃ちゃんが唐突に切り出してきた。
「私、明日何も予定がないから、夏樹さんが良かったら、どこか出掛けない?」
「えっ?うん。良いわよ」
「じゃあ決まりね。夏樹さんはどこか行きたい所がある?」
「行きたい所…」
私が思いつくのは、早紀さんの病院だったが綾乃ちゃんに言える筈もない。綾乃ちゃんの好きそうな場所を…と考えてふと自問する。私は彼女の事をどれ程知っているだろう?
「綾乃ちゃんの行きたい所はないの?」
「私?そうだね、色々あるけど…」
「綾乃ちゃんの行きたい所に行ってみたいな」
「えー、どうして?」
「貴女は私の事ばかり優先してくれていたでしょう?貴女のおかげで、私も大分落ち着くことが出来たし、綾乃ちゃんには本当に感謝している。
だけど、私は綾乃ちゃんの事を殆ど知らない。私は貴女と、依存じゃなくて、お互い支え合う存在になりたい。
だから、今度は貴女の番。どこまででも付き合うから、綾乃ちゃんの行きたい所を考えてみて?」
「そっか…ありがと」
彼女は照れたように笑い「責任重大だね」と、おどけてみせた。私も「期待してるね」と笑って返す。それから綾乃ちゃんは、スマホを片手に、夜遅くまで調べ物をしていた。
次の日、綾乃ちゃんの提案でお弁当を作ってから出発した。行き先を尋ねると「内緒」と言われ、どこに行くか分からないまま駅に向かった。
電車に乗り込むと車内は空いていて、二人で並んで座る。私が利用する方向とは反対に向かう電車から見る風景は新鮮で、飛ぶように過ぎる風景に心が奪われた。
電車を乗り継いで、降りたのは小さな無人駅だった。綾乃ちゃんは駅を出ると、迷うことなく歩き始める。駅前の通りは閑散としていて、人通りもない。しばらく歩いてから、一軒家の前で立ち止った。
「少し待っててね」
彼女は家のポストに手を入れると、慣れた手つきで鍵を取り出し、そのまま車庫にあった車の鍵を開ける。
「ちょっ、ちょっと、綾乃ちゃん?」
「大丈夫。私、免許持ってるし、この辺なら運転は大丈夫だから」
「そうじゃなくて、良いの?勝手に車を借りて」
「良いよ。昨日連絡したら、明日まで旅行に行くって言っていたから、鍵をポストに入れとくように頼んでおいたの」
「どなたの家なの?」
「ここ?私の実家だよ」
「えっ!?」
「だから、大丈夫だよ」
「あのっ、挨拶しないと!」
「夏樹さん、動揺しすぎ。家には誰もいないって」
「で、でも…」
「きちんと伝えてあるから、心配しないで良いよ。
会いたかったらいつでも紹介するから」
「待って、それはそれで心の準備が…!」
慌てふためく私を、笑いながら眺める綾乃ちゃんに促されて、手荷物を載せると、車の助手席に乗り込んだ。
「出発ー!」
綾乃ちゃんは元気良く車を発進させると、窓を開けた。清んだ空気が車内に入ってくる。すれ違う車も少なく、車は郊外に進んでいき、次第に周りが山ばかりになっていく。山と山の間を縫うように進む道路の先に、大きな案内板が見えて私は目的地を知った。
「公園?」
「うん、一応滝が有名なの。もうすぐ着くよ」
駐車場に車はなく、がらんとしていた。車から降りると、冷たい空気と激しい水音が身体を包む。
「貸しきりだね」
「今の時期は殆ど誰も来ないよ。お花見シーズンは凄いけど。
夏樹さんは寒くない?」
「ひんやりするけど大丈夫よ。何だかわくわくしてきた、早く行きましょう」
「ふふふ」
公園内に入ると、目の前に清流があり、水が勢い良く流れていた。きらきらと水面が光り、川を跨ぐように木製の橋が掛かっている。
「綺麗…」
川底が見える程水は澄んでいて、橋の上から覗く私の隣に綾乃ちゃんが並ぶ。
「はしゃぎすぎて落ちないでね」
「大丈夫よ」
橋を渡り終えると、地響きの様な水音が聞こえてきた。はやる心を抑えて綾乃ちゃんと奥に進む。やがて私の前に、大きな滝が現れた。怒涛を上げて落ちる水飛沫が湖面に虹を浮かび上がらせ、神秘的な光景を作っていた。直ぐ近くまで行くと、大きな水流が幾つも流れていて、滝の水飛沫が私の顔にまで届く。水音で隣の綾乃ちゃんの声ですら聞こえない程の迫力だった。
「凄いね」
少し離れた場所にあるベンチに腰掛け、やっと口を開く。そんな私を彼女はおかしそうに見た。
「夏樹さん、子供みたいだよ」
「私、滝を見たのは子供の頃以来だよ。その時見たのも、こんなに大きくなかったから感動しちゃった」
「そうなんだ。私も久しぶりにこの公園に来たけど、懐かしかったかな。
ねぇ、良かったらお昼はここで食べない?あの先に休憩所がある筈だけど」
「行ってみましょう」
二人で歩いた先に、公園を見渡せるように置かれたテーブル付きのベンチがあった。お弁当を広げて座ると、待ちきれなかったように綾乃ちゃんは「いただきます」と箸を取った。
「夏樹さんのご飯はやっぱり美味しいね」
「ありがとう。綾乃ちゃんの作った卵焼きも美味しいわよ」
「夏樹さんのアドバイスのおかげです」
ぱくぱくと食べ進める綾乃ちゃんに微笑んで、ゆっくり食べる。外で食べるお弁当は、景色を楽しむ事も加わって、とても美味しく感じられた。
その後、綾乃ちゃんの子供の頃の話を聞いたりして、のんびりと公園内を散策してまわる。所々に桜が植えられていて、春になればきっと綺麗な光景が広がっているのが想像出来た。
十分に満喫した後、再び車に乗り込もうとすると、時計を見た綾乃ちゃんが、少し考え込んでいた。不思議に思っていると、私の視線に気がついたのか苦笑した。
「次の場所に行くには、少し時間が早いんだよね…
あのさ、夏樹さんは動物は好き?」
「えっ?ええ、好きよ」
「分かった。ちょっと待っててね」
綾乃ちゃんはスマホを持って車から離れると、電話を掛けた。普段の口調よりも、少し高めのテンションでしばらく談笑していたが、やがて嬉しそうにこちらに帰って来た。
「お待たせ、行こうか」
「うん」
いつも以上にきらきらした様子の彼女に圧倒されるように、車に乗り込んだ。エンジンをかけて、スマホのアプリを立ち上げると彼女は何か打ち込んだ後、私にスマホを渡した。
「夏樹さん、ナビお願いして良い?私、結構方向音痴なんだよね。これから行く所にも随分行っていないから、自信なくて…」
「このまま伝えれば良いの?」
「うん、目的地は入力してあるから」
「分かったわ」
公園を抜けて、ナビの指示通りの道を進むと、やがて人家のない細い道路に出た。周りは畑や林ばかりで人影は見えない。
「あ、ここからは大丈夫」
綾乃ちゃんは思い出したかのように車を進めた。やがてぽつんと一軒家が見えて来て、古民家風の家の道路端に車を停めた。外に出ると、大きな白い犬が警戒する様に吠えてきた。
「ここは?」
「私の友達の家なんだけど…まだ帰って来ていないみたいだね。
すぐ帰って来ると思うから、待ってみよう」
綾乃ちゃんが「ごまー」と呼ぶと、警戒した鳴き声が止み、しっぽを振って喜んでいるような声に変わる。
綾乃ちゃんに「よしよし」と頭を撫でられて嬉しそうな様子に少し安心して近くに寄ると、急に顔を向けられ思わず後ずさった。
「慣れないうちは触らない方が良いかもね」
「…残念」
「夏樹さん。猫は大丈夫?
あそこにいるよ」
指さした方を見ると、すぐ傍の日向で黒い猫が丸くなっていた。ゆっくり近づいても、逃げる様子がない事に安心して、どきどきしながらそっと手を伸ばす。ふわふわした毛並みが太陽の熱で温かくなっていて、気持ちが良い。ゆっくり撫でると、やがてごろごろと喉を鳴らし始めた。
「か、可愛い…!」
頭から顎の下、お腹を撫で続けていると、目を閉じたまま体を預けるように動かなくなった。
「夏樹さんは猫派かな?」
「うーん、犬も好きなんだけど…それにしても、犬も猫もすぐ近くにいるのに、お互い喧嘩しないんだね」
「そうだね」
綾乃ちゃんとそんな事を話していると、遠くからバイクの音が近づいて来た。やがて、フルフェイスのヘルメット姿の人が大型のバイクに乗って現れた。
エンジンを切って、ヘルメットを取るその人が、若い女性だった事に驚いた。ぺこりと会釈されて、慌てて私も「こんにちは」と返す。
「久しぶり、お邪魔してまーす」
あっけらかんと笑う綾乃ちゃんに呆れたような表情を浮かべて、女性は私達の傍に来た。足下に猫が寄り添い、向こう側で犬が千切れんばかりにしっぽを振っている。
「こんにちは」
私と同じくらいの背格好の女性は、にこりと私に微笑みかけると、足の周りをぐるぐる回る猫を抱き上げた。
「立木です。初めまして」
「水瀬です。綾乃がいつもお世話になっています」
猫を下ろした水瀬さんは、急に雰囲気を変えて綾乃ちゃんを睨み付けた。
「あんたねぇ、いつも突然すぎるんだよ」
「良いじゃない。いつでも遊びに来て良いっていったのは、そっちでしょう」
不機嫌オーラ全開の女性に怯むことなく、にこにこと笑って返す綾乃ちゃんとの間で、突然の訪問がご迷惑だったのかもしれないと思いながら、おずおずと口を挟む。
「あの、突然お邪魔して…本当にすいません」
「えっ!?」
私の方を向いて驚いた声を上げた女性は、慌てて手を振った。
「いえいえ、本当にお邪魔じゃないですから!
いつもこんな感じで綾乃と言い合っているだけなんで、気にしないでください!!」
「そうだよ、夏樹さん。涼に気を使う必要なんてないから、大丈夫だよ」
「綾乃…良い度胸してるな!!
今すぐあんたの黒歴史、この人にバラしてやろうか?」
「!!私が悪かった!ごめん!」
目の前で漫才の様なやり取りが繰り広げられ、呆気にとられていると、私の様子に気づいた二人が「とりあえず中にどうぞ」と声を揃えて玄関に促す。我慢出来なくなって、遂に吹き出した私に、彼女達の笑い声が重なった。
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