第4話 三日月(2)
私は子供の頃から人見知りで話す事が苦手だった。高校に入ってから両親が離婚し、母親に引き取られたものの、働く事もなく家を空けることが多くなり、徐々に生活を心配しなければならなくなった。やがて休日や放課後にバイトを入れて生活費を捻出する様になり、学業とバイトで精一杯の毎日を送っていた。
次第に同級生との話題についていけなくなった私は、必然的に一人でいることが多くなった。昼休みは図書室で過ごす事が日常となったある日、私に声を掛けてくれた人がいた。
「隣、良いかしら?」
顔を上げると、長い髪の綺麗な人が私を見ていた。制服に着けているネームの色から上級生だと分かったが、知らない人だった。他に空いている席もあったのだが、わざわざ隣の席の許可を尋ねられ、断る理由もなく反射的に「どうぞ」と答えた。
「ありがとう」
にっこり笑う顔が同性ながらあまりにも綺麗で、つい見とれてしまい、はっと我にかえると慌てて本で顔を隠した。隣に座った彼女は、慌てる私の様子を気にすることなく本を読み始めていた。
それから、他の席が空いていても、彼女はいつも私の隣に座るようになった。ただ本を読んでいるだけなのに、私は彼女が隣に座ってくれる事に嬉しさを感じていた。話をしてみたいと思うものの、彼女からは私に話しかけてくる事はなかったので、なかなか声を掛けれない日々が続いた。
1ヶ月くらい過ぎた頃、彼女が取り出した本は私が以前に読んだことのある本で、そこで私は思いきって話しかけてみた。
「あの…」
「何?」
「その本、面白いですか?」
彼女はちらりと私を見てから答えた。
「まだ読んでいないから、分からないわ」
「あっ、すいません」
「ふふふ」
「私はてっきり別の事を聞かれるかと思っていたけど、貴女の質問が本の感想だからつい笑ってしまったの、ごめんなさいね」
「別の事?」
「名前とか、どうして貴女の隣に座るのか、とかね」
「あの、えっと…それは」
本当に聞きたかった事を指摘されて慌てる私を、彼女は頬杖をつきながら可笑しそうに見つめていた。
じっと見つめられ、ますます何と言うべきか混乱していると、不意に彼女が本を閉じて立ち上がった。
「立木さん」
「えっ?」
どうして名前を知っているのだろう?と不思議に思うと、表情に出ていたのか彼女は私の左胸を指差した。視線を向けると、自分のネームがある。彼女の制服を見るとネームはついていなかったので、結局名前は分からなかった。
「良かったら、別の場所で話さない?」
彼女の言葉につられるように頷くと、立ち上がり本を閉じた。私達は図書室を出ると、中庭のベンチに移動した。中庭にはちらほら生徒がいるだけで、私達を気にする様な視線もなかったので、ほっとして彼女の隣に腰を下ろした。
「それで、さっきの続きは何?」
「あの…お名前を聞いても良いですか?」
「私は三年の長谷早紀。貴女は一年生の立木夏樹さんよね」
「はい。それで、長谷先輩は、あの…どうしていつも私の隣に座っていたのですか?」
「どうしてだと思う?」
「…え?」
聞きたかった事を質問で返され、ぽかんとすると、長谷先輩は可笑しくて仕方がない様に笑っていた。
「分かりません」
「貴女に話しかけて欲しかったからよ」
「…はい?」
「ずっと隣に座っていれば、きっと話しかけてくれると思ったのだけど、まさか一月以上かかると思わなかったわ。最近はもう我慢比べだったわね」
「えっ?」
長谷先輩の言葉の意味が理解出来ずに頭の中は混乱していた。彼女がふざけているのかと思ったが、わざわざ一月以上も時間を費やす意味もないし、私が声を掛けなければ本当にひたすら待っていたのだろうと思わせる口調だった。
「どうして、私が話しかけるのを待っていたのですか?」
「立木さんの興味を惹くため、かな。
ねぇ立木さん、良かったら私と友達になってくれない?」
私を見る長谷先輩の表情は真剣で、少し緊張しているみたいで、決してからかっているのではない雰囲気があった。
私がどきどきしながらも「はい」と答えると、長谷先輩は安心したように笑って、片手を差し出した。その笑顔の美しさに思わず赤面しながら手を差し出す。長谷先輩はそんな私の様子を可笑しそうに見ていた。
「宜しくね、夏樹ちゃん」
「こちらこそ宜しくお願いします」
握り返した手は柔らかくて、とても温かかった。
それから私と長谷先輩は、昼休みを一緒に過ごすようになった。彼女は私と違い友人も多かったので、一度「私の事は気にせず友人と過ごしたらどうか」と提案すると「私は貴女とは学年も教室も違うから、昼休みは一緒に居たいの」と言われてしまい、何も言えなくなった。
長谷先輩も読書が好きで私達は本の感想を話し合ったり一緒に本を読んで過ごした。何も話さなくても二人で過ごす時間はとても楽しくて、あっという間に過ぎていく。
その一方で、彼女が私と何故友人になってくれたのか、不安もあった。彼女を知れば知る程、自分が不釣り合いな存在に思えてしまい胸が苦しくなる。
知り合って一月程経った頃、偶々バイトが休みになり、放課後も長谷先輩と過ごせる事が嬉しくて、二人で近くの公園に向かい、ゆっくり歩いていた。交差点の角を曲がり、公園に入ると夕陽が正面にあり、眩しくて目を細める。その時、長谷先輩がずっと私を見ていたことに気がついた。
「どうしました?」
「…夏樹は可愛いなと思っていたただけよ」
「えっ!?」
笑顔で、思ってもみなかった事を伝えられ、顔から火が出るくらい赤くなる。
「なっ、何言っているんですか!?」
「背は高い、顔は綺麗、学業優秀、控えめながらも優しい性格。夏樹、クラスでもモテるでしょう?」
「そんな訳ないですよ。私クラスで殆ど話す人いないですから…それに、私は長谷先輩の方が全然綺麗で素敵だと思います!」
思わず力説してしまい、はっとすると長谷先輩は俯いていた。長い髪に隠れきれていない頬と耳が赤くなっていて、私も気まずくなって反対側を向いてしまった。
「…ありがと」
「いえ、…あの、何だかすいません」
小さく聞こえた彼女の声にもごもごと返事をして、そのままベンチに座った。告白したみたいな状況に心臓がどきどきしているのが分かる。胸が締め付けられるみたいに苦しくて、涙がこぼれそうになった。
(私、どうしたんだろう…)
突然自覚した感情に戸惑い、隣に座る長谷先輩を直視出来ず俯く。長谷先輩も無言で座っていて沈黙が辺りを覆う。
「どうして私と一緒にいてくれるんですか?」
俯いたまま、今まであえて避けていた質問をした。
自分で尋ねておきながら、緊張で身体が強ばるのを感じる。
「…何でそんな事を聞くの?」
「だって…長谷先輩は同級生だけじゃなくて下級生にも慕われているし、こ、告白された事も何回もあるじゃないですか。私なんかに構わなくても長谷先輩に相応しい人は他にもいるのに…」
「夏樹」
強い口調で呼ばれて、びくりと身体が跳ねた。顔を上げると長谷先輩が私を睨み付けるように見ていた。
「正直に言って。夏樹は私と一緒にいるのは嫌?これ以上関わって欲しくない?」
「! そんな事ないです!」
長谷先輩と過ごす時間は本当に楽しくて、出来ることならずっと一緒にいたかった。ただ私には堂々と隣に立てる自信がない。理由も自信も無いことづくめの自分が嫌いで仕方がなかった。そんな私を見透かしたかのように、長谷先輩は私の手をそっと握ると私を見て微笑んだ。
「私は夏樹の事が好きだよ」
「勉強もバイトも一生懸命頑張っているところも、本を読む姿もいつも自分に自信のないところも全部。だから私の好きな夏樹を相応しくないなんて言わないで。私が好きな人は私が決める。夏樹はもっと自分に自信を持って良いんだよ」
「長谷先輩…」
「夏樹は頑張っている。それは私が誰よりも分かっているから。きっと貴女の努力は無駄にはならないわ」
言葉に詰まる私に、言い聞かせる様に話す長谷先輩はあまりにも真剣で、自分が何だか物凄く立派な人に思えてしまいそうになる。親も学校も誰も頼ることが出来ずにいつも不安だった私を、分かってくれて見守ってくれる事が嬉しくて、泣きそうになるのをぐっと我慢すると、長谷先輩は微笑んで私の頭を撫でた。
「よしよし」
「わ、私、子供じゃありませんから!」
「分かってる。夏樹…泣いて良いよ?」
「…あ…」
あふれる涙を見られるのが恥ずかしくて、何度も拭っていると長谷先輩がそっと抱き締めてくれた。その温もりに包まれて、私は我慢出来ず、子供の様に泣きじゃくった。
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