第38話 冬の王ネイハヤート

 レデルハイトの食物連鎖の頂点に君臨し、エルフの王国であるニヤラに絶大な影響をもたらすドラゴン、冬の王ネイハヤートの塒は、岩だらけの深い渓谷にあった。岸壁の中腹にある踊り場のような場所で翼を畳んで堂々と眠っている姿は、天敵のいない王者の風格を思わせた。

 冬の王と恐れらるるに相応しい雄々しい巨体を覆うのは、鋭く硬質な灰色の鱗。錆びついたような模様が恐ろしく禍々しい。俺のちっぽけなライフルでは如何に爆裂魔法弾や徹甲魔法弾を使おうとも、傷一つ付けること叶わないだろう。


「話に聞くより迫力があるのお……」

「ああ、そうだな」

「喋っておって起こさぬかの?」

「それくらいなら平気だろう」


 季節はもう冬といっても良い時期だ。だがまだ目覚めるには少し早い。天敵のいない身なれば、自分の好きな時に寝て、自分の好きな時に目覚める。深い谷の反対側で話し声を立てたくらいでは目覚めないだろう。とはいえ、脅威を目前にして身を隠したいという衝動には抗えない。適当な岩場に身を潜めて俺たちは、その端から覗き込むようにしてネイハヤートの様子を見守った。


「まあ、起こしにきたのだがな」

「あ……」


 別に忘れていたわけではないだろうが、指摘されて初めて自分の心配事が無用なものだとリリヤドールは悟った。


「さて、やるかな」


 何かを待つこともない。この場所に到着すればあとは行動あるのみ。むしろこの瞬間にも、ニヤラでは戦いが続いているかもしれないのだ。




 標的と照星を照門に捉える。

 グリップを握り込み、魔力を銃身へ。

 息は吐ききって止める。

 流し込んだ魔力が弾丸へ伝わるのを感じ、俺は引き金に指をかけた。


 込めるは爆裂魔法弾。狙うはネイハヤートの頭部。ありったけの魔力を込めれば、ダメージを与えることはできなくとも、大きな音と光で目を覚まさせることはできるだろうか。できなければ困る。

 俺は、祈るような気持ちで引き金を引いた。



 深い渓谷に木霊する銃声。吹きすさぶ冷たい風に黒色火薬の白煙は瞬時に消え去ったが、爆裂魔法弾の爆発音は俺の耳に無事届いた。

 だがそれ以降は、ただびゅうびゅうと風の音が耳をかすめるばかり。


 一発では駄目か……


 そう思って今度は徹甲魔法弾を試そうと装填したその時、地鳴りのような音が渓谷に響き渡った。それがドラゴンの唸り声だということは姿を見なくてもわかった。空が落ちてきたようなプレッシャーが、隠れている岩の向こう側からもたらされる。弱者たる俺たちにできるのは息を殺してただひたすら待つことだけ。目覚めたドラゴンが朝食を求めて優雅に飛び去っていくのを待つだけだ。


 だが、どれだけ経っても――地響きのような欠伸が止んでも、ネイハヤートが飛び去る気配はなかった。ネイハヤートのもつ巨大な翼をはためかせれば、その風圧や羽音は谷の向こうのこちらまで届いてくるはずだ。なのに……


 不審に思ったその時、またもや地響きのような重低音が谷間に響き渡った。だがさきほどの唸り声と違ったのは、意思の込められた音だったところだ。


「誰ダ」


 人の言葉を解するという話は聞いていなかったため、ギクリとした。だが、勿論ネイハヤートの問いかけに応えることなどない。


「意思ナキ者ガ我ノ眠リヲ妨ゲルコトハナイ。ナレバ貴様ハ意思持ツ者デアル。ナレバ姿ヲ見セズ名乗リモセヌトイウノハ意思アッテノ行為、即チ意図シテ無礼ヲ働イテイルトイウコト――」


 そこから先は聞かずとも理解できた。俺はネイハヤートの言葉の途中で岩陰から飛び出し、名乗りを上げた。


「私はヨアン! 冬の王ネイハヤートよ、貴方の眠りを妨げたことを深くお詫び申し上げる! しかし貴方のおっしゃる通り、私には意思があったのです!」


 リリヤドールはまだ岩の影に潜んでいる。生娘のエルフが身を晒せば、生贄を運んできたのだとネイハヤートが勘違いしてしまうかもしれないと考えたからだ。これから交渉するにあたって、与える情報を少なく抑えておきたいという思惑もあった。だが、それは誤算だった。そんな人間界の交渉術が通じる相手ではなかったのだ。


「誠意ヲ見セテイルツモリナノカ。ソレトモ、ソレガ人間流ノ誠意トイウモノナノカ?」


 ネイハヤートの威圧感が増したことで確信する。奴は最初から俺たち二人の存在を感知していたのだ。

 絶対的強者である自分が、眠りを妨げた無礼者の話をそれでも聞いてやろうとしているのに、その弱者は嘘偽りを並べ立てて無礼を働き続けている。これでは怒って当然だ。

 俺はリリヤドールに手を差し出した。


「ヨ、ヨアン……」

「大丈夫だ。お前を差し出したりなんかしない」


 不安がるリリヤドールを説得し、引っ張り出す。

 そして塒でこちらを注視しているネイハヤートに膝をついて見せた。


「大変な無礼、申し訳ありませんでした。私たちは弱き者。貴方のことが恐ろしかったのです」

「我ニ偽ルコトハ許サヌ。二度ハナイ」


 二度もあってたまるものか。俺は深く、とても深く頷いて見せた。

 言葉を解すことからもわかるように、ドラゴンとはそこらの魔物と違って話のわかる存在のようだ。余裕があるのは強者たる所以だろうか。それともネイハヤートの性格が温厚なだけなのか。何れにせよありがたいことだ。


「シテ、ソノ、貴様ノ意図トヤラハ何ダ」

「はい。この度は、貴方にお願いがあって参りました」

「願イトハ?」

「はい。ここよりもずっと南の大森林にエルフの王国がございます」


 そこから生贄が献上されるのだから知らないわけがない。ネイハヤートは沈黙をもって肯定した。


「今、そこがヒトの国から侵略を受けているのです。今までにもヒトがエルフの王国を脅かしたことはございましたが、今回は退けることができず……今、まさにこの瞬間も、エルフの王国は蹂躙されているのです」

「ソレヲ助ケヨト申スカ」


 俺が首を横にふると、ネイハヤートは意外そうに首を傾げた――――ように見えた。


「いいえ、私どもの願いは、貴方に起きてもらうことのみ。貴方が大森林にもたらす厳冬によって、冬の備えをしていないヒトの軍勢を追い払おうと計画したのです」

「生贄ノエルフヲ喰ラエバ、我ガ魔力ノマトウ冷気ガ一冬ノアイダ弱マルノハ確ダ。ダガ、ソレハ我ニ朝食ヲ食スナトイウコトニ他ナラナイ」


 ネイハヤートは雄大に翼を広げ、空気を下に叩きつけた。ふわりと浮き上がった巨体はそのまま上空うへと舞い上がる。そして巨大な影が俺たちを覆った次の瞬間、直上から舞い降りたネイハヤートが俺たちの背後に着地した。

 あまりの衝撃に俺とリリヤドールは堪らず尻もちをついてしまった。俺たちが立ち上がる間もなく、ネイハヤートはその凶暴な牙を剥き出しにして、


「愚カ!」


 と、一蹴した。


「ワザワザ眠リヲ妨ゲルノダカラ、一体ドレホド面白イ話ヲ持ッテキタノカト思エバ、人間同士ノ諍イナド、我ガ関心ヲ抱クハズガナカロウ」


 どうやって話しているのか。言葉を発するたびに大口から冷気が吐き出され、それが赤い髪の毛先をパリパリと凍てつかせた。


「話ヲ聞イテヤッテ損ヲシタ気分ダ」


 そう言うとネイハヤートは、首を一度持ち上げ、口を大きく開けた。俺たちを喰う気だ!

 俺は瞬時にライフルを構える。そして直上はネイハヤートの口の中に狙いを定めた。


 標的と照星を照門に捉える。

 グリップを握り込み、魔力を銃身へ。

 ブレを気にして息を止めている暇はない。

 迫りくる牙に勇気を奮い立たせて俺は引き金を引いた。


 如何にドラゴンといえど口内は柔らかいらしい。発射された徹甲魔法弾は、ネイハヤートの喉の粘膜を貫通し、筋繊維を傷つけた。ほんのわずかな血飛沫が俺の顔に滴る程度の浅い傷だ。だが、ネイハヤートを怯ませるには十分な効果があった。


「貴様ッ!」

「エルフが貴様に生贄を捧げていたのは、その冷気を抑えるためだ! それが不要となった今、貴様にくれてやる命などありはしない!」


 俺は懸命に叫んだ。すでに取引などできるとは思っていない。捕食される未来を変えられるとも思っていない。相手は絶対的強者。その実力差は何があってもひっくり返ることはない。きっと俺はこの場で死ぬだろう。わかっている。だが、それでも諦めきれないのは、傍にリリヤドールがいるからだ。彼女はすべてを失った俺に生きる理由を与えてくれた。恩人であるトーヤも、彼女が生きることを望んだ。だから、俺は彼女の命だけは諦めたくなかったのだ。


「愚カ者ガッ! 貴様ラノ都合ナド知ッタコトカ! イマ空腹デ、目ノ前ニハ肉ガアル。タダソレダケノコト!」


 俺は必死に考えた。俺が与えた傷はほんの小さなもの。ネイハヤートの食事を妨げるようなものではない。ではどうすれば奴を止めることができるだろう。奴の気を引く何かがあれば。

 だが、そもそも奴は人間に興味を示していない。ヒトである俺が奴の興味を引き出す何かを思いつけるわけもなかった。

 天敵がおらず、寿命も千年を超える。人間の言葉を解すほど聡明で、きっと知らないことなど何もないのだ。


 ん? 知らないものなど何もない? 天敵がいないのに知識を得る必要などあるのだろうか。自身より遥かに下等な存在である人間の言葉を知っているのは何故だ? 取るに足らない存在であるなら、有無を言わさず俺たちを食い散らかせば良いというのに。


「俺たちを喰えば、遅かれ早かれお前は死ぬことになる!」


 これは賭けだ。

 どれだけ強くとも、生あるものはいずれ死ぬ。そして人間の言葉を学んだネイハヤートは人間のことを知っている。人間が、進歩する生き物だということを。いや、進歩する生き物だと知ったからこそ、奴は人間の言葉を学んだのだ。


「……」


 再び大口を開けてその牙を俺に向けていたネイハヤートの動きがピタリと止まった。


 今までは脅威ではなかった。だが、それがいつまで続くかは定かではない。それを一番わかっているのは本人なのだ。


「ほんのわずかでも俺の攻撃はお前に血を流させた。だが、俺は勇者ではないぞ。ただの一人の兵士だ。お前、ここ数十年の人の進歩を知らないだろう。遂に来たのだ。お前が人間の言葉を学んだ意味が生まれる時が!」


 俺は言葉を探しながら必死に時間を稼ぐ。


「そもそも、なぜエルフが今更お前に助けを求めに来たのか考えてみろ。さっきヒトによって侵略を受けたと言ったな、そして今まさにヒトである俺がお前に傷をつけた。お前は俺に何か尋ねることがあるのではないか?」


 ネイハヤートは沈黙している。沈黙して、考えているのだ。俺と対話をするために。

 ドラゴンという食物連鎖の王者に俺が唯一勝っているものがあるとするならば、それは口車をおいて他にない。口車というと聞こえは悪いが、つまりは腹の探り合い。何事も試行回数の多さが上達の鍵となる。ならば権謀術数渦巻く王宮で生まれ育った俺に負けはない。


「ナラバ問オウ。ナゼ争ッテイルハズノエルフトヒトガ伴ニイルノダ。侵略ヲ受ケテイルノダロウ?」


 ヒトとエルフが争っていたとしても、必ずしも全員が全員を敵視しているわけではない。様々な経緯や立場が、事情を複雑化させている。ネイハヤートが物語りに触れるのは何百年以来か? そんなドラゴンに、人間社会のあれやこれやを一から十まで語るにはいささか退屈だろう。俺は吟遊詩人ではないので、その辺りをドラマチックに語る技量はない。そんな俺が、たった一言ですべてを言い表すならば、この言葉しかありえない。


「それは、俺が彼女を愛しているからだ!」


 ひゃっと息を呑む音が隣で聞こえたが、今だけは絶対にそちらを向くことはできない。向けるものか。

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