第39話 最後の夜

 俺の告白を聞いたネイハヤートは、依然として沈黙を続けた。何を考えているのか俺には知る由もなかったが、なんでも良いから早く反応してほしかった。


 ドラゴンを前にしても羞恥心が勝るなんて、存外俺も繊細らしい。いや、図太いからこそだろうか?


「愛……ナルホド。貴様ハ番(つがい)ノ命ノ代ワリニヒトノ持ツ新タナ魔法ニツイテノ情報ヲ持参シタトイウノカ」

「そうだ」

「全テヲ聞キ出シタ後、我ガ大人シク貴様ラヲ解放スル保証ハナイゾ」


 ネイハヤートの言う通りだ。俺の口八丁も所詮は時間稼ぎ。カードを切り尽くしたら、後は暴力の世界となろう。ならば、奴に知能があることに感謝し、せめて最後の夜を与えられることを願うか。


「ならばひとつだけ約束しろ」

「何カ」

「喰らうなら、俺だけを」

「ヨアン!??!」


 俺が身代わりになることなど、彼女が望んでいないことは知っている。だが、ここに来ようと思った時から、こうなることは覚悟していた。何があってもリリヤドールだけは守ってみせる、と。それに発案者の責任もある。


 まあ、リリヤドールが新たなレンを見つけた時のことを考えると少し妬けるが、それは彼女には内緒だ。


「俺は、お前のレンであれて幸せだったのだ」

「死ぬならば一緒じゃ!」


 俺は幼いレンの小さな顔に手を当てる。この寒いのに顔が熱い。


「いいや、お前は生きろ」


 どうすれば納得してくれるだろうか、などと無意味なことは考えない。すべての采配はネイハヤートに委ねられるのだから、奴と約束を取り付けさえできれば、リリヤドールの意思など無関係に彼女に生きながらえさせることができるはずだ。


「わしも、お主と同じ、すべてを失ったのじゃぞ! さらにレンまで失えと申すか! どうかわしを幸せにしてくれ」

「だが、もうそれは叶わぬ」


 吐き捨てるように言って俺はリリヤドールから顔を背け、黙ってみてくれている心の広いドラゴンへと向き直った。この俺とリリヤドールの一連のやり取りを見て、少しでも哀れんでくれれば良いのだが。


「いいや、わしの幸せは常にお主と伴にあるのじゃ! 生けるときも、そして、死するときも」

「……」


 もう、彼女の言葉に反応さえ返さない。

 俺の決意が通じたのか、ネイハヤートは言葉には出さずに深く鷹揚に頷き、了承してくれたのだった。


「な!? このわからず屋! ばかもの! ばかもの!!」


 暴れるリリヤドールをきつく抱きしめ、俺はその場に座り込む。そして順を追って銃と魔法の歴史をネイハヤートに伝えていった。





 俺は一晩の猶予をもらった。明日の朝にはドラゴンの胃袋に収まってしまう俺に、ネイハヤートは最愛の者との別れの時間を与えてくれたのだ。


「このばかもの……」


 俺の胸で泣き疲れたリリヤドール。もう声もろくに出ていない。彼女の顔を優しく包み込んで、涙でカピカピになった目元を親指で拭った。


「あまり見るでない」

「見せておくれよ。もう最後なのだ」


 俺は彼女の小さな唇に自分の唇を重ねた。離すと、


「これでは顔が見えぬのではないか?」


 と、リリヤドールは笑った。


「それにしても、どうしてあのような嘘を吐いたのじゃ?」

「嘘?」

「謁見の間で、わしが捕らえられた時、わしが乙女だなどと。こうして、口づけをしたのは本当のことじゃろう?」


 エルフのなかではキスの経験の有無が純潔か否かの基準になるのかといえば、けっしてそうではない。リリヤドールが俺の子を欲しがったことからも明らかだ。


「口づけでは子供はできないんだよ」


 そう告げるとリリヤドールは、つぶらな瞳をさらに丸くして驚いた。俺の胸に顔を埋めるリリヤドール。無知だった自分を恥じるかと思いきや、彼女は甘い声で俺に懇願した。


「ならば、今度こそわしに、お主の子を授けてくれ?」


 もとより最後の夜なのだ。

 俺は、俺の子をねだる唇に、何度も何度も自分の唇を重ね合わせた。リリヤドールの顔を包んでいた手も、彼女の温もりを感じようと、肩や背中をきつく撫でた。彼女が痛いと言えば、優しく撫でた。ふたりの間にある布切れに、どうしようもないまどろっこしさを感じたら、俺のローブのなかに小さな彼女を招き入れた。



 その夜は特別星が明るくて、リリヤドールの輪郭をぼんやりと青白く映し出した。彼女は恥ずかしいと言って細い腕で隠そうとしたが、もう最後だからと言って手をどかせた。卑怯だろうか?

 彼女の肢体は細くて、柔らかくて、汗の匂いがして、触れるとところどころに砂埃を感じた。砂埃を指で拭うと、つるりとした陶器のようになめらかで、しかしできたてのパンのように柔らかい肌が現れた。

 幼い体躯。腕を回すとすっぽりと体の中に入り込む。


 いい加減、喋(ついば)むようなキスに飽きると、湿った吐息を漏らす彼女の唇を甘く噛んでキスをした。小さな口のなかに舌を忍び込ませて、彼女の舌を誘い出す。


「んはぁ……んんっ、ちゅ、ちゅぱ……んあぁ」


 ねっとりと粘液を絡ませて、お互いの熱を感じて、交換した。


 何度も何度も彼女の小さな肢体にキスをした。動物が自分の匂いを相手に擦り付けるようにキスをした。前髪を上げると現れる狭い額にキスをした。上気して熱くなっている長い耳にキスをした。乱れた息が通って、唾を飲み込む度に動く華奢な首筋にキスをした。本人は少しコンプレックスに感じているらしい膨らみかけの胸にキスをした。嬌声に呼応して苦しそうに捻れる背中にキスをした。強張って震える下腹部にキスをした。


「あっ……うう…………んっ……よあ、よあんっ……」


 リリヤドールは何度も俺の名を呼んだ。その甘えた声がとても愛おしくて、俺は彼女の肢体を夢中に貪った。彼女もまた、俺の身体を愛してくれた。細くて頼りない手が俺に触れる。たどたどしささえも可愛くて、華奢な指が俺を這う度に、彼女への愛情が溢れて、抑えきれない劣情が、また彼女へと向かって、熱に浮かされるように俺たちは求めあった。


「はあっ、はっ、はっ、はっ、あ、あああ、あああああああああああああああああああああああああああ」


 その時、それまで規則的だった彼女の艶っぽい呼気が乱れた。嬌声が星空へ木霊して、さらに俺を狂わせた。自分の鼓動と息遣いがひどく五月蝿くて、どうしようもなく必死で。彼女の声だけを感じていたいのに!


 ふと、イラつく俺の顔にリリヤドールの熱い手が触れる。


「よあん」


 蕩けるような声が鼓膜をくすぐって、また愛しい気持ちになった。


「……リリヤドール」

「よあん」


 彼女の名を呼ぶと、すぐに呼び返してくれる。


「リリヤドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリヤドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリヤドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリヤドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリヤドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」

「リリアドール」

「よあん」


 星空の下で何度も何度も名を呼びあった。求めあった。感じあった。時折、リリヤドールはきつく俺を抱きしめた。その度に猛烈な幸福感で俺は満たされた。


 どうか俺を忘れないで。言葉の代わりに俺は、最後に愛をリリヤドールに残した。その愛を、大事そうに抱えるように感じる彼女。闇夜で表情が見えないと顔を近づけると、彼女はなんとも幸せそうな微笑みを浮かべていた。


「やはりお主はわかっておらぬな。お主のおらぬ何百年など、わしにとってはただの地獄じゃというに」


 すまないと、謝ろうかと思った。だが彼女を困らせたくなくて俺は、また唇で彼女の口を塞いだのだった。


















 朝、目覚めると俺はひどく動揺した。

 昨晩の幸福感が一転して絶望感へと変わった。


 どこにもリリヤドールの姿がなかったのだ。そしてネイハヤートも塒から消え去っていた。

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