第36話 合流、脱出
ユヅモの言ったとおり、上層への階段に衛兵の影はひとつもなかった。それどころか召使いの類さえいない。
もしかして、この緊急事態にすでに避難した後なのか?
だとすれば”御座敷”と呼ばれる場所にリリヤドールはいるのだろうか。疑問が浮上する。だが、無駄足を踏むかもしれなくても行かないわけにはいかない。
もぬけの殻の王宮のさらに上層へ。徐々に細くなる木の幹。やがて階段の終わりが見えて、急いで上りきると、そこには小さな家が佇んでいた。
扉付近には怪しげな文様や符のようなものが貼り付けられていて、まるで何かを封印しているようにも見えた。扉にとってがないことから、押して開けるものだということを窺い知ることができる。
「むっ、ん!」
しかしいくら押してもびくともしない。裏から閂でもかけられているのか。それともこの物々しい符や文様の効果なのか。どちらにせよ手をこまねいている時間はない。外から開かないように鍵がかけられているということは、中に誰かがいる可能性は高いということだ。
「おい! リリヤドール! もしも扉の近くにいたら離れるんだ! そして防御障壁を展開しろ! 爆破する!」
そう叫ぶと扉の向こうから「ひあっ」と慌てた声が聞こえてきた。
なんだ、いるじゃないか。
安堵した俺は、破片が飛んでこないようにある程度距離を取り、ライフルを構えた。照準を扉の中心に合わせて爆裂魔法弾に魔力を込める。そして発砲。激しい爆発音をあげて木製の扉が爆発した。
とはいえ扉は厚く頑丈なものだ。派手な爆発だったが、対人用の爆裂魔法ではせいぜい着弾地点付近に小さな穴を開けるくらいだ。だが、扉を開けられればそれで良いのだ。俺はすぐにかけより扉に手をかける。閂か魔法か、とにかく扉を施錠していた要因は排除できたようだ。押す俺の手に反応して、扉はギギギと音をたてて開いた。
「ヨアン!」
扉の隙間をくぐり抜けた俺にリリヤドールが駆け寄ってきた。周囲には誰もおおらず彼女ひとりだ。
「他の者たちは? 世話付きもいないのか?」
「……ヨ、ヨアンが来てくれたから大丈夫じゃっ」
そういうことを言っているのではないのだが。いない者を責めても仕方のないことなのは確かだが、腹立たしいものは腹立たしい。だが、その者たちがいないことで俺がリリヤドールを容易く連れ出すことができるのも事実だ。
「行こう。いずれここにも奴らはやってくるはずだ」
「奴らとは誰のことじゃ? 下がやけに騒がしいが、いったい何が起こっておるのじゃ? ニヤラの霧が晴れておるのは、どういうことじゃ?!」
霧が晴れている。そう言われて得心がいった。数日前に感じた空気の変化というのはトーヤが霧の結界を解いた影響だったのだ。
「霧はおそらくトーヤが解いた。そして捕らえられた俺たちを救い出すためにフィンドハルト伯に助けを求めに行った。だが、下では戦争が始まってしまっていた。もしかしたらトーヤは騙されたのかもしれない」
「そんな……お兄さまは大丈夫なのか?」
「わからない。俺は、牢屋から出てすぐにここに向かったから」
兄の安否がわからないことにリリヤドールは顔を青ざめさせた。
「わ、わしがお役目を拒んだからじゃ……あの時、お兄さまの手を取らなんだら、このようなことにはっ」
「馬鹿を言うな! お前は俺と出逢わなくても良かったと言うのか?」
「そんなこと!」
「何かを得るために何かを失う。それは世の常だ。ならばお前は自分のために生きろ」
「じゃが――」
その通りだ。どれだけ慰めの言葉を並べられても割り切れないこともある。
「だから、俺たちで助けを呼びに行くのだ」
「助け?」
その助けとなるはずだったフィンドハルト伯に裏切られたのではないかと、リリヤドールは視線で訴えた。
「そうだ。冬の王」
「ネイハヤート!? じゃがそれはっ」
「もちろんお前を差し出しにいくわけではないぞ。もう冬が来たぞと、奴を叩き起こしに行くのだ。生贄によって厳冬を乗り切ってきたニヤラだが、それがなくなればこの辺りは一気に真冬になる。このような急な侵攻で、フィンドハルト伯が越冬の準備をしてきているとは到底思えない。ならば寒さに耐えかねた伯は軍を引かざるを得ないだろう」
「じゃがそれではニヤラも」
「ネイハヤートがもたらす厳冬の用意をしていないのだから、多くの犠牲者がでるだろうな」
「……何か、何か良い方法はないのかの?」
二者択一だと言ってもこれでは酷すぎると、リリヤドールは絶望の影をその表情に落とす。
俺も、トーヤが一緒に行ってくれればどれだけ心強いだろう。だが、それは叶わない。
「どこにいるかわからないトーヤを探している間にも、多くのエルフたちが死んでいくんだ」
なんて残酷な言い方だろう。トーヤは俺の命の恩人でもあるというのに、その妹に見捨てろと言うことしかできない。
「そんな……お兄さまはわしを救ってくれたのに!」
トーヤの努力は実らなかった。だが、それでもトーヤはリリヤドールにとっても命の恩人なのだ。なんとかしたいという気持ちは痛いほど理解できた。
「……わかった。俺と一緒なら、お前に危険が及ぶこともないだろう。念のために耳は隠しておけよ」
「うむ!」
トーヤを探すと決めた俺たちは、まず自分が収監されていた牢屋へ向かった。彼がフィンドハルト伯に会いに行ったのは、捕らえられてしまった俺たちを助けるためだ。ならばニヤラに戻ってきたトーヤは、混乱に乗じて俺たちを救い出そうとしにくるだろう。そう踏んだが、牢屋にもそこまでの道中にもトーヤの姿はなかった。
「次はフィンドハルト軍の指揮所だ」
もしかしたらフィンドハルト伯軍に捕まってしまったのかもしれない。王子であるトーヤは良い人質になるだろうから。
主戦場を避けるようにニヤラのなかを回り込んでフィンドハルト軍の陣営へと走った。
だが、トーヤが裏切られた以上、フィンドハルト伯を信頼することはできない。リリヤドールを連れていけばどうなるか。嫌な予感しかしない。ならばリリヤドールを置いて俺だけで向かうか。かなり不安だがそれしか選択肢がないのであれば仕方がない。
どこが安全かなどわかりはしないから、せめてニヤラのハズレの小屋にリリヤドールを連れて行く。ドンパチは聞こえてこないから、戦場とはそれなりに距離があると思う。
「いいかリリヤドール、俺が行って見てくるから、お前はここで待ってていてくれ」
「わしをっ――……うむ、気をつけての」
何か言いかけたリリヤドールは、それを最後まで口にすることなく俺を送り出す言葉を不安げに口にした。
後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも俺が、小屋の扉に手をかけたその時、何者かによって向こう側からも開ける力が加えられた。内側からは引いて開ける扉だったために、向こう側にいた人物は、急に開いた扉に釣られるように、小屋の中にその身を投げ出した。
驚いたのは一瞬。俺はすぐにライフルを構えた。だが、その何者かに向けられた銃口はすぐに地面を向くことになる。
「トーヤ!」「お兄さま!」
乱入者がトーヤだったからだ。
「いってて……。ふたりとも、無事だったか」
「それはこっちの台詞だ!」
「そう怒鳴るなよ。こっちだって必死だったんだ。奴ら、ニヤラに到着するなりいきなり発砲しやがった」
「逃げてきたのか」
「そう。危うく捕らえられそうになってね、慌てて誘眠の魔法を使ったよ」
「そうか……」
俺とリリヤドールは顔を突き合わせて安堵の息を吐いた。
「それで、走っていたら偶然この小屋に入っていくお前たちを見つけたんだ。ふたりは俺を探してたのか?」
「ああ」
「そうか、会えて良かった……」
本当に。もしもすれ違っていたらと考えると笑えない。
必死に走ってきたのだろう。トーヤの息はなかなか整わない。だが、激しい運動の後だと言うのに彼の顔は真っ青だった。
「トーヤ、もう俺たちの力でどうにかできる段階を越えてしまっている」
トーヤの心境は理解できるが、前に進まなければならない。
「だから助力を請いに行こう」
俺は、家族も国もすべて失ってしまったが、トーヤはまだ失っていないのだから。
「助力って、一体誰に。まさかクリャンス王国なんて言うんじゃないだろうな」
「まさか、そんなこと言うわけないだろう」
「じゃあ――!」
「冬の王ネイハヤートさ」
「はあ?」
やはりトーヤも素っ頓狂な声をあげた。きっと、エルフであればでてこなかった策だろう。だが、エルフであってもトーヤは瞬時に理解した。もとより生贄という悪習を廃止しようとしていたのだから、ニヤラをネイハヤートがもたらす厳冬に晒すという選択肢は、彼のなかでけっしてありえないものではなかったのだ。
「…………わかった」
だが、これが彼にとって苦渋の選択だということに変わりはなかった。どんな言葉で取り繕ってみても、現在のニヤラの窮地は、彼の行動の結果がもたらしたものなのだから。
ニヤラを脱出するまでの打ち合わせを済まし、俺たちは小屋を出る。
「こっちだ」
先導するトーヤの後を追い、ネイハヤートの住まう北へと足を向けた。その時、少し前を行くトーヤがガクンと膝から崩れ落ちた。遅れて、乾いた銃声が森に木霊した。
「伏せろ!」
森に反響した銃声は、俺に狙撃手の位置の特定を困難にさせた。しかし幸いだったのはここが起伏に富んだ森の地面だったことだ。太い木の根は身を隠すのに絶好の障害物になる。
「お兄さま!」
声を上げるリリヤドール。俺は射線に飛び出そうとするリリヤドールの襟首を掴み木の陰に放り投げると、彼女の代わりに倒れるトーヤに手を伸ばした。
だが、全ては遅かった。
次の瞬間、トーヤの脇腹に爆裂魔法弾が命中したのだ。
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