第35話 混乱の最中
俺は走った。走ったが、ギャムが見えなくなるとすぐに足を止めた。俺はニヤラの地理に詳しくはないし、リリヤドールがどこにいるかもわからない。彼女の生贄の役割というのはまだ有効だろうから、どこかに捕らえられていることは想像できる。だがそれがどこかはわからない。しかもこの状況……
「脱走がバレれば射殺されそうだ」
戦いの音が響き渡る森の中で、俺はエルフたちにとって紛れもなく敵だ。脱走し、走り回っている姿は、さぞ怪しく見えるだろう。
単独行動している者を捕らえて尋問してみるか。道がわからなければ通りがかりの者に尋ねる。それは俺が今回の旅で学んだことのひとつだ。だが、今それを実践するにはいささか以上にリスキーだと思った。なぜなら、彼らの「眠れ」という一言で俺は意識を手放してしまうのだから。だから、もし仮に尋問が成功しても、その場から立ち去る時、俺はその者を殺さねばならないだろう。
できれば殺したくはないと考えている自分に気づいて俺は、思わず自嘲した。ついこの間まで、同族であるヒトを相手に戦争し、つい先日も列車のなかで何人も撃ち殺したというのに。
とにかく王宮へ行こう。俺が謁見のためにライフルを預けたのは王宮なのだから。
ニヤラが立体的な構造の割に迷いにくいのは、樹上にいる限り見晴らしが良いからだ。木々に渡された橋や、木の幹に巻き付くように設置された回廊は複雑怪奇だが、少なくとも方向を見失うことはない。王宮はニヤラで最も大きな木に作られているから、それを目指せば良いのだ。
道中、洗濯物のマントを拝借し、代わりに今まで着ていた襤褸を頭に巻きつける。エルフのほとんどが金髪と長い耳を持っているため、俺のような赤い髪は目立って仕方がない。王宮に近づくにつれ、人は増えていった。だが先入観というのは大したもので、頭を隠し、エルフの伝統模様のあしらわれたマントを羽織って堂々としていれば、意外とバレないものである。
王宮に着いた俺はまず最初に謁見の間の控室へ向かった。ライフルを預けた場所だからだ。その後、捕らえられてしまったので行方はわからないが、まだ控室にあるだろうか。控室というのは一時的に利用する部屋だ。だからたとえ荷物であっても、今頃はきちんと保管庫のような場所に移動させられているか、さもなくば廃棄されているだろう。
最初から見つかるなどとは思っていなかったが、予想に反してライフルも弾薬ポーチも控室に無造作に放置されたままだった。
「本当に興味がないのだな」
敵の武器なのに、それを分析しようともしない。トーヤが呆れるのも無理はない。
爆裂魔法弾を装填して短剣も帯びる。流石に銃を掲げて走り回っては服装で誤魔化しても無理があるだろう。
控室の扉をゆっくりと開ける。相変わらず役人らしき者たちが、慌ただしく行き来している。ふと、人の波が途絶えた時、ひとりの若いエルフが通りがかった。やはり金髪の見目麗しい少年だ。俺よりも若く見えるが、ずっと歳上なのだろう。
俺は、少年が近くを通るタイミングを見計らって、彼の背後から襲いかかった。部屋に引きずり込み、ろくな抵抗もできない少年の身体の上にのしかかる。そして片手で口を押さえ、もう片方の手で短剣をチラつかせた。
「抵抗したり魔法を使おうとしたら殺す」
そう脅すと少年は慌ててコクコクと首を縦に振った。そっと口から手をどける。そして名を尋ねた。
「俺はヨアンだ。お前は?」
「……ユヅモ」
俺を睨みつける少年。だがまともに受け答えができることに俺は安堵した。
「答えろ、リリヤドールはどこだ?」
「姫は大切な贄だ。それを連れ去ろうとしている者に。その居場所を教えるわけがないだろう」
「理解が早くて助かるのは、協力してくれた時だけだ」
流石に易安と答えてはくれないらしい。何か意図口を見つけないと。
この少年は俺が何者かを知っているらしい。ユヅモがこの国の中心に近い人物だからなのか、それとも俺が有名人だからなのか。前者なら好都合だが、
若者を選んだのには理由があった。たまたま通りがかったからというだけではない。
「なぜトーヤを裏切ったのだ」
これを問いただしたかったのだ。ユヅモは一瞬悔しそうに目を細めたが、それはすぐに俺への敵意へと変化した。
「ヒトのお前にはわからないさ」
不可解な言い回しだ。事情を知らないことを指摘するなら、余所者だから、ではないのか?
「どういう意味だ?」
「お前、ヒトだろう? 聞けはヒトは数十年しか生きないというらしいじゃないか。悪いことをして、罰を受けても監獄に入るのはたかだか数年か? 僕たちエルフは数百年の時を監獄で過ごすことになるんだ。反逆罪なら一族もろともだッ」
「それで臆したあげく、トーヤを裏切ったのか。変革を望んだくせに犠牲にはなりたくないと?」
ユヅモたちの決断を責められるのはトーヤだけだ。少なくとも俺にそれをする権利はない。だが、ユヅモは重大な勘違いをしている。そこは訂正してやるのが優しさというものだ。
「安心しろ。数百年の禁固刑にはならないさ。反逆罪は死罪だからな」
普通は画策しただけでも問答無用で罪が適用されるものだが、そこは何らかの取引があったのだろう。
「……とにかく、フィンドハルト伯の侵攻を許した今、お前たちに待っているのは悪夢しかない。一時はトーヤの誘いに乗ったお前だ、近代化された軍隊の脅威は知っているんだろ?」
ユヅモは沈黙した。図星だからか? それとも切り札があると? どちらでも構わない。
「お前にいい言葉を教えてやろう。レギニアに伝わる格言のようなものだ」
「……なんだよ」
「ピンチはチャンス、だ」
「はあ?」
ピンチというのが近代化された軍隊に攻め込まれている今だ。それをどうチャンスと捉えれば良いのか。ユヅモは怪訝そうに俺を睨む。
「フィンドハルト伯の軍事力を利用すれば良いのだ」
「何に利用するっていうんだ」
「冬を控えたこの時期に、それはたった一つしかないだろう。冬の王ネイハヤートの討伐さ」
「なっ――」
突拍子もないことだと、ユヅモは思っただろう。だがそう主張しようとした彼を俺は遮って言葉を続けた。
「どのみち連中がニヤラを占領する気なら、ネイハヤートの驚異は取り除かなければならない問題となるだろう。奴らが、エルフが生贄を使ってネイハヤートの被害を凌いできたと知れば、まるで家畜にようにエルフは養殖されるようになるぞ。だが、生贄という存在を知らなければ、奴らはきっと自前の軍隊でドラゴン討伐へと繰り出すはずだ。厄介者同士での潰しあい。お前たちにとってこれ以上の好都合などないだろう」
ユヅモは否定しかけた口を再び閉ざす。あと一息。俺はさらに言葉を尽くした。
「なに、お前がリリヤドールの場所を俺に話したことは誰も知らないのだ。それともトーヤの守りたかった妹を今見殺しにして、数百年の時を罪悪感とともに過ごすか? すべてが終わった後、胸を張ってトーヤに会えるように、お前は俺にリリヤドールの命運を託すべきなのだ」
「……なぜ、お前がそこまでするんだ」
すでに答えは決まっていたのだろう。ユヅモの最後の抵抗は、愚問だった。
「決まっているだろう。俺が、あいつのレンだからだ」
レンという存在の重さはエルフであるユヅモの方が良く知っている。レンを助けるためならどんなことだってする。それは彼らにとって当然のことで、レンとはすべての苦難の理由になりえるものだ。
「……王宮の上層が王族の居住区だ。そのさらに上の層に”御座敷”がある。普段は警備が厳重で、一部の決められた者しか通れないが、混乱している今なら警備も手薄になっているはずだ」
「上へ続く階段はどこだ」
「この部屋を出て左にまっすぐ行けば突き当たる」
俺はユヅモの上からどいて、ようやく彼を解放した。そして部屋を出ようとした俺をユヅモが引き止めた。
「答えろ」
振り返るとユヅモは力なく床に座り込んで、恨めしそうに俺を睨んでいた。
「何をだ」
「どうすれば奴らを利用できる」
彼も、どうすればわからないのだ。友を裏切り、信念とは違うことを悔恨を抱えながら、それでも守るべき家族のために許していた。そして今、自分が諦めていたことを諦めていない奴が目の前に現れた。そいつは迷いのない目で、自分には及びもつかない方法を言ってのけた。そういう時、得てして人は考えることを止めるものだ。
「俺に任せろ」
全くの嘘ではないけれど、半分以上は後ろから刺されないための打算だ。こんな自分が嫌になるよ。
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