第34話 どちらを選んでも悪夢だというのなら

 ギャムがトーヤに助けを呼んでくるように話している間、俺は後ろでふたりの会話を黙って聞いていた。この現状が信念を貫いた結果だというのなら、トーヤを責める気にはならない。だがギャムが悪態のひとつも吐かないのはとても不可解だった。それほどまでにフィンドハルト伯を信頼しているのか。よほどできた人間なのか。それとも他に何か理由があるのか。ギャム以外の調査団の団員たちの、一様に不安がっているところをみると、何かしらの企みがあるわけでもなさそうだ。


「フィンドハルト伯は間に合うと思うか?」

「間に合っていただかないと、処刑されてしまいます」


 肩を竦めるギャムに、楽天的だなあと呆れたその時、あたりの雰囲気が一変した。何がどう変わったかは具体的には説明できない。だがギャムも感じたようで、俺たちは顔を突き合わせた。


「……何でしょうか」


 牢屋の入り口のほうで騒がしい声がして、しばらくして看守が姿を見せた。


「何かあったのか?」


 そう尋ねたが、看守は「お前たちには関係ないことだ」と言って教えてはくれなかった。


 何かが起こったのは間違いなく、それがトーヤの仕業であることも予想できた。だが監房の内から感じる外の慌ただしさは、その日のうちに収まり、それ以降、数日間、特に大きな変化もなく肩透かしを食らったような気さえした。


 数日前の空気の変化は何だったのだろうか。トーヤは無事フィンドハルト伯に会うことができたのだろうか。考えても仕方のないことを、それでも考えてしまう。そんな数日間を過ごした。そして、その日は唐突にやってきた。



 ある朝、監房の外がにわかに騒がしくなった。トーヤが出ていった日に起こったような、空気の変化は感じられなかったが、どうやら何かが起こったらしい。騒がしさは昼になっても止むことがなく、門番をしているであろう看守に大声で尋ねても、姿を見せるどころか返事が返ってくることさえなかった。


「フィンドハルトさまの軍が到着したに違いありません!」


 ギャムは嬉々として訴えた。確かにトーヤが出発してからの日数を考えれば十分可能性はあった。そして状況的にもそう考えるのが一番妥当だ。


「出るか? 看守の目はなさそうだが」

「ええ、出ましょう。殿下は魔道師なのですよね? 古典魔法はお使いになるのですか?」

「儀式用のものだけだが」

「私も簡単なものしか使えません」

「では火属性の魔法を格子に当ててみようか」


 古典魔法などノルバレン大公国との戦争の時の出陣式以来だ。本来なら短杖をガイドに魔力をコントールするが、今はそれがないので人差し指をピンと立てた。そして魔力を指の先に集め、呪文を詠唱する。


「第二神カンカよ、侵しがたき神聖なる炎の神カンカよ、この一年、御身が炎と寄り添えたことに感謝いたします。またこれからも静寂と支配を司る神として我らに安寧をお与えください」


 格子のちょうど十字に組まれているところに狙いを定めて魔力を放つ。目標にぶつかると同時に炎が発現するが、すぐに消滅してしまった。同時に発動したギャムの魔法も、特に効果を発揮することはなかった。


「どのような魔法で?」

「建国祭の折、祭壇に聖火を灯す魔法だ。そっちは攻撃魔法か」

「はい。ですが効果はありませんでしたね。魔法に対する防御が施されているのでしょうか」

「エルフは我らよりも魔法に長けているからな」

「困りましたね」


 フィンドハルト伯軍の兵士が運良く俺たちを見つけてくれれば良いのだが、中を確認せずに入り口から火を投げ込まれでもしたら絶体絶命だ。だが脱出する方法が見つからない。ライフルがなければ爆裂魔法も使えないし……いや、ちょっと待てよ。


「もしかしたらいけるかもしれない」


 魔法弾が工場で大量生産されるようになってからはほとんど使うこともなくなってしまったが、教養として身につけさせられた技術がある。当時は役に立たないと不満に思ったこともあったが、今となっては何事も知っておくべきだと粘り強く教えてくれた教師には感謝したい気分だ。


「どうなさるんです?」


 ギャムの質問には答えず、俺は筆記用具になりそうなものを探した。だが牢屋にそんなものを持ち込めるわけもなく、同じ監房に収監されている調査員たちに尋ねてみても、揃って持っていないという返事が返ってきた。


「木に直接彫るのはどうです?」


 ギャムは呪文を唱え、石の杭を作った。杭は先が尖っていて、これなら十分使えそうだ。


「魔法陣ですか?」

「流石に理解が早いな」


 俺はギャムに作ってもらった杭の尖端で親指の腹を傷つけた。わずかにできた傷からぷくっと玉のような血が溢れた。それをインクの代りにして格子に魔法陣を描いた。


 木に彫らず、血液を用いた理由は、自身の血液が自身の魔力を通しやすいためだ。弾丸に使われる真銀鉛の代わりになると考えたのだ。

 使う魔法は焼夷魔法。爆裂魔法は流石に何のガードもない状況では使いたくない。焼夷魔法ならば少なくとも直接触れさえしなければ被害はない。数箇所の交差している部分に魔法陣を描き、順番に魔力を込めて発動していく。広範囲にわたる延焼を目的とした魔法だが、魔力の濃いニヤラではその威力はさほど効果を現さないようだ。数箇所に小ささな、しかし強力な炎が顕現し、格子を焼き切った。

 人の通れるだけの隙間を確保して無事脱出することができた俺たちは、慎重にあたりを窺いながら監獄内を進み、木の幹から顔を出した。


「おお!」


 歓喜の声を上げたのは、ギャム含む調査隊の面々だ。フィンドハルト伯の軍は、すでにニヤラの深くまで辿り着いており、青色の軍服を着た近代化された兵士の姿があちらこちらに見ることができたのだ。兵士たちはその最新式のライフルでエルフの戦士たちを次々と撃ち殺している。エルフたちも善戦しているようで、犠牲は両者にでているようだった。


「さあ、殿下、行きましょう。この軍の指揮官に一刻も早く無駄な戦いをやめるように伝えなければ!」


 ギャムが溌剌と口にして走り出した。その言葉の内容に対して表情があまりにも明るすぎるのが気がかりだが、俺も彼の後に続いて走った。


「そうだな。俺たちの無事を伝えられれば、会談の場も設けられるかもしれない」


 フィンドハルト伯とロッテン王が直接手を取り合えれば、エルフの近代化も当初の計画よりもスムーズに進めることができるはずだ。


「その前にやることがありますよ。いずれ条約を結ばせるにしても、まずはエルフらの心を挫かねば」

「え?」


 調査隊という名目があるのだからギャムたちは、少なくともエルフの近代化を支援する立場なはずだと、俺は思っていた。だから、ギャムの不穏な物言いに俺は思わず立ち止まってしまった。


「わかりませんか? そうですねえ……まずは森を焼きましょう。この森は魔力が濃すぎます。この環境になれているエルフどもに有利すぎる」


 どうしてだ? リリヤドールはギャムから害意は感じなかったと言っていたのに。

 わなわなと震える俺にギャムが見せたのは、悪意のない円な瞳だった。どうしてそんな目をして、そんな残酷なことが言えるのか理解できなかったが、それはギャムの発した次の言葉で理解できた。


「それにどれだけの数がいるかわからないエルフを無闇に殺してしまうのは勿体無いですよ。みたところエルフは皆美しい見た目ですし、私も殿下の連れていた雌のような、美しい奴隷を買いたいものです」


 ギャムは、彼らは、エルフを人間だとは思っていなかったのだ。敵対するほどの価値もない。家畜や犬猫といったペットと同じ存在なのだ。だから、敵意を感じることがなかった。ただ、それだけのことだったのだ。


 ギャムを行かせては駄目だ……


 だがギャムを止めても、フィンドハルト辺境伯軍のエルフへの侵掠を止めたことにはならない。むしろ、ギャムを止めたほうが、戦いによって殺されるエルフは増えてしまうだろう。戦いによって命を落とすか、奴隷として生きながらえるか。どちらがましかだなどと、選べるはずもない。ならば……


「トーヤ……リリヤドール……!」


 俺はギャムたちに背を向け、ニヤラの王宮へと走った。

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