第33話 それは過ちだろうか

「トーヤ!!」


 ヨアンが俺を見て叫んだ。その悲痛な視線から逃げるように目線を逸らすと、その先には今まさに連れ去られようとしている妹の姿があった。リリヤドールは、ひどく心細そうにヨアンの名を呼んでいた。その消え入りそうな声は、お前のレンに届いているのだろうか。


 やがてヨアンも牢屋へ戻され、謁見の間に残されたのは、今までの苦労が水疱に帰した惨めな俺だけになった。仲間だと思っていた奴らには裏切られてしまった。だから今はもう、本当に俺だけになってしまった。喪失感に苛まれる中、せめてリリヤドールだけでも救ってやりたいと父上に直訴したけど、聞き入れてもらえず、仲間を失ってしまった俺にできることなど何一つとしてありはしなかった。


 ヨアンもギャムたち調査隊のみんなも、ただ巻き込んだだけになってしまった。このまま放っておけば処刑されるか、拷問してから処刑されるか、さもなくば凍死か餓死だ。霧を越えてニヤラに入ったヒトに、年寄りたちが追放などという生易しい処置で済ますとは思えない。同胞たるエルフでさえ、救おうと努力しない連中なのだから。


「なんとかしてみんなだけでもニヤラから逃さなければ……!」


 俺は牢屋のある木へと急いだ。牢屋はニヤラでも二番目に大きな木をくり抜いて、その幹の中に設けてある。枝の上に建てられた建造物だと、簡単に破壊されてしまうからだ。その点、分厚い幹に守られた牢屋は、当然窓もなく、よりすぐりの戦士を看守に据えれば咎人の脱獄など不可能である。

 それはつまり、俺が彼らの脱出を手引きすることができないということだ。とはいえ、まさか諦めてくれと言うわけにもいかない。何か良い方法はないものかと考えているうちに牢屋の前に辿り着いてしまった。


「トーヤ王子!」


 俺に気づいたギャムが格子際に駆け寄ってきた。


「すみません……俺の力が至らぬばかりに」

「それよりもお願いしたいことがあります」

「……俺を、責めないのですか?」


 彼の話を遮ってまで尋ねることではなかった。前へ進むことよりも後ろを気にしてしまったのは、俺の女々しさが故だ。しかしギャムはにこりと笑って「不測の事態というのは、避けられないから不測の事態というのです」と笑ってくれた。


「お願いがあるのです。ここを出て、我が国に助けを呼びに行ってはいただけませんか? ルエーブルの街にフィンドハルト様がいらっしゃっているはずなのです。もしも伯に会うことができれば、きっとお力を貸していただけるはずです」


 フィンドハルト辺境伯の力を借りることができるかもしれない。その言葉に俺は希望の光を見た。しかし間に合うだろうか。

 急げば一日でルエーブルに辿り着くことはできると思う。しかしそこからフィンドハルト辺境伯と話をつけ、援軍を借り、またここへ戻ってくるとなると、帰りは倍以上の時間がかかってしまうだろう。霧の結界内ではぐれてしまえばニヤラに辿り着くことはできない。ならば霧の中では慎重な行軍を余儀なくされてしまう。


 そうだ、霧の結界を解除してしまえば、フィンドハルト伯の軍は迷うことなくニヤラを目指すことができる。


「わかりました」


 俺は走った。残された選択肢がなければ、行動は早いほうがいいからだ。俺のこの決断をヨアンは、考えなしだと叱るだろうか。けれど、そのヨアンを助ける唯一の方法が、フィンドハルト伯を頼ることなのだ。

 何千年もの間、何も変わらなかったエルフの社会を変えるには、巨大な力が必要だ。そのために百年の時を使って仲間を作った。けれど俺では役者不足だった。ならば外から必要な力を持ってくるしか道はない。フィンドハルト伯は、その力としては十分なものを持っている。


 だが彼らが外患の元凶となりうる可能性もある。フィンドハルト伯は自らその危険性を示唆したが、だからといってそれが信頼に繋がるわけではない。それでもヨアンを助けるために必要なことであれば、それによって生じる痛みはエルフに背負わせればいいと思っている。確かに近代兵器は強力だ。だが、場所がニヤラなら、エルフの優位は覆らない。沈殿した村社会に灸をすえるのに、これ以上都合のいい相手は存在しないだろう。


 そんな自棄っぱちな論理を免罪符のように掲げて俺は、結界を維持している祭壇へと走った。


 一年に一度の結界を維持するための儀式以外で立ち入ることは許されていない。ニヤラの重要な施設は樹上にあるけれど、この祭壇だけは土の上に設けられている。侵入者は常に地面を歩いてやってくるからだ。


 祭壇には、歴代の王族の魔力の結晶が飾られている。霧の発生装置だ。他者の魔力に干渉することはできないため、その結晶の管理は王族にしかできない。責任と危機管理を考えるなら、本来は王が独りで担うべき役割なのだろうけれど、ニヤラを世界から隠すような深い霧を生み出すほどの魔力を個人が負担することなど不可能だ。だから王子である俺も儀式に毎回参加して、この結晶に魔力を注ぎ込んでいる。そして、だからこそ、この結晶を破壊することもできるのだ。


 俺は結晶の傍に立ち、ポケットに手を突っ込んだ。


 霧を消せば、エルフは広大な世界にその身を晒すことになる。リリヤドールのレンを巡る旅で俺が見てきた世界は、ほんの一部でしかない。きっと想像もできないような複雑怪奇で摩訶不思議なものが広がっているのだ。そこに門戸を開くということが、本当にエルフの幸福に繋がることかどうかはわからない。けれど、霧の結界も万能ではない。いずれ列強によって破られるときが来るのだ。俺は、結界を破ったその誰かによってニヤラが侵略されてしまうのなら、自分から破ってこちらから世界に出るべきだと思うのだ。詭弁だと非難する者ばかりだけれど、もう、リリヤドールとヨアンを助けるにはこれしか方法がないから。


 通常の霧は水属性だが、ニヤラを包む霧の結界は生命属性である。だから天候や季節に関係なく結界を展開し続けることができるのだ。だが、そこに別の属性の魔力が混ざったら?

 純度一〇〇パーセントと、九十九パーセントとでは、一と〇ほど意味が違う。つまり、霧を晴らすには、魔力結晶に別属性の魔力を込めればいいのだ。


 ポケットから取り出したのは、いつかの湖で拾った土属性の魔石だ。それをそっと魔力結晶に触れさせ、押し出すように土属性の魔力を結晶に注ぎ込んだ。

 俺の魔力を溶媒として結晶に流れ込んだ土属性の魔力は、あっという間に魔力結晶を蝕み、結晶は端からその構造を崩壊させていった。

 封じ込められていた歴代王族の魔力が、いっきに溢れ出た。ものの数分で陰鬱とした白い闇から瑞々しい緑が姿を表し、あっという間に世界に彩度が甦った。

 鳴りを潜めていた虫や鳥たちの声が徐々に聞こえ始め、本来はこんなにも騒がしい森だったのだと気付かせてくれた。


「行こう」


 誰にというわけでもなく呟き、俺は森の外、ルエーブルの街を目指した。

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