第32話 嗚呼、俺は……
トーヤとリリヤドールを除いて謁見の間はすべてが俺の敵だった。当たり前だが、それらすべてを欺かなければならないと思うとうんざりした。
俺の正面には玉座。座するはトーヤとリリヤドールの実父ロッテン・クラークス・ヴェル・フォースト王。エルフは代々、親の名を引き継ぎ、それを姓とするらしい。ヒトであれば破綻しそうな風習だが、長命なエルフであれば成立するようだ。
玉座の右側にはトーヤが。そして兄妹を引き離すように、反対側にリリヤドールが座っている。
「さて、当事者なのだ、呼ばれた理由はわかっておるな?」
俺が腰を下ろすやいなや、仰々しい前口上も無しに、さっそくロッテン王が口を開いた。王たるもの、最低限取り繕わなければならない様式というものがあるだろうに、それすらも疎かにするあたり、俺は随分と軽視されているらしい。それともよほど苛ついているのだろうか。とても”婿殿”に対する態度ではない。
本当に、生贄を駄目にした不届き者でしかないのだな、俺は。
そう思うと、リリヤドールが哀れで仕方なかった。
「わかっています」
「トーヤの話によると、貴様はリリヤドールのレンだという。だから役目は果たせぬという。相違ないか?」
「はい。私はリリヤドールさまのレンです」
迷いなど見せることなく即答する。するとロッテン王は嫌悪感を顕にした。
「ふん、愚かしいことだ。ヒトの身である貴様に神聖なレンの何がわかるというのか。トーヤから聞いて言葉では知っているのだろう。だがいくら口でレンであると宣言したところで、真なる魂の結びは得られるわけもない」
トーヤは査問と言ったが、これでは査問ではなく、ただの魔女裁判だ。結局、結論は最初から決まっていたのだ。どれだけ俺たちがレンだと言い張っても、それを認知されなければその絆は存在しないと同然だ。だからこそ、彼女は既成事実を求めたのかもしれない。
俺は逡巡していた。リリヤドールが、あると思いこんでいる既成事実の話を今ここでするべきだろうか、と。普通に言っても聞き入れてもらえないのであれば、今度は切り札を切るしかない。もしロッテン王に信じて貰えれば、どんな結果になろうとも、少なくともリリヤドールの生贄という宿命だけは回避することができるだろう。だがどうにも不安なのだ。
トーヤとロッテン王の様子を窺うにリリヤドールはまだ話していないように見える。せめてトーヤに話してくれていれば、このカードが有効かどうかの評価をしてくれただろうに。
静まり返る謁見の間に、控えめな幼い声が響いた。
「……子が、おるのじゃ」
誰もがリリヤドールに注目した。彼女はもじもじと顔を赤らめて恥ずかしそうにしている。
そうか、リリヤドールのなかでは真実なのだ。だから、いちいちトーヤに報告せずとも、すでにこの査問の結果は決まっていると考えたのだろう。
「はあ?」
だがリリヤドール以外にそれは伝わらない。当然ロッテン王は訝しげにリリヤドールを見た。
「わしは、ヨアンの子を孕んでおるのじゃ」
下腹部をなんとも愛おしげに撫でるリリヤドールの指は艶やかでさえある。
「それは真か?」
面を食らったロッテン王はトーヤに真偽を問うた。
「え、ええ、その通りです父上」
その様子だとやはりリリヤドールからは何も聞かされていなかったらしい。だが肯定して損はない。とっさのことだったがトーヤは深く頷いてみせた。それを見て頭を抱えるロッテン王。対照的に俺とトーヤ――確信があったリリヤドールは別だが――は、内心で安堵の息を吐いた。だが、そう上手くもいかないらしい。
ロッテン王が沙汰を下そうと口を開こうとしたその時、
「陛下、お待ちを」
と、落ち着いた口調で部下が立ち入ってきた。
「何用か」
「はっ、リリヤドール様がご懐妊ということですが、それには疑義がございます」
煩わしそうだった王の眉がピクリと動いた。
「詳しく話せ」
一転する状況。何か下手をうったか。バレるような何かがあるのか。トーヤが肯定したのだから、少なくともトーヤは勝算ありと踏んだはずだ。ぐるぐると巡る思考。だが俺には見守ることしかできない。
「はっ、先程、トーヤ様とその者が謁見の間へ向かう途中で交わされた会話ですが、その者がエルフの魔法に嘘を見破るものがあるかどうかをトーヤ様に尋ねておりました。それに対しトーヤさまは、もしもそのようなものがあるのであれば、リリヤドール様に……その、夜這いをかけさせていた……と」
あの会話を聞かれていた? 傍には誰もいなかったのに!
「つまりコレの言うことは嘘ということか」
ロッテン王は顎でリリヤドールを指した。
「なっ、嘘ではない!」
真実だと確信しているのだからリリヤドールは当然食い下がる。だがもう遅い。一度疑義がでた以上、信じてもらうには証拠が必要だ。もちろん証拠などありはしない。だから俺は否定したのだ。
「嘘だ! 俺は彼女を抱いていない!」
懸命に叫んだ。リリヤドールはこの世の終わりのような顔をした。裏切られたと思っただろう。彼女は本当に自分は妊娠していると思い込んでいるのだから。自惚れかもしれないが、俺だけには否定してほしくなかっただろう。だが、俺は否定した。
「トーヤが肯定したのもそうした方が有利になると思って話を合わせただけだ。そうだろ?」
俺は必死だった。だが真偽がわからない以上、確かめなければならない。いくら俺が否定してみせても、余所者である俺の言葉のどこを信頼できるだろうか。調査に莫大な手間と金が必要であれば、代わりの生贄が用意されただろう。だが、乙女か否かを調べるなど、五分もあれば終わることだ。王族とはいえ生贄として育てられたリリヤドールの名誉が、一体どれだけ大切に扱われるだろう。王は先程からリリヤドールを名前で呼んでいないというのに。
「どちらでも良い。確かめれば済むことだ。おい、これが姦通しているか確認せよ。連れて行け」
「はっ」
王の命令に一斉に動き出す側近たち。
「や、やめよ!」
じたばたと抵抗するリリヤドール。だがその幼い肢体で振りほどけるものなどありはしない。すぐに枷を嵌められ、身動きを封じられてしまった。その様を俺はただ黙って見ているしかなかった。
何かできることはあるだろうか?
ライフルもない、短剣もない、使える古典魔法は長い詠唱が必要な上にたいして役に立たないものばかりだ。力任せに暴れてみても、眠れと一言唱えられるだけで冷たい床に崩れ落ちてしまう。
「よ、よあ――!!」
顔だけしか動かせないリリヤドールは、悲痛な表情で俺の名を呼んだ。
もう、何を言っても彼女の尊厳は踏みにじられてしまうだろう。俺は失敗したのだ。役目を果たすことはできなかった。
絶望と、悔恨と、そして憤怒が俺のなかで渦巻いていた。それらの感情の根源にあるのは何だ? もうとっくに気づいているはずだ。いつの間にか俺は絆(ほだ)されていたのだ。エルフ社会でのレンの存在は、俺が思うよりもずっと高尚なものなのかもしれない。このような幼稚な感情はレンに相応しくないのかも。けれど……、けれど俺は幸福だったのだと思う。すべてを失った俺に生きる目的を与えてくれたリリヤドール。たとえ仮初めの関係でも、命を繋ぎ止められたのは彼女と出会えたからだ。ならば今、この恩を還すべき時だ。
いいや、そんな他人行儀はよそう。
「待て!」
俺は懸命に叫んだ。
「リリヤドールは俺のレンだ! 何人も彼女を穢すことは許されない!」
懸命に愛を叫んだ。
「生贄がレンを持つことは許されていない」
「前例があるはずだ!」
ここまでの旅で、俺は確かに幸せだったのだ。それなのに、御託を並べて認めようとしなかったのは、一族の喪に服していたつもりなのか。
「それを認めるようであれば禁忌などにはしておらぬ」
何を言っても聞く耳を持ってくれないロッテン王。すでにリリヤドールは謁見の間から連れ去られようとしている。
「トーヤ!!」
救いたい少女の兄を煽るという、最後の足掻きにしてはあまりにもみっともない姿を晒しても、結果を変えるには至らず、結局俺は冷たい牢屋へと逆戻りとなってしまった。
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