第29話 ルグロー海峡

 トーヤの言葉を受けてフィンドハルト伯はエルフの近代化のパートナーを引き受けることを承諾した。一刻も早く工業化を成し遂げなければならないと意気込むトーヤにフィンドハルト伯は、二十名からなる調査隊の同行を提案した。現地の状況がわからなければ工場一つ建てるにしてもプランが立てられない。フィンドハルト伯をいまいち信用しきれない俺が同意することはなかったが、伯の言うことも理解できるし、エルフの生贄という悪習を断つために必要なことだと思えば反対することもなかった。


 出港が四日後にずれ込んだのは、調査隊を組織するための時間が必要だったからだ。シフォニ王宮には知られずにそれなりの人材を集めなければならなかったが、そのわりには迅速な対応だったと思う。

 そして船に乗り込む前に、しばらくの間ともに旅をする調査隊の面々と顔合わせをすることになった。

 調査隊は、調査員が五名と護衛の兵士が十五名という内訳だ。急ぎとはいえ少数精鋭という形をとったのは、フィンドハルト伯の配慮だろうか、それとも単に時間がなかっただけか。いずれにせよ、この程度の人数であれば、たとえ暴れられても大きな問題には発展しないだろう。

 調査隊の隊長は研究者のギャム・フリンクトン子爵。王立大学で魔力の研究をしているらしい。おかっぱ頭に眼鏡という冴えない見た目の青年だった。


「この度はフィンドハルト様からレデルハイトの森林地帯の調査を命じられましたギャム・フリンクトンでございます。ヨアン王子にお目にかかることができ、誠に光栄にございます。短い付き合いになるかと存じますが、どうぞよろしくおねがいします」


 俺の前で丁寧に頭を下げるギャム。彼に政治的な野心は感じられず、むしろ真面目そうな印象を受けた。実際、二十七歳という若さでそれなりの研究実績を上げているらしい。


「ああ、よろしく頼む」


 俺の後に続いてトーヤとリリヤドールも頭を下げた。エルフの兄妹――特にリリヤドールの姿を見てギャムは思わず息を呑んだ。そしてすぐに柔らかな笑みを湛えた。エルフを目撃したヒトの反応としては見慣れたものだった。ギャムの気持ちはおおいにわかるが、毎度のこと過ぎて呆れてしまった。



 挨拶もほどほどに、俺たちはいよいよ港へ向かった。シフォニ王国の誇る巨大な商船を前にリリヤドールは、目を丸くして「こんなものが海に浮かぶわけがなかろう」と慄いていた。


「今浮かんでるんだよ」


 そう教えてやると、恐る恐る波止場から海を覗き込み「車輪がついておるのではないか?」と、黒い海の底を指さした。どこまで本気なのか謎だが、彼女の表情は真剣そのものだった。



 船に乗り込み出港する。シフォニ王国の誇る大型の蒸気貨物船、シッズアー号だ。心臓を揺らすような大きな汽笛を鳴らし、モクモクと黒煙を上げてゆっくりと動き出す。

 甲板ではリリヤドールが揺れる地面と鼻につく潮の香りに興奮している。彼女は今回のトーヤの決断をどう思っているのだろう。トーヤがフィンドハルト伯に請願して以来、リリヤドールはそのことについて何かを口にすることはなかった。それは含むところがあったからではないのか?


「お前はどう思っているんだ?」


 甲板の上でぴょんぴょんジャンプしては足元を確認しているリリヤドール。一体何をしているのか。リリヤドールは顔を上げてその無垢な眼差しを俺に向けた。


「足元が揺れておるというのは不思議なものじゃな。跳んで降りたらずれるのかの……とととっ。そうじゃのう、あの者の腹は見えぬが、お兄さまだってあの者を利用しようとしておるわけじゃし、他者を頼る以上、危うさがあるのは仕方のないことじゃとは思う」

「リリヤドールは、傍で見ていてフィンドハルト伯に害意があるとは感じなかったのか?」

「わからぬ。好意も悪意もなーんにも感じられなんだぞ」

「そうか……お前個人はどう思っているのだ?」


 分析ではなく個人的な好き気嫌いを尋ねると、リリヤドールは揺れに合わせて遊ばせていた足をきちっと甲板の上につけて俺に向き直った。


「わしは……難しいことはわからぬが、ニヤラの発展がお兄さまの悲願で、それを達成したらわしのような者が必要なくなるというのであれば、それはよいことじゃと思う」


 眉をハの字にした笑みは、いったいどんな感情の表れなのか。

 他にいい案があれば良かったとか、もっと時間があれば良かったとか、欲を言えばキリがない。欲を言いたくなるのは、それがけっして補われることがないからだ。であればトーヤのとった作戦が最善手なのだろう。頭では納得できても、不安が払拭されることはない。


「そうか……では、あのギャムという男はどうだった?」

「どう、とは?」

「魔力から何か感じなかったのか? お前を見て驚いていた」

「んー……特に何も」

「そうか」


 リリヤドールの無警戒な表情にいささか危機感を感じるが、エルフを目の前にした上で害意を表さないのであれば、少しは信用しても良いのだろうか。


 相談もなしに貴族に助力を請うたトーヤ、それを引き受けたフィンドハルト伯、伯の命を受けてニヤラの調査のために同行することとなった研究者ギャム、それにリリヤドールの思い込みも。すべてに対する答えを保留にして、俺はルグロー海峡を渡った。

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