第28話 トーヤの決断

 フィンドハルト伯は、絶句した。トーヤの意味不明な発言内容にではなく、彼の長い耳に目を奪われたのだ。しかしすぐに大きく見開いた目を細くして、


「エルフとはまた珍しいご客人だ」


 と、優しげに笑ってみせた。俺の視線を気にしての反応なら大した役者だ。だが権謀術数渦巻く貴族社会で海峡伯として名を馳せる彼ならやってのけるだろうと思えた。


 フィンドハルト伯、トーヤをエルフと知って何を思う?


「王子の使用人……というわけでもなさそうですね」

「ああ、恩人だ」


 こう言っておけば悪いようにはしないだろう。トーヤを捕らえて奴隷にするなどとは考えないはずだ。だが問題はトーヤだ。彼がなぜ帽子を取って自らの素性を明かしたのか。その理由はたやすく想像できる。俺はトーヤに目を遣った。


「そうですか。ではその王子の恩人が、私にいかなる願いがあるのでしょう?」


 フィンドハルト伯に尋ねられたトーヤは、ひとつ大きな深呼吸をして、静かに口を開いた。


「俺はエルフ族の王子トーヤ・ロッテン・クラークス・ヴェル・フォースト、こっちは妹のリリヤドールです」


 トーヤがリリヤドールに挨拶を促す。


「リリヤドール・ロッテン・クラークス・ヴェナ・フォーストじゃ」


 顎のリボンを解いてボンネットを外して耳を見せた。フィンドハルト伯の息の飲む音がわずかに聞こえた。気持ちは大いにわかる。


「我がエルフの王国は今、歴史の岐路に立たされています。独立か隷属かの岐路です。レギニア諸国が工業化し、強国として世界中に植民地を作っています。貴国もそうだと聞きました」


 フィンドハルト伯は黙って聞いている。その沈黙が肯定であることはトーヤにもわかったようだ。


「我が王国がその難から逃れ続けてこれたのは、ひとえに我らの魔法によるものです。ですが、それは長く保たないと、この旅で多くの国々を見て、私はそう確信しました。我が王国にも力が必要なのです。奴らに対抗するための力が。力とは工業力です。エルフの王国も工業化をしなくてはならないと私は考えるのです。フィンドハルト伯殿! どうか貴方の力を私たちにお貸しください! 工業化は自分たちだけでも不可能ではない。けれどそれでは遅いのです」


 トーヤは矢継ぎ早に言葉を並べた。

 エルフに会うだけでも驚きなのに、そのエルフから工業化のパートナーになってくれと打診を受けるなど、予想だにしないことだっただろう。しかしフィンドハルト伯はわずかな動揺も迷いも見せることはなかった。


「”奴ら”とはクリャンス王国のことですね。彼らが度々北の大森林に派兵していることは存じておりました。確かに彼らの軍事力はまだまだ発展途上のものですが、いずれは我々に並び立つときがくるかもしれません。貴方がたエルフを支配下におけば、我々にとっても安全保障の面で看過し難い強国となるでしょう」

「では――!」


 トーヤの瞳に希望の光が映し出された。だがフィンドハルト伯は「しかし」とトーヤを遮った。俺の方をチラリと横目にして吐いたのは意外な言葉だった。


「それであれば我々が貴方がたを支配下におけばいいだけのこと。それにレデルハイトの一部を治める我々にとって、今や貴方がたは隣国でもあるのです。貴方がたが力をつけることは、我々にとっても好ましいことだとは言い切れない。とはいえ確かに、貴方のお話は私にとっても利の多いものです。ですが私が貴方の要請を受け入れたとして、エルフの王国に我々が立ち入ることになります。世界中に植民地を持つ我々を、貴方がたは信頼できるのですか?」


 トーヤに危機感を持てと注意を促しているようにも聞こえる。しかし偽善ではなく、自らの利害も考えた上での発言だと主張している。トーヤの申し出は、誰がどう聞いてもフィンドハルト伯に莫大な富をもたらすものだ。地政学的安全保障? そんなもの問題にならない。提供する技術を制限すれば良いのだから。ではなぜすぐに承諾せず、このようなまどろっこしいことをしているのか。

 トーヤが高く評価されているのではない。俺が警戒されているのだ。


 俺は黙ってふたりの会話を聞いていた。交渉の仲立ちをすることもなかった。なぜなら俺は、エルフの工業化にフィンドハルト伯の力を借りることに反対だったからだ。理由はフィンドハルト伯が自分で言ったことと同じだ。よくて傀儡。最悪、裏切って侵略しかねない。実例だってある。もちろん可能性があるというだけだ……なのだが、可能性があるというだけでも嫌なのだ。


 トーヤは思い悩んでいる。この期を逃すとパートナーを見つける機会はぐっと減るだろう。もしかしたら最後のチャンスかもしれない。ならば、なんとしてでも伯を味方につけたいと思っているはずだ。迅速な工業化には列強のパートナーは必要不可欠なものだから。だが伯の言うリスクも理解できる。

 だからこそ俺は、トーヤはフィンドハルト伯を選ぶだろうと思ったのだ。


 クリャンス王国に侵略されるかシフォニ王国の傀儡となるか。工業化への道は必須だ。その上でこの二択を迫られるのであれば、自らの立場を不利にしてでも忠告してくれたフィンドハルト伯を頼りたいと思うトーヤを、俺は止めることができなかった。

 願わくば、すでに富も名誉も十分得ている彼が、その業を深めることのないように。


「貴方が俺のパートナーなってくれるのなら、俺は貴方を信頼します」


 そう、トーヤは答えたのだった。

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