第27話 フィンドハルト辺境伯
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海峡都市ルグローへ到着した翌日、俺たちは早速フィンドハルト辺境伯邸へと赴いていた。使用人に紹介状を渡すと、フィンドハルト伯は、今はレデルハイトにいるから数日間待つようにと案内を受けた。
必要物資の補給をしつつ数日後、フィンドハルト伯が戻ったという知らせを受けて俺たちは、再びフィンドハルト辺境伯の邸宅を訪れた。すぐにでも面会してもらえるということなので、服装はラミアンで購入した一張羅を着用している。
俺ひとりでも良かったのだが、流石にライフルを持っていくことはできないので、トーヤとリリヤドールには護衛としてついてきてもらうことにした。ただし、貴族相手の交渉となるので、モール社のとき同様、ボロを出さないように、ふたりには発言を控えるように言ってある。
最初に思ったのは、思った以上にモール社の影響力は大きいということ。
貴族への面会など、申し込んでから予定の調整をするとなると、数日の待ち時間が発生するのが常だ。しかもルグロー海峡とレデルハイト領を治めるフィンドハルト伯ともなれば、生半可な忙しさではないだろう。下級貴族程度ならば一生かかっても面会のアポイントメントを取ることすらできないかもしれない。その海峡伯に飛び込みで面会の約束を取り付けることができるとなると、フィンドハルト伯とモール社の関係の密接さが窺い知れるというものだ。
案内された部屋はふかふかの絨毯が敷かれた豪華な部屋だった。ほどなくして使用人がフィンドハルト伯を伴って来室した。伯は俺の記憶の通り、大人びてはいるものの以前と変わらぬ優しげな青年だった。伯は俺を見るやいなや恭しくお辞儀をしてみせた。跪こうとしていた俺は思わず動きを止めた。
「ご無沙汰しております、ヨアン王子。本日のご訪問、誠に光栄でございます」
その言葉に俺は、自分の立場を思い知らされる。どれだけ自分で捨てたと言い張ってみても、他者からすれば――それも貴族やそれに通ずる者にとっては――相変わらず王子なのだ。相変わらず逃亡中のイニピア王家の生き残りで、相変わらずヴィゼルグラム家の末裔なのだ。それが旅を有利に運んでくれた時もあるが、そもそも簡単に捨てられたならこうして逃げる必要もなかったのだ。
まったく血統というのは、解けない呪いのようなものだな。
心のなかでそう零しながら俺は、数年ぶりの好青年に貼り付けたような笑みを返してみせた。
「それで、モール社からの書簡には便宜を図って欲しいとありましたが、私に何をお求めでしょう」
一瞬、どう切り出すか迷った。対等な立場として振る舞うべきだろうか。あるいは助力を請う立場として跪くべきか。いまさら守るべき名誉などありはしない。しかし足元を見られては交渉にならない。
「ああ、理由あってレデルハイトへ渡りたいのだが、船にアテがなくてな。ルグロー海峡の海運を取り仕切っている貴公に船の手配を頼みたいのだ。なに、貨物船に三人分の隙間を作ってくれればそれで良い」
交渉は驚くほどスムーズに行われた。一度は祖国奪還のために戦わないのかと問われたが、そのつもりはないし、大仰な家名も捨てるつもりだと明言してからは、フィンドハルト伯から余計な詮索を受けることはなくなった。
俺たちをレデルハイトへ連れて行っても彼の実利になることはひとつもない。けれど、ヴィゼルグラム家の末裔に貸しや縁を作っておくのもアリだと考えたのだろう。貴族が……いいや、貴族でなくとも考えそうなことだ。結局、どうしたって呪いはついて回るのだとうんざりする。だが、また呪いに助けられたのだと思い知らされた。
「船は毎日出ていますが、いつの船になさいますか?」
「できるだけ早いほうが良い。なんなら今日でも」
「それでしたら午後二時の便はいかがでしょう。四時間ほどの船旅になりますので、六時くらいには到着するかと思います。宿泊にはぜひ我が別邸をお使いください。生憎私はこれから王都なので、晩餐には同席できませんけれど。もちろん出発なさるのに私の帰りを待つ必要はございませんよ。どうやら殿下はお急ぎのようですし」
ここまで至れり尽くせりだと逆にこちらが勘ぐってしまう。しかしそれは杞憂であるとすぐに思いなおす。俺は今、日々のベッドにも事欠く身の上だが、伯は違うのだ。彼にとって、船に三人分のスペースを確保し、家に客人として迎え入れることは息をするよりも容易いことだというだけだ。
だが、その事実を知っていたのは俺だけだったのだ。トーヤの目にはフィンドハルト伯は、この上なく親切な人に映ったのだろう。この優しげな青年ならば信頼できると。
「フィンドハルト伯殿! どうか我々に力をお貸しください!」
面会も終わりを迎えた時、トーヤが唐突に身を乗り出した。トーヤの言った”我々”とは、俺たち三人のことではない。エルフの王国にて改革を成し遂げんとしている若者たちのことだ。それを示すためにトーヤは、素性を隠すために用意したカツラ付きの帽子を脱ぎ捨て、美しい金髪とその長い耳をフィンドハルト伯の前に晒したのだった。
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