第25話 エクスチャー号襲撃事件 1

 トーヤが取ったのは一等車のチケットだった。ホテルのチェックアウトのときにまとめて支払ったのだが、洋服やホテル代など、最近物入りだった懐事情には大きな負担となった。ほとんどは魔石の売上で、それはトーヤが取ってきたものだ。とはいえ財布を管理する側としては、何も一等車でなくても良かったのではと、溜め息のひとつも吐きたい気分だった。


 一等車は定員六名の個室となっている。トーヤとリリヤドールの素性がばれないようにと気を使わなくても良いところは喜ばしいことだが。


「楽でよいのお。尻も痛くないし」


 座席は固めのソファのようになっており、車両から伝わる振動を板張りの椅子よりかは和らげてくれている。


 面白いのはトーヤとリリヤドールの注目しているところがそれぞれ違うところだ。リリヤドールは流れ行く景色に目を奪われ、トーヤは客室の様子を物珍しそうに眺めていた。


「窓は開くと思うが」


 窓にへばりついているリリヤドールの後ろから手を伸ばして窓の下枠にかける。少しガタつくのを慣らしながら無理やり上に上げる。するともうすっかり秋を感じさせる涼しい風が、室内に入り込んできた。


「お主の国と風が違うのお」

「セントレントよりもずっと北だからな」

「これからもっと涼しくなる?」

「ああ」


 意外に広く空いた窓からリリヤドールが、風を受け止めるように手を出した。


「しかし、動いておるのに身体に風を感じぬというのは不思議なものじゃの」

「屋根付きの荷馬車だって同じものだろう」

「それよりも部屋ごと動いておる感じがするのじゃ」


 リリヤドールは手を引っ込めて、今度は顔をのぞかせた。バタバタとボンネットのレースが揺れて、三つ編みに結われていた髪もバラバラに解けてしまった。飛んでいく髪紐にとっさに手を伸ばしたけれど、あと一歩掴むことができなくて、紐は遥か後ろに消えていった。解けたのはリリヤドールの髪を留めていた紐だけではなかった。ボンネットを固定していた顎の下のリボンも緩まっていたらしい。向かい風の勢いに負けて結び目が解け、ボンネットが飛ばされそうになった。しかし、流石に大きいそれを掴みそこねることはなく、俺は一度はリリヤドールの頭を離れた帽子を再びリリヤドールの頭に被せることができた。


 車内に戻り、リボンを結び直す。


「耳、痛くないか?」

「うむ、平気じゃ」


 リリヤドールは、屈託のない笑みで「ありがとお」と言った。







 ヨアンの話では、シフォニ王国の王都ラミアンから海峡都市ルグローまで、途中停車も含めておよそ十時間ほどかかるらしい。今までどおり馬での旅なら三日はかかるだろう。もう冬までいくばくかの猶予もないとあれば、教えてくれたホテルの従業員には感謝しなければならない。


 窓の外を眺めているリリヤドールは、明るく振る舞っているが、内心は不安で堪らないはずだ。レンを見つけさえすれば生贄の宿命から逃れることができると、彼女を慰めたのは俺だが、レンを作って生贄を免れた例はない。


 どちらにせよ近代化して厳冬でも乗り切れる文明を手に入れるか、それとも軍事力を手に入れてネイハヤートを討伐するかしてしまえば、王家の役目などという忌まわしい風習から妹たちを救ってやることができる。それが王子として生まれた俺の、リリヤドールの兄として生まれた俺の役目なのだから。


 ちょうど太陽が空の真上に昇ったその時、汽笛が短く五回鳴らされた。ラミアンを出発してから今に至るまでに鳴らされたどの汽笛とも違うそれに、何かしらの意図が隠されていると感じた。それはヨアンも同じだったようで、しかし具体的に何を表したものかわからない彼は、窓の外を訝しげに覗き込んだ。そして――


「列車強盗だ!」


 ひどく物騒な単語をヨアンが叫んだ時、俺たちのいる客室の前に三人分の魔力を感知した。それはどう取り繕ってみても害意しか感じられないものだった。


「ヨアン! 扉の外に三人いる! 敵だ!」


 ヨアンは、俺たちエルフが魔力の印象を感じ分けられることを知っている。扉の向こうの三人が、どういう立場の者かなのかはわからないが、少なくとも害意がある以上、敵だと断定して間違ないだろう。


 だからって、いきなり銃をぶっ放すだろうか。


「下がれ!」


 そう言い放ったヨアンの手元にはすでにライフルが。そして次の瞬間には爆音が響き渡り、部屋の外にいた正体不明の敵は、扉ごと爆発の餌食になった。至近距離で爆発が起こったにもかかわらず俺たちが無事だったのは、リリヤドールがとっさに障壁を張ったからだ。妹はヨアンの腕のなかにいたから、ヨアンの魔力が銃に注がれるのを感じとれたのだろう。まったく、良い連携だよ。


「こ、殺したのか?」

「さぁ? だが、殺す気で撃った。気をつけろよ、直撃した者以外は生きているかもしれない」


 ヨアンの忠告を背中で聞いて俺はゆっくりと客室の入り口から廊下を覗き込んだ。そこには爆発の衝撃で上半身が抉られた死体ふたつと、直撃は免れたが全身に酷い怪我を負った男が呻きながら倒れていた。その男も辛うじて生きているといった様子で、事切れるのも時間の問題だと思われた。


 しかしここまでしなくても良かったんじゃ?


「これじゃ、情報を聞き出せない」

「どちらにせよもうじきこの列車は混乱に包まれる。たった三人で捕虜を抱えるわけにはいかない」


 そういってヨアンはまだ息のある紳士風の男の頭部を撃ち抜いたのだった。


 爆発音を聞いて駆けつけた乗務員にヨアンは「知らぬ。突然爆発したのだ。幸い自分たちに怪我はなかったが、他の乗客が巻き込まれてしまった」と、白々しく答えたが、列車強盗が接近してきていることを知っている乗務員たちは「まさか魔道師がまざっているのか?」と、ヨアンの言葉を信じきったようだった。ヨアンのライフルはいつの間にか部屋の物陰へと隠されていた。


「おい、お前。さっきの汽笛は何だ? 窓から武装した集団がちらりと見えたが」


 ヨアンが尋ねると乗務員は慌てて周囲を見渡し、


「列車強盗が近づいてきております。まもなくとりつかれてしまうでしょう」

「警察は?」

「鉄道保安警察の方が数名乗車されておられますが、魔道師が含まれているとなると……」


 ヨアン曰く、ヨアンの故郷であるイニピア王国やここシフォニ王国では、魔道師はエリートであるらしい。もともとは貴族のみに許された特権階級であり、国家を上げて育成されるようになった今でも、民衆を守る警察組織に配属されることはないのだとか。そもそも、魔道師とは絶大なる暴力の化身であって、治安を維持するための警察には無用の長物ということだそうだ。


 そんな魔道師が列車を襲うようなならず者に混じっているなど、想定外も甚だしい。乗務員たちの焦りはもっともだった。


「とにかく、ここから避難してください。きっと奴ら、ここを足がかりにとりつくつもりだ」

「ああ、そうさせてもらう。馬運車両に馬を載せてあるから、そこへ避難することにする。貴方方は他の乗客のところへ」


 乗務員が去る。遠くの方で雄叫びが聞こえてくる。ヨアンは弾丸を込め直し、俺もマスケットピストルを握りしめた。

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