第24話 ターミナル・ラン

 翌日、少し奮発して泊まったホテルの一室で俺は目を覚ました。暑さもほどほどで、秋の訪れを感じさせるような清々しい朝だった。


 コンコン


 旅支度を整えてから、リリヤドールとトーヤの部屋の扉をノックする。乾いた軽い音が鳴った。返事はあったのでひと声かけてから扉を開ける。すると、そこには昨日購入したドレスを身にまとったリリヤドールの姿があった。


「に、似合うておるかの?」


 目が合うなり開口一番、挨拶よりも先にそんな言葉が飛び出してきた。昨日の試着スペースでは、着付けの煩雑さに文句を言っていたのに、案外気に入っているようだ。


「おいおい、馬での旅にスカートではまずいだろう。まさか優雅に横向きに座って馬を走らせるつもりじゃないだろうな」


 普段ズボンを履かない女性でも、馬に乗る時だけは騎乗用のズボンを履くものだ。同室のトーヤは何も言わなかったのだろうか。と、ちょうど支度を終えてベッドルームから出てきたトーヤは、同じく昨日買ったジャケットを羽織っていた。


「トーヤまで。これからまた数日間の旅になるんだ。もしかしたら野宿だってするかもしれないのに」


 リリヤドールの声で小さく「ばかもの」と聞こえたのは気のせいだろうか?


 それにしてもトーヤまで浮かれているとは予想外だった。もっとも彼の場合はお洒落を楽しんでいるというよりも、工業製品に見を包まれたことへの感動か何かだろう。


「ちょっと、提案があるんだ」

「提案?」


 それはめかし込んでいることと関係あるのだろうか。トーヤは窓際へ立ち、手招きをした。


「あれ、蒸気機関車とかいうやつだろ?」


 トーヤの指の先にはラミアン駅があった。もうすぐ始発なのだろう。各方面へ向かう列車から吐き出される蒸気で、駅全体に霧がまとわりついているように見えた。ターミナルの屋根からは黒々とした車両が幾つも連なっているのが覗いて見えていた。


「そうだな。ラミアンはシフォニ王国の首都だからな。汽車くらいあるさ。トーヤは見るのは初めてか?」


 するとトーヤは頷いて答えた。


「ああ、今まで線路とやらは渡ったことがあったけど、蒸気機関車を見るのは初めてなんだ。それにしてもすごいな。あれ、鉄でできてるんだろ? あんなのが走るのか? 魔法の力じゃないんだろ?」


 キラキラと瞳を輝かせて質問攻めをするトーヤを見て、初めて汽車に乗った時のことを思い出す。

 魔力制御の訓練を始めた頃だったから五歳だったと思う。父上の北部工業地帯の視察についていった時のことだ。今のトーヤのように父上を質問攻めにして、みっともないと叱られた記憶がある。兄上からは、俺が警笛の音に驚いて大泣きしたと誂われるが、それは覚えていない。


「自分で言っているじゃないか。蒸気機関というのだ」


 答えたのが聞こえているのかいないのか、トーヤは羨望の眼差しを汽車に向けていた。


「それで、提案というのは?」


 呆れ口調で尋ねると、トーヤは思い出したように顔を上げた。


「そうだった。ヨアン、次のルグローまではあの汽車で行こう」


 駅を指さした時点でこの発案は予想できた。

 確かに旅に汽車を使うメリットは多い。まず馬と違って疲れないので休憩なしで走り続けてくれること。通常ならば一週間かかる旅程をその日のうちに終えることができるだろう。汽車のチケットは高額だが、六日分の食料や宿泊費と比べれば安くすむだろう。それに、馬に揺られるのもいい加減尻が痛くなってきたところだ。だが問題もある。


「今まで乗ってきた馬はどうするのだ」

「聞いた話だと家畜用の車両もあるらしいから、それに載せてもらえばいいんじゃないか?」


 驚いたのはトーヤが即答したことだ。汽車を見るのは初めてだと言っていたわりによく知っているなと感心すると、どうやら今朝早くにホテルの従業員が教えてくれたらしい。馬運車両に空きのあるルグロー行きの便で、客車のチケットもすでに手配してもらっているのだとか。最初から汽車に乗るか否かの選択肢はなかったらしい。手回しがいいなと呆れると、トーヤは「ふふん」と得意げに鼻を鳴らした。


 だが、トーヤの話には大事な情報がひとつ抜け落ちていた。


「それで、何時の便なんだ?」

「え?」

「……は?」

「え? いやだから、アレだよア、レ」


 トーヤは再び窓の外を指して見せる。どうにも話が噛み合っていない気がする。


「アレって言ったって、アレが何時に出発するのかわからないのか? ホテルの従業員は何時の便のチケットを取ると言っていたんだ?」

「え、チケットを持って行けば出発してくれるんじゃないのか?」

「あのな、客は俺たちだけではないんだ。俺たちの都合で出発時刻を決められるわけがないだろう。チケットはあるのだろう? そこに書いてあるはずだぞ」


 馬運車両を使うことを前提に話をしたのなら、ホテルの従業員もある程度時間に余裕のある便のチケットを取ってくれているはず。とはいえ、出発時刻を知らないというのは論外だ。


「ああ、これだ」


 と、トーヤが差し出したチケットを受け取る。


 ああ、そうだった。トーヤたちは文字が読めないんだ。


 そう思い出しながら確認したチケットには、


『ラミアン→ルグロー 8:00発 一等車2-3号室』


 という文字が書かれていた。いつもの安宿とは違い、このホテルには時計がある。俺が現在時刻を確認しようとした瞬間、


 ゴーン、ゴーン


 と、今がきりの良い時刻だということを告げる神殿の鐘の音が窓の外から聞こえた。嫌な予感がして、とっさに時計を見た。短針は八という数字を指していた。




「もう出発時刻じゃないか!」


 すぐさま荷物とライフルを手にして部屋を飛び出した。そしてホテルの馬留めに繋いであった馬に飛び乗った。


「まさか走っていくのか?! 人も増えてきてるぞ?!」

「それくらい避けてみせろ!」


 トーヤがぐだぐだ言っている間にリリヤドールに手を差し出して前に乗せる。優雅さなど気にしている場合ではない。スカートとはいえ、今だけは跨いでもらう。そして馬留めからホテルのアプローチを駆け抜けて大通へと飛び出した。


 ダカカッダカカッと、石畳を蹄鉄の蹴る音が響き渡る。ホテルから駅までは、窓から見下ろせるくらいすぐそこだ。とはいえ朝八時の、とりわけ駅前のロータリーは人や馬車ですでに賑わっている。そんなところを馬で駆け抜ければ、通行人の注目も集めるのは当然のことだ。行き交う人々の驚きや罵詈雑言を背中に浴びながら俺たちは大通りを駆け抜けた。


 大勢に迷惑をかけた介もあって――というのは独善的だろうか――俺たちは無事に目当ての汽車に乗ることができた。


「目立つのはよくないんじゃなかったのか?」

「間に合わないよりましだろ。それにもうラミアンを出るんだ。多少目立ったところで構わないさ」


 そんなふうに答えた俺が、急ぐんじゃなかったと後悔するのはおよそ十五分後。結局、汽車が出発したのは八時半過ぎのことだったからだ。



 機関車の甲高い警笛がターミナルに響き渡る。いっそう目を輝かせるトーヤに、俺とリリヤドールは肩を竦めあったが、ガタン、ゴトンと動き出した途端、リリヤドールも尻から伝わる振動に目をパチクリさせたのだった。

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