第23話 ミルレティア・アーケード
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紹介状を無事受け取ることができた俺たちは、ホテルのチェックインを済ませた後、モゼルの助言に従いアーケードを訪れていた。フィンドハルト辺境伯に面会するための服を買うためだ。
数年前に完成したばかりのミルレティア・アーケードには多くの店舗が立ち並び、高級品を取り扱う格式高い店や、異国の珍しい品々を取り扱っている店、庶民が利用する日用雑貨の店など、多種多様な店舗が看板を掲げていた。それらは区画ごとに集合していて、俺たちは高級洋服店が並ぶ区画の入り口に立っていた。
「みんなこちらを見ておる、見ておるぞ」
仕立ての良い服を着た通行人たちのなかに、ぼろぼろのローブを頭から被っている子供がいれば、それは注目もされるだろう。
「堂々としていれば良い」
不安がるリリヤドールの頭をぽんぽんと叩いて俺は紳士服を取り扱う店に足を踏み入れた。先に俺とトーヤの服を誂えようと思ったのは、俺にドレスの知識がなかったからだ。見窄らしい格好で行って足元を見られても、そうと気付かないのは具合が悪い。
ガラス張りの扉を開けると香水の甘い香りが全身を包み込こんだ。
「むわっ、なんじゃこの匂いは?!」
リリヤドールだけでなくトーヤも咽返るような濃い匂いに戸惑っている。俺もこういう店舗に立ち入るのは初めてだったから少し驚いた。
店にはいくつか出来合いの背広やモーニングコートが並んでいたが、こういったブティックではオーダーメイドが一般的だ。とはいえ、仕立て上がるのを待っている暇はないので、出来合いのものを見繕うことにする。
店員は二十歳そこそこの女。目が合うなりあからさまに眉間に皺を寄せた。
「いらっしゃいませ。本日はどういったご用件でしょうか」
服屋を訪れる理由などひとつしかない。にも関わらず用件を尋ねるということは、暗に帰れと言っているのだ。無礼だと、普通なら苦言のひとつでも言ってやりたいが、今の俺たちの姿を見ればそっけない対応も当然といえば当然である。
「服を買いに来たのだ。俺たちふたりにあう背広を一着ずつ見繕ってくれないか」
トーヤは無理だが俺は顔を出せる。フードを取ってみせると店員の態度が嫌悪感を示すものから怪訝そうなものに変わった。まったく、モール社の彼らとは大違いだ。
「あまり思っていることを顔に出さない方が良い。もしも俺が忍んで城下を訪れている王族であればどうする」
今のシフォニ王家には俺と同じ年頃の王子は存在しない。まさか隣国の王子だとは思わないだろうから、店員は冗談だと思うだろう。ただ、そんな冗談が飛び出てくるとは予想だにしなかったようで、店員は目を丸くして驚いた後、皮肉っぽく笑ってみせた。
「そうしたら私はクビね。この店も潰れちゃうかも」
「ならばちゃんと仕事をするんだな」
「あら、あなた王子さまなの? そうは見えないけど」
「王族以外は客ではないと? まあ、客に見えないのはわかるが」
そう言って汚らしい革袋をから金貨を数枚取り出してみせると、女は目をぱちくりさせて、次の瞬間には手のひらを返したように商品を手にとって俺に見えるように広げてみせた。
「お金を持ってるなら先に言ってよ。そうね、あなたスリムだからちょっと細身のほうがお似合いよね。ふたりとも背格好が似ているから同じものでいいんじゃないかしら」
「ああ、それと、ジャケットの他に外套としてしっかりしたフードのついたローブが欲しいのだ」
「コート? 冬支度をするには早すぎない?」
「レデルハイトへ行くのだ」
「なるほどね。でも、まだシーズンじゃないから種類は少ないわよ」
「かまわない」
こうしてトーヤたちの耳対策も抜かりなく服を揃えていく。ただ、暑さの残る晩夏にコートを羽織り、フードを被るのはいかんせん目立ちすぎる。今まで世話になったボロボロの旅装を使い続けるのとどちらかマシだろうか。ここラミアンはシフォニ王国でも北部に位置する都市だが、流石に九月にコートはまだ早い。女性にはボンネットという頭を覆う形の帽子があるからそれを使うとしても、トーヤは……。
「なあ、本当に耳を隠さなきゃならないのか?」
「当然だろ。トーヤ自身が今までの旅で実感してきたことじゃないか」
「それはそうだけど……」
悩んだ結果、結局トーヤにも帽子を被ってもらうことにした。
「くくくっ、お兄さま、似合っておるぞ」
「笑いながら言うことじゃない」
ただ、一世紀も前に流行した長いボワボワしたカツラ付きのハットになってしまったが。美しい淡い金髪も台無しの栗色くるくるパーマだ。少なくとも十五、六に見える少年が被るものではない。
「それにしてもよくこんなのが売ってたな」
「買ったやつがいうセリフじゃないよ」
「まあ、海峡を渡るまでの我慢だ。その頃には時期的にも地理的にもコートを着ても不自然ではなくなっているだろうからな」
「それ、どれくらい?」
「そうだな、一週間くらい?」
「うげえ」
項垂れるトーヤを尻目に、次は婦人服店へと足を運ぶ。今度はふたりがまともな格好をしていたため、店員も嫌な顔をすることはなかった。
「この娘にあうドレスを見繕ってくれ。靴も下着も一式だ」
「誂えるのではなく、ですか?」
「ああ、あまり時間がないのだ。並んでいる物で頼む。それと帽子はレースをたくさん使った派手なものが良い」
「かしこまりました」
「ああ、それからこの娘は頭に大きな傷があるので、知らない者に顔を見せたがらないのだ。だから試着はこちらでする」
店員から受け取ったシュミーズとドロワーズをカーテンで仕切られた試着スペースの中にいるリリヤドールに渡す。
「腰のところで結ぶらしいぞ」
「う、うむ」
慣れない下着に戸惑っているリリヤドールの声が止んだのを見計らってペチコートと靴下を渡すと、
「なんじゃ、まだあるのか?」
と、うんざりした声が聞こえてきた。
「それは履くだけだから簡単だろう」
「う、む、できたぞ。しかしこれはもうすでに服なのでは……」
エルフにも下着という文化はあるだろうが、下着の上に下着を履くというのは初めてのことらしい。
「それでは、こちらがブラウスとドレスになります。帽子はこちらのボンネットでよろしいでしょうか」
店員は麦わら素材の帽子を選んでくれた。淡い水色の装飾があしらわれたそれは、注文通りレースがふんだんに使われていて少し窮屈だろうが長い耳は仕舞えそうだ。
「ああ、ありがとう」
「それでは何かございましたらお呼びつけください」
軽く会釈をして踵を返す店員。その背中を見送って俺とトーヤは試着スペースのカーテンをくぐった。
□
悪戦苦闘すること十五分。無意味にリボンを結ぶところが多すぎて理解に苦しんだが、終わってみればなるほど、ひらひらのたくさんついた帽子が浮いてしまわないコーディネートとなっていた。
着付け終えた俺たちが試着スペースからでてくると、店員が様子を窺いに歩み寄ってきた。もっと堂々としていれば良いものを、恐る恐るといった様子なのは、俺がリリヤドールの頭に大きな傷があると言ったせいだろうか。いったいどれほど醜い少女が出てくるのかと思ったのか、淡い水色のドレスを身に包んだリリヤドールを見た店員は、絶句して目を丸くするばかりだった。
「ああ、うまく帽子で隠せているね」
「ならばよいのじゃが」
しまった。話し方を直させるべきだっただろうか。話し方で具体的に何が判るわけでもないが、勘ぐられるのは望むところではない。
店員に目を向けると、彼女はまだ無言のままリリヤドールを見つめていた。リリヤドールのみ目が麗しいのは理解できるが、そうまじまじと見つめられると長い耳に気付かれるのではないかと不安になってしまう。
「それではこれを頂いていく。もうこのまま着て行くから、会計をしてくれないか」
そう急かしたのだが、店員から返ってきたのは返事ではなく質問だった。
「まさかこれで終わりのおつもりでしょうか」
「へ?」
まだ何かあるのだろうか。女の衣類には詳しくない俺は即答できなかった。彼女の口ぶりではここは否と答えるのが正解らしいが、しかし何が欠けているのかわからない。
煮え切らない俺に痺れを切らした店員は、唐突に俺の方を向いて「お化粧しましょう」と鬼気迫る表情で言い放った。
俺が何か言う前に彼女は動き出していた。カウンターの奥から化粧道具を引っ張り出す背中は、まるで聞く耳は持たないと言い表しているようだ。
しかし化粧と言っても……。
リリヤドールを見ると「におうておるかの?」と無邪気に笑っている。あえて言うこともないが、レギニア人の美的感覚を持っていれば、リリヤドールはとても美しい容姿に見えるだろう。彼女の兄であるトーヤもまた、十分に美少年と言える。むしろ化粧などして手を加えるほうがかえって毳々(けばけば)しくなってしまうのではないだろうか。
「何十分も待っていられないぞ」
化粧は、酷いときで一時間はかかる一大顔面工事だ。母上がそうだったのを思い出す。それをこの場でただ待つなんてぞっとしない。
「そんなに時間はいただきませんよ」
店員はそう言って振り向いた。しかし手に持っていたのは大げさな化粧箱。いざとなったら途中でリリヤドールを取り上げるかと、俺は肩をすくめた。
だが店員は言葉を違えなかった。俺とトーヤが待ってたのはほんの数分だけ。
彼女はボンネットから前に垂れた金髪を軽く束ねて三つ編みを作り、化粧品は口紅と頬紅くらいしか使わなかった。いや、何やら顔を少しぱふぱふしていたが、どういう意味があったのだろうか。ほとんど色が変わっていないのでよくわからない。とにかく早く終わって良かったと、安堵の息が漏れたのは確かだ。
まあ、確かに印象は大人っぽく変わったが……。
リリヤドールは物珍しそうに差し出された鏡を凝視している。トーヤはあまり興味なさそうに、すでに外に目を遣っていた。
「ほら、もう遊び終わったろう。あまり客をおもちゃにするものではない」
「何をおっしゃいます! たとえ頭に大きな傷があってもお前の美しさは揺るがないのだと、そう妹さまにお伝えなさるためにここへ連れてこられたのでしょう? でしたら、私にはそれにお応えする責務がございます!」
いったい何がどうなってそういうことになるのか。理解が追いつかなくて言葉が出てこない。辛うじて否定できたのは、
「お、俺の妹ではない」
というどうでもいい箇所だけ。
「レ……婚約相手なのじゃ」
「あらあらあらあらまあまあまあまあ、それはそれは失礼いたしました」
「っ!」
深々と礼をしてみせる店員にあからさまなわざとらしさを感じる。
「と、とにかく、終わったのならそれで良い。お代はいくらだ?」
「可愛い婚約者のためということであれば、お化粧と帽子はサービスしておきますね」
もはやどう言い返しても照れ隠しにしか取られないだろう。恥の上塗りなどまったくもって御免こうむる。
俺は無言で提示された金額を支払い、無言で婦人服店を後にしたのだった。
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