第22話 企み
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私の実家、クラード家は地元ではそれなりに歴史ある商家だった。だった、と過去形なのは懇意にしていた領主に裏切られ、破産してしまったからだ。私が十八の時だ。それから首を吊った両親に代わって幼い妹を養うために紡績工場で働き始めたが、すぐに辞めてしまった。その後に入社したガラス工場も、ワイヤー工場も長く続かなかった。そこで俺は、自分は商人にしかなれないのだと自覚したのだ。
その確信は正しく、俺はモール社に入社して以来、一度も躓くことなくレデルハイト領担当の最終責任者という立場に上り詰めた。そして今、さらにその上を望めるチャンスが舞い込んできた。
「ああ。それでアズロア・フィンドハルト伯に取り次いでもらえるように取り計らって欲しい。つまり、俺たちの身分を保証してほしいのだ」
目の前に座る赤髪の少年の名はヨアン。珍しい名前ではないが、彼の苗字はこの広いレギニアでも稀有なものだ。彼のフルネームはヨアン・オーライン・ディナ・ヴィゼルグラム。我がシフォニ王国の東に位置するイニピア王国の王子だ。彼の目的はレギニアとレデルハイトを隔てるルグロー海峡を渡ること。そのために、海峡の海運を取り仕切るフィンドハルト辺境伯に面会したいという。ただ、いきなり屋敷の前で「自分はヨアン王子だ」と名乗ったところで門前払いになるのは目に見えている。王家専用の厳かな馬車にのり、綺羅びやかな衣装に身を包んでいるならまだしも、今の王子の格好は各地を旅する行商人にも劣る汚らしいものだ。
正直、ヨアン王子を見たことがあるというヘルゲイの証言がなければ誰も信じなかっただろう。彼の所持していた王家由来の品々だって、逃亡中のヨアン王子を殺して奪ったものだと決めつけていただろう。
「それは一体いかなる理由からでしょうか」
唯一面識のあるヘルゲイが応対している。だがヘルゲイの問いかけに王子は口を噤んでしまった。私達は互いに顔を見合わせた。不可解だったというよりは、呆れて肩をすくめたと言ったほうが正しい。
「イニピア王国が大変なことになっていると聞きました。そちらの方は構わないのですか? それともクリャンス王国に保護をお求めに? でしたらシフォニ王宮に向かわれてはいかがでしょうか」
「それはできぬ」
「では?」
「できぬが……理由を話すこともできぬのだ」
「さすがにそれでは……」
リスクを背負わせておいて詮索はするなと言う。流石にそれは不義理というものではないだろうか。王子の話ではすでにイニピア王国はノルバレン大公国に敗北したらしい。となるとここにいるヨアン王子は逃亡中ということになる。シフォニ王国へ亡命すれば、きっと我が国は王子を担ぎ上げてここぞとばかりにイニピア王国に進軍するだろう。王子にとってはノルバレン大公国に逆襲する良い手足となるだろうに、どうやらお気に召さないらしい。心優しいのか、腰抜けなのか。あるいは精強なノルバレン大公国と不可侵条約を結ぶ手土産としてシフォニ王国が王子を差し出すのではないかと警戒しているのか。こちらも大いに考え得る話だ。
貴族社会の下らない権謀術数などに興味はないが、政治的判断を商人に委ねて巻き込むのはご遠慮願いたいところ。ヘルゲイもショーンもエイヴィーも眉をひそめて当然というものだ。だが私は違う。
「まあまあ、殿下にも事情がおありなのでしょう。それに我々が取り計らうのはフィンドハルト辺境伯へ面会が叶うよう便宜を図るだけです。そこにどのような問題がありましょう」
本来ならば先に王宮へと報告するべきだろう。いや、警察に通報するのが筋だろうか。だが、そのような勿体無いことなどさせてなるものか! 商人にとっての戦場が取引現場であるならば、これは私にとって大手柄を立てる好機なのだ。取引相手は王子でもフィンドハルト辺境伯でもない。身内の三人だ。取引材料はいずれ舞い込んでくる当社の利益。自分の手柄にならないとはいえ、会社にとっての利益を人質にされれば彼らも頷くしかない。利益の上がる根拠はヨアン王子の血だ。
ヨアン王子の実家であるヴィゼルグラム家はレギニアでは最も伝統ある家系のひとつだ。正統性だけなら我がシフォニ王国の王家を上回るだろう。政略結婚により各地にその血は拡散したが、正統王家はヨアン王子の実家であるイニピア・ヴィゼルグラム家だけだ。時代の移り変わりとともに貴族社会が廃れ王権が失墜してもなお、その正統性には眩いばかりの価値がある。なぜなら彼らと同等の格式は、国をまるごと買い占められるだけの金を用意しても、あるいは武力で王位を簒奪しても持つことは叶わないからだ。手に入れる方法があるとすれば、千年の時を王族として紡ぐくらい。そんなことは誰にも不可能だ。だが、それが手に入れられるとしたら?
今やヴィゼルグラム家の正統後継者はヨアン王子ただひとりとなってしまった。つまり彼の子を身籠った娘は、その子供にイニピア王国の第二位の王位継承権を与えることができる。イニピアの実権を得るにはノルバレン大公を打倒しなければならないが、そのための武力を得る苦労など、事を成した後に転がり込んでくる報酬に比べれば安いものだ。あるいはノルバレン大公の子や孫と婚姻関係を結ぶのも良いだろう。
フィンドハルト辺境伯は現代では珍しく力を持つ貴族だ。ルグロー海峡の海運を取り仕切っているというのが大きいだろう。彼が欲をかいて王子を取り込もうとしても良し、シフォニ王家の忠実な下僕として王子を上納しても良し。どちらにしても我々は彼に大きな利をもたらすことができるわけだ。その貸しを使って私は、レデルハイトで莫大な富を産んでみせる。リスクが無いとは言わない。けれどリスクがあるからこそ、人は機会をチャンスと呼ぶのだ。
ヨアン王子の願いを叶えるための説得とはいえ、腹の中を聞かれるわけにはいかない。あからさまに三人を外に連れ出せば何かを企んでいると勘ぐられてしまうがこの際仕方がない。こちらにリスクがあることは王子もわかっているようだし、内緒話くらいはさせてもらえるだろう。
三人を部屋から連れ出す許可を王子にもらうべく口を開きかけたその時、王子がおもむろにソファから立ち上がった。そして腰を深々と曲げて頭を下げた。
「どうか、頼む!」
王子の赤い髪の旋毛を見て私は唖然とした。傍からは固まったように見えただろうけれど、その実、思考は目まぐるしく動いていた。内容はこうだ。
王子は何を企んでいる!?
無理なお願いをする側が、される側に頭を下げる。シチュエーションは間違っていない。けれど、それ以上に王族が商人に頭を下げるという行為がありえない。実は、目の前の彼は王子の身代わりで、本物は深々とフードを被った同行者のどちらかだった、というのであればわからなくも……いいや、それもありえないだろう。王子を名乗っている以上、身代わりといえども平民に頭を下げることなど許されるはずがないからだ。
それほどの異常事態が目の前で起こっている。起こしているのはヨアン王子。彼は一体何を企んでいるのか。私は何を見落としたのか。非常に嫌な予感がする。
ヨアン王子はルグロー海峡を渡り、レデルハイトへ行きたいという。亡命するのであればシフォニ王国が相応しいはずだ。ノルバレン大公国に匹敵する強国は近隣ではシフォニ王国だけだからだ。クリャンス王国など、レデルハイト担当の私からみれば時代遅れの田舎者だ。国を取り戻すのならばパートナーはシフォニ王国をおいて他にない。
目的が亡命でないとするならば、王子は一体なぜレデルハイトへ向かっているのか。そもそも目的など存在しない? いや、行動には必ず目的が存在するものだ。王族であるヨアン殿下が、平民に頭を下げるという屈辱を許容してまでひた隠しにする目的とは一体なんだ? 我々にも言えないということは、少なくとも我々の不利益に通ずることであるの間違いない。巨大組織であるモール社が最も厭うことといえば、政治の都合に振り回されることだ。市場で発生する問題であれば難なく解決することができるだろう。だが政治の問題だけは違う。力があると言っても所詮は平民の組織。軍隊を差し向けられれば粛清に抗うことなどできるはずもない。政治の問題だとするならば、どのようなものか。
レデルハイト……フィンドハルト辺境伯…………まさか!
レデルハイトへ渡りたいというのはフェイク。本当の目的はフィンドハルト辺境伯へ面会することにあるのではないか? 海峡伯と名高い彼だが、レデルハイト領の知事も兼ねている。”伯”と冠していても辺境伯は公爵に匹敵する上級貴族だ。実際、先々代国王陛下の弟君の家系であれば王位継承権も低位ながら保持している。何度か面会する機会があったが、優男のような甘いマスクの内側には野心が見え隠れしていた。まさかヨアン王子は彼の野心につけ込み、伯をそそのかすつもりなのだろうか。王位の簒奪か、あるいはレデルハイト領の独立か。馬鹿な! そんなことをして王子になんの利があるというのか! 答えは否だ!
……いけない。正しい答えを導き出すためには冷静にならなければならない。
額に滲む汗をハンカチで丁寧に拭き取りながら私は考察を続ける。
仮に、シフォニ王国の助勢を得た王子が、ノルバレン大公国を打ち破りイニピア王国の奪還を果たしたとして、しかし実権は間違いなくシフォニ王が握ることになるだろう。王子はそれを望まないはずだ。シフォニ王国の傀儡にならずにイニピア王国を取り戻す方法があるとすれば、対等な関係を築くことをおいて他にない。対等な関係。つまり共犯者だ。
王子はフィンドハルト辺境伯に、シフォニ王宮への調整役を頼むかわりに、祖国奪還が叶った暁には、伯の王位簒奪戦争に加担するつもりなのだ。ノルバレン大公国との戦争で疲弊したシフォニ王国が相手であれば、打倒し得るかもしれない。
……危ないところだった。王子が頭を下げるなどという非常識なことをしなければ気付かずに私が皆を説得していたところだった。私の好意的な反応に勝機を見たのだろう。駄目押しのつもりで頭を下げた王子だったが、それが裏目にでるとは思いもよらなかったはずだ。確かに、王子の野心が成就すればモール社にも大きな利益が舞い込んでくるやもしれない。チャンスを見逃さないことは大切だ。だが大きすぎるリスクは避けなければならない。回避できるリスクを回避しないのは愚か者のすることだ。
胸を撫で下ろす思いで三人に目配せをした私だったが、彼らの表情を見て思わずぎょっとした。
「殿下! 頭を上げてください!」
「いや、俺にはこれくらいしかできないのだ!」
「し、しかしっ」
ヘルゲイもショーンもエイヴィーもひどく狼狽している。まったくもって同感だ。だが……
「そこまでなさらなくても……」
だが、彼らの焦りは私の感じているそれとは解消方法が違う気がするのは気のせいだろうか。その言葉の後に続く言葉はまさか……と、とてつもない不安が私を苛んだ。えてして嫌な予感とは的中するものだ。
「そこまでされては我々に立つ瀬はありますまい」
「ええ、まったく」
「仕方ありませんな」
承諾したヘルゲイに同意する後のふたり。
馬鹿な! 王子が何かを隠しているのは明白ではないか!
王子の伏している頭の内側、燃えるような赤い髪にほくそ笑む顔が隠れているのが容易に想像できる。しかし他の三人はそれに気付かないのか、互いに目配せをして頷きあっている。
「ちょ、ちょっと待てお前たち! 流石に上に相談した方が良いのでは? 我々の一存で決めるには荷が勝ちすぎている」
何が何でもこの場から引きずり出して王子のいないところで考えを改めるように説得しなければならない。回避できるリスクは回避するべきだ。
「これは異なことを言う。貴方はどちらかというと好意的だったではありませんか」
「ええ、まったく」
「そ、それは……」
余計なことを言うな! 私が王子の企みに気づいていると勘付かれてしまうではないか!
頭を下げていた王子がここへきてチラリと戸惑う私を見た。ただ私の様子を窺うだけの視線なのに、底知れない恐ろしさを秘めていた。少年である前に王族である、ということか。視線ひとつで私を牽制するとは……。
王子の企てに関して、確信も根拠もあるが証拠がない。言及したところで相手にもされないだろう。私がひとりで必死に訴えても言いがかりだと言われてしまえばそれまでになってしまう。
「殿下のお立場上、時間に余裕がおありでないことは承知しております」
「すぐに手配させましょう。私どもの名を連ねておけば、フィンドハルト辺境伯も殿下を歓待なさるでしょう」
「それは望外なことだ。恩に着る」
そう言って王子はまた深々と頭を下げた。
「頭を上げていただくために即断したのです。どうか楽になさってください」
「ええ、まったく」
ええ、まったくとしか言わないショーンに苛立ちすら覚える。
法務のエイヴィーがペンとインクを取り出しこの場で書面を作成していく。書類作成のために時間をもらうなどすれば個別に話す機会も作れたかもしれないというのに、手際が良すぎるのも考えものだ。
「さあ、モゼル君、君の順番ですよ」
「あ、ああ」
もう遅い。勘ぐられただけで放逐されかねない。いや、放逐ならばまだましだ。
私にも家庭というものがある。守らなければならない者たちがいる。妻子は私なしでは生きていけないのだ。もう後戻りできない以上、王子に微塵も疑われるわけにはいかない。何も知らない振りをして署名しなければ。
王子は署名した私に向かって「ありがとう」とわざとらしく微笑んだ。私はできるだけ自然に見えるように、
「この程度のこと、殿下が心を折られるまでもありません。しかし、いくら紹介状があっても、その格好では盗んだものだと思われかねませんよ」
と、笑顔とともに冗談を言って場を和ませた。頬を引き攣らせてはいなかっただろうか。拭いた汗がまた滲み始めている。心労でしばらくは安心して眠れそうにない。
ああ、これだから政治に振り回されるのは嫌なのだ!
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