第21話 交渉

「ここからが本題なのだ」


 そう言うと、モール社の買い取り担当者シトルはゴクリを音が鳴るほど大袈裟に生唾を飲んだ。国を追われた王子が真面目な顔つきで改まれば、なるほど、戦々恐々とするのも無理はないかもしれない。

 実際、彼にとっては相当な無理難題だろう。一介の現場担当が決められるようなことではない。


「そう身構えずともよい。シフォニ王国に亡命する気はない。俺は、理由あってレデルハイトへ向かっている途中なのだが、そのためにはルグロー海峡を渡らなければならないだろう?」


 詳細が判るにつれて平静を取り戻していくシトル。それは、彼が自分の手に余る依頼だと理解したからだ。彼は「ええ」と短く頷き、俺に続きを促した。


「だが今の俺が……俺たちが海峡都市ルグローのフィンドハルト伯を尋ねても門前払いにあうだけだ」


 俺は後ろにいるふたりも含めて自分たちの格好を指し示す。シトルは苦笑いを浮かべて肯定を示した。


「フィンドハルト伯とは面識があるので、伯と会いさえできれば船に三人分のスペースを確保してもらうよう話をつけることはできるだろう。だから、モール社にはそこまでのお膳立てを頼みたいのだ。形式は何でも良い。社員として商談のアポイントメントという形をとっても良いし、実際に商談があるのであればそれに召使いとして同行させてもらっても良い」

「……宮廷ではございませんので、召使いなどという存在はおりませんが」


 無知を晒してしまったようだ。だが名称が重要なのではない。


「名目は任せる。そちらの都合のいいようにしてくれて構わない」


 そう告げるとシトルは落ち着いた様子で口を開いた。


「私の一存では決めかねます。一度上と相談させていただきたく存じますがよろしいでしょうか。殿下はお急ぎであらせられますか?」


 さすがは”わけあり”の相手を任せられるような人材だ。それなりの場数を踏んできたのだろう。正しい判断ができるのは美点だが、案件を持ち帰られては困るのだ。今回の案件はモール社にとってリスクしかない、危険なものだからだ。 


 逃亡中の王子の身柄を故意に逃がす。それはつまり所属国のシフォニ王国への背信と、ノルバレン大公国への敵対を意味する。商人の、こともあろうに誤った政治判断のせいでこの二国は戦争の火種を抱えることになるだろう。もちろん戦争に突入することは互いに望むところではない。だがノルバレン大公国は逃亡の幇助を行ったモール社に制裁を加えようとするだろう。果たしてシフォニ王国が庇ってくれるだろうか。シフォニ王国にとってモール社は無くてはならない存在だが、貴族とはえてして、潰された面子のためには合理性よりも感情を優先してしまう人種。であれば……。


 モール社が冷静な判断を下せば、俺の願いは間違いなく退けられるだろう。それだけならまだいい方だ。下手をすれば宿屋に治安当局が押しかけてくるかもしれない。 


「間違っているぞ」

「は?」


 彼自身がわかっているように、現場担当のシトルでは話にならない。ここは是が非でも決定権を持つ上役をこの場に引っ張り出さなければならない。


「貴様が持ち帰って上役に相談したところで、その者もとても判断などできぬだろう」

「……それはどういう」

「情報が不足しているのだ。そもそも、貴様が戦争中の隣国の王子が尋ねてきたなどと話して聞かせたところで貴様の上役は素直に信じると思うか?」


 シトルは黙ってしまう。その沈黙は肯定を表していた。


「しかし貴様がある程度の信頼を会社から得ているのも事実だろう。だから真偽を確かめるために貴様の上役は俺をここへ呼びつけることになるだろう」


 まだ母国への背信ではない。そう言い訳ができる者がいれば話くらいは聞いてもらえるかもしれない。だが、危ない橋は渡れない。


「貴様は商人でありながらこのような無駄を許容するというのか? 今すぐ貴様の上役に話をつけてこい。俺が直々に話をしてやる」


 商人というのは、誰よりも利に聡い人種なのだから。もちろん、この件を早急に処理することにモール社側のメリットはない。一日二日かかったとしても、正しい判断を下せることのほうがよほど重要だ。だが、果たして一回の現場担当が、仮にも王族に向かってそれを主張できるだろうか。


「……かしこまりました。」


 釈然としない気持ちはあっても了承してしまった以上実行するしかない。部屋を出ていったシトルが上司を伴って戻ってきたのはほんの十五分後。買い取り部門の長で、ヘルゲイ・ピアジェスリーと名乗ったその男は、かつて幼い俺をイニピア王宮で見たことがあるらしく、ひと目見て俺に跪いてみせた。


「そうかしこまらずとも良い。すでに我が故国はなく、俺もすでに王子ではない」

「いえ、尊きヴィゼルグラム家の血族であらせられますれば、そこに国など関係ありません」


 ヘルゲイの俺への敬意はシトルの比ではない。だが決してこの男が俺を心から敬っているわけではない。ヴィゼルグラム家の末裔であれば、どこぞの国が俺のことを利用するべく保護を名目に手を出してくるかもしれない。それこそ、ここシフォニ王国が俺を祭り上げてイニピア王国奪還――もとい侵攻の口実にしようとするかもしれない。それほどまでにヴィゼルグラム家が持つ正統性は得難いものなのだろう。ここで恩を売っておいて損はないと、この男は判断したのだ。

 立場にはそれぞれ相応しい振る舞いというものがある。ヘルゲイも彼の立場を基準に正しい振る舞いを実戦しているに過ぎない。俺も然り。


 だが、あまり得意な人種ではないな。


「……好きにすればよい。それで、会議でも開いて俺を詰問するか?」

「詰問などと。殿下のお話を拝聴させていただくだけでございます」

「準備はできているのか?」

「我々が部屋に到着する頃には完了しているでしょう」

「であれば案内してもらおうか」



 男に案内されたのは高級家具で設えられた応接室だった。通されたのは俺ひとり。ヨアンとリリヤドールは別の控室で待機している。ライフルもふたりに預けてある。


 部屋の中にはすでに三名の男がいて、いずれも仕立ての良いスーツを身に着けている。案内された上座に俺が腰掛けたところで、ヘルゲイが口を開いた。


「ヨアン殿下、こちらレデルハイト領担当のモゼル・クラードと、シフォニ王宮担当のショーン・ダグ、そして法務のエイヴィー・ベンでございます」


 関係部署の長たちだ。だが各々、表情に微妙な違いがあった。レデルハイト担当のモゼルは今回の件を好機と捉えているのか、幾分表情が柔らかい。だが後のふたりは、表面上うまく取り繕っているものの、嫌がっているのが内面から滲み出ていた。


「殿下はレデルハイトへ渡りたいそうですが」

「ああ。それでアズロア・フィンドハルト伯に取り次いでもらえるように取り計らって欲しい。つまり、俺たちの身分を保証してほしいのだ」

「それは一体いかなる理由からでしょうか」


 紹介も程々に、話は本題へと進んだ。


 彼らに提示できるメリットがあれば良かったのだが……。

 例えば、トーヤの掲げるエルフの王国の工業化だ。森に覆われたエルフの大森林を開拓し、工業化を成し遂げるには莫大な資金が必要となるだろう。エルフたちにも蓄えはあるだろうが、それだけではとても足りない。モール社は商品の売買で得る利益だけでなく、多額の金融債権も手にすることだろう。早急に工業化を達成するにはどうしても列強のパートナーが必要だ。だが部外者である俺がトーヤに無断で話を進めるわけにはいかない。

 そして何より、これはモール社が”まっとう”な商売をすると誓ってくれるのであればの話だ。


 トーヤたちの素性を明かすことはできないのには理由がある。モール社の多岐にわたる業務のなかには奴隷貿易も含まれているのだから。もしも彼らがエルフの国への足がかりを手に入れたなら、瞬く間にシフォニ軍とともに嬉々として略奪へと乗り出すだろう。仮にモール社にその気がなくとも、シフォニ王国の意向には逆らえまい。

 トーヤたちは、ニヤラは霧の結界に守られているというが、それも今回は意味をなさない。なぜならそのニヤラの住人であるトーヤ自らが、工業化のパートナーとしてモール社やシフォニ軍を引き入れることになるのだから。


「イニピア王国が大変なことになっていると聞きました。そちらの方は構わないのですか? それともクリャンス王国に保護をお求めに? でしたらシフォニ王宮に向かわれてはいかがでしょうか」

「それはできぬ」

「では?」

「できぬが……その理由を話すこともできぬのだ」


 なんて都合のいい話だ。案の定、モール社の重役三名は難色を示した。レデルハイト地方担当のモゼルだけは相変わらずにこにこしているが。


「さすがにそれでは……」

「まあまあ、殿下にも事情がおありなのでしょう。それに我々がおこなうのはフィンドハルト伯へ面会が叶うよう便宜を図ることだけです。そこにどのような問題がありましょう」


 そう言って味方してくれるモゼルも立派な商人だ。きっと裏には何かしらの企みがあるのだろう。意思を発信する際、言葉の裏に思惑を隠しているのは貴族も商人も同じだ。だが一方的にリスクを背負ってくれと無理を言っている俺にとっては、モゼルの助勢は願ってもないことだ。俺に王族としての力が残っていれば、そしてモール社がイニピア王国の企業であれば、このように気をもむ必要もなかっただろう。だがそうでない以上、彼らを頷かせる方法はひとつだけだ。そしてモゼルが味方してくれている今がその好機。


 俺はソファに沈み込んだ腰を持ち上げ、立ち上がった。突然のことに驚く四人。銃を持たないこの俺が、暴れたところでたかが知れている。なのに必要以上に身構えているのは、想定外だったからか。あるいは、王族は平民の事情などお構いなしに自分の都合を押し付けるものだと認識しているからか。だがそうではないのだ。


 腰を深く曲げた俺の口からは、


「どうか、頼む!」


 という懇願の言葉を吐く。

 どんなに情けなくてもいい。ヴィゼルグラム王家の面子を潰すだけで海峡を渡ることができるのなら、こんなに安いことはない。

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