第20話 シフォニ王国の大商会

 花の都ラミアン。世界屈指の魔法都市である。シフォニ王国は魔法に秀でた国家で、その技術力はレギニアの列強諸国でも随一を誇る。その王都ともなれば、魔法省にはあらゆる魔法の技術が結集し、附属図書館の魔法に関する書物の蔵書数は世界一を誇っていると言われている。

 とはいえ、魔法はあくまでも軍事技術であり特殊技能である。王都ラミアンの街中に魔法があふれ、市民たちの暮らしに密接に関わっているというわけではない。そのような都市はこの世界のどこを探してもないだろう。


 いや、エルフの王国は別か。


「セリクシアも凄かったが、この街はもっとすごいのお」


 隣を歩くリリヤドールは、名所でもある巨大な神殿を見上げて呟いた。眼鏡をかけているせいか、なにやら知的に見えるが、顎を上げているせいで口がだらしなく開いてしまっていて阿呆のようだ。すぐそこの店先では淑女たちが、おのぼりさんを見るような生暖かい視線をリリヤドールに向けている。隣にいる俺は、恥ずかしくなってリリヤドールのだらしなく下がった顎と頭に手をあてて無理やり口を閉じさせた。


「むぐ!? むぐぐむぐむぐ?!」


 リリヤドールは驚いて何かを訴えようとするが口が閉じているため音は言葉にならない。手を離すと彼女は「何をするのじゃ!」と声を荒げた。初めての大都市に驚く姿は確かに微笑ましいが、もう少し慎ましやかな驚き方をして欲しいものだ。とはいえ流石に理不尽だったかもしれない。そう思うからこそ頭ごなしに叱りつける言葉は吐かなかった。そのかわりに、


「俺のレンならばもう少し品性に気をつけよ」


 などと苦し紛れに口走ってしまう。


「む、そうじゃな」


 まったくそんなつもりはなかったのだが迂闊にも気を持たせてしまったようで、リリヤドールは満更でもない表情を浮かべてキリッと表情を引き締めた。



「まずは宿を?」


 後ろを歩いていたトーヤが尋ねてきた。それに俺は首を横に振って答えた。


「いや、先に行きたいところがあるんだ」


 そう言ってふたりを案内したのは商業区のとあるビル。煉瓦造りの建物が多いなか、角地に聳え立つ近代建築は世界に名だたる大会社のものだ。


「ここは?」

「モール株式会社だ」


 モール社はレギニアで最も巨大な株式会社のひとつで、その名はイニピア王国にも轟いていた。もちろん、名を知るだけでなく実際にイニピア王宮も取引をしていた。取り扱う商品は、庶民用の日常雑貨から軍需品、王家御用達の高級嗜好品と、多岐にわたる。


「もーるかぶし?」


 株式会社自体は二百年近く前から存在しているけれど、商人の在り方としてはずっと少数派だった。今日のように多くの会社が立ち上げられたのはここ数十年のことらしい。であれば、ずっと森に引き篭もっていたエルフのふたりが知らないのも無理はない。多方から資金を集め、事業を成し、利益を資金提供者に分配する。そういう仕組らしいが、詳しいことは俺にもわからない。


「商人のようなものだ」

「商人? ああ、魔石を売るのか?」

「それもある」


 売りたいものはニーザ湖で入手した魔石の他にもうひとつ。俺の軍服だ。モール社は大きな組織なだけあってそれなりに裏の顔も持っている。例えば希少価値のある品物の取引だ。たとえそれが盗品であったとしても、価値さえあれば喜んで買い取ってくれる。買い取られたそれは、闇オークションにかけられるのだとか。

 亡国の王子の軍服。しかも階級章や装飾品の類もすべて揃っている美品。さらにその王子のその後に関わるエピソードもあれば、マニアにはたまらない商品になるだろう。


 そして本当の目的は、それら商品を持ち込んで買い取ってもらうことではなく、また別にあった。それはとある貴族にアポイントメントを取れるよう便宜を図ってもらうことだ。

 エルフの王国がある北方の地レデルハイトへ向かうには、ルグロー海峡を渡らなければならない。そのためには船を利用するしかないわけだが、旅の行商の荷馬車に相乗りするように、駄賃さえ払えば手軽に乗れるというわけではない。船の定員には限りがあり、それを超えればかわりに載せられる荷が少なくなってしまう。それは商船なら利益の、軍船なら戦力の減少に直結する。だから密航は重罪なのだ。そこを何とか、と頼み込むために、まずはルグロー海峡の海運を取り仕切るアズロア・フィンドハルト辺境伯に会う必要があるのだ。彼とは何年か前に会ったことがある。優しげな年上の青年だった。



 モール社の本社ビルに入る。床一面大理石を使って施工されていてつるりとした硬質の床だが、俺たちの靴ではコツコツと小気味良い音は鳴らない。受付に相対すると、カウンターの男は訝しげな視線をこちらに向けた。以前ならば「無礼者」と叱責するところだが、今の俺を見て敬意を払わなければならない相手だと認識する者はいないだろう。もっとも”元”王子であればそもそも敬意など不要だ。


「売りたいものがあるのだが」

「……どのような物でございましょうか」


 魔石はともかくとして、軍服の方はエントランスでおおっぴらに出来るものではない。他の従業員や客の目もある。さきほどから好奇な視線を背中に感じているのは気の所為ではないだろう。


「これだ。あと、もう一品、ワケありで買い取ってほしい衣類がある。できれば個室に案内してもらいたいのだがな」


 土属性の魔石がいっぱいに詰め込まれた革袋をふたつ、カウンターの上に差し出す。受付の男は汚らしい革袋に嫌悪感を隠そうとしなかったが、中身を見るやいなや表情をころっと変えて「こちらへどうぞ」とにこやかに案内し始めた。現金なやつだ、とは思うまい。それが商人という人種なのだから。



 通された小部屋は窓のない密室だった。扉も二重構造になっているため、会話が漏れる心配はしなくてもよさそうだ。しばらく待つと、しっかりした体つきの壮年の男が部屋に現れた。物々しささえ感じるその体躯は、俺たちを警戒しているとモール社に言われているような気がした。小汚い格好で、小汚い袋に大量の魔石を詰めて持ち込めば、なるほど”わけあり”だと勘ぐられてもしかたがない。


「改めまして、お客様の買受を担当させていただきます、シトル・アガーニと申します」

「今日は宜しく頼む」


 短く挨拶を交わす。本来は名を名乗るべきだが、それはもう少し話しを進めてからにしたいと思った。


「……本日は魔石をお持ちいただいたとか」


 名乗らない俺を不審に思いつつもシトルと名乗る男は話しを進める。いわくつきの商品を持ち込んだ者の名乗る名の信憑性が、はたしてどれほどのものだろうか。この点、彼もわきまえているのだろう。シトルは俺の素性に拘る態度を示さなかった。

 促された俺はテーブルの上に革袋を置く。中身を取り出し、シトルは検分を始めた。魔石の品質など俺の知るところではないが、悪いものではないのだろう。シトルからは時折、感嘆の息が漏れた。そして提示された金額は、俺の想像よりも遥かに上回るものだった。


「こちらの魔石ですが、二十七万リールでいかがでしょうか」


 二十七万リール。これは相場よりも上なのか、下なのか。商売に暗い俺にはさっぱりわからない。ただ、常套としてはここから値上げ交渉をするらしい。ということはこの初期提示額は相場よりも下に見積もられていると考えるのだ妥当だろう。安く仕入れ、高く売る。そうすることで商人は利益を得るのだから、原理を考えれば自ずと考え至ることだ。


 だが、俺は値上げ交渉をしなかった。思ったよりも高値で売れたことで、取引には十分満足できたからだ。だから正当な買取額との差額は貸しにしようと考えたのだ。


「それで良い」


 あまりにあっさりした俺の言葉に、シトルが意外そうな顔をした。ほんのわずかな変化だが、俺は見逃さなかった。表情ひとつで非ぬ嫌疑をかけられ、ともすれば暗殺されてしまうかもしれないという馬鹿げた場所に身を置いてきたのだ。商人のポーカーフェイスを見抜くことくらい容易いものだ。


「ワケありのものというのが本命というわけですか」

「ああ」


 俺は床に置いた背嚢から真っ赤な軍服を取り出した。魔道騎兵の指揮官であることを表す階級章に、ヴィゼルグラム王家の紋章もある。状態もかなり良い。返り血もなく、銃で撃ち抜かれて損傷している箇所もない。汚れているがそれはすべて土埃だ。あまりに整っているため、疎い者が見れば模造品だと嘲笑するかもしれない。だがモール社の”ワケあり”買い取り担当のシトルが疎い者であるはずがない。

 テーブルに広げられた上下一式綺麗に揃った軍服を前にシトルは、驚きのあまり目を丸くした。


「これは……」


 そして俺はローブのフードを捲る。父親譲りの燃えるような赤髪に、金色の瞳は母親から受け継いだものだ。モール社ほどの大商会の”ワケあり商品”の買受人であれば諸々のことに精通していなければならない。その諸々のひとつに諸国の王家にまつわる知識というのもあって然るべきだ。


「信じられなければこれを見よ」


 ダメ押しとばかりに俺は、ボロ布に包まれたライフルを差し出した。銃床には王家の刻印と俺の名が刻まれている。


「これはイニピア王国第三王子であるヨアン王子の……。で、ですがイニピア王国はノルバレン大公国と戦争状態にあるはずです……」

「情報が遅いな。すでに戦争は終わっている」

「! それはどういう――」

「イニピア王国のヴィゼルグラム家は第三王子である俺、ヨアン・オーライン・ディナ・ヴィゼルグラムを除いて皆処刑されてしまった。今、セントレントの玉座にはノルバレン大公が座っていることだろう」


 情報を吟味するシトル。わずかな逡巡の後、彼は俺の言葉を信じるという答えを出した。


「……殿下は亡命をご希望なのでしょうか」


 彼の口から発せられた”殿下”という敬称に俺は、内心で安堵の息を吐いた。


「シフォニ王国にか? いいや、違う。ここからが本題なのだ」

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