第18話 光のとどかぬ暗闇のなかで
「お、お主、起きておったのかっ」
それは幼い声だった。聞き覚えのある……というよりも、ついさっきまで聞いていた声だ。俺は慌てて銃を下ろした。
「リリヤドールか? どうやって鍵を?」
「か、解錠の魔法があるのじゃ」
そんな物騒なもの……。
「ではなぜここに?」
解錠の魔法については後で問いただすとして、とにかく今は夜分に俺の部屋を尋ねたリリヤドールの真意を問わねばならない。真っ暗闇のなか、姿の見えないリリヤドールに質問を投げかけた。
「あの時の申し出は、わしは、冗談のつもりで言ったわけではないのじゃぞ」
緊張した声色だ。そのせいか、彼女の言葉は質問に対する答えになっていなかった。
「あの時?」
だから再び尋ねた。俺の怪訝そうな顔は彼女には見えていないだろう。
彼女の言う「あの時」とはいつのことだろうか。リリヤドールの発したどの言葉のことを言っているのだろうか。”レン”についての発言を指していることは予想できるが、思い当たる節がいくつかあるため「あの時」だけでは絞り込むことができない。
「わしとお主が一番最初に交わした言葉じゃ!」
そこまで言われた初めて理解した。
「ああ」
「ああ、ではない。お主は――」
彼女の声色が不安を孕んだものに変わった。
「お主は、振りだと言うたが、わしは……その、お、お主が……」
嗚呼、どうしてだろう。彼女が何を言おうとしているのか、俺にはわかっている。彼女もそれは承知しているはず。ならば何を迷うことがあるだろう。なのに彼女はひどく緊張して、喉に言葉を詰まらせてしまっている。
本当に、ままならないものだな。
と、俺はなんともいたたまれない面持ちになった。彼女にこれ以上先を言われてしまうと困ってしまう未来が見えているのに、なぜだか応援してやりたい気持ちになった。
「お主が、本当のレンであればと……じょもっておるのじゃが」
意を決したリリヤドールがついに確信となる言葉に至る。だが口ごもっているから最後の方は、なんだかよくわからないことになってしまった。
じょもってってなんだ。
とはもちろん口に出さない。本来言いたかった言葉はわかっているのだから。それとも笑ってやったほうが親切なのだろうか。俺はコメディアンではないから、その当たりの感覚がよくわからない。灯りが点いていれば、表情を読み取ることができるのだろうけれど。
「だ、大事な場面だと言うのに、ほんに締まらぬな」
暗闇の向こうから照れ笑いが聞こえてきて安堵した。
場の緊張がほぐれたため幾分口を開きやすくなった。これ以上彼女に何かを言われてしまうまえに、早いうち釘を差しておこうと思った。勇気を出したリリヤドールにとってとても酷い仕打ちとなるだろう。だが、実年齢がどうあれ、どう見ても幼い妹のような年頃にしか見えない彼女を女性として見ることはできなかったのだ。きっと残酷な結果にがくりと肩を落とすだろう。けれど応える気もないのに気を持たせるようなことをするよりずっとましだと思ったのだ。
すまない――と、口を開こうとした。だが、音になる前にリリヤドールの声が暗闇から俺のもとへ届けられた。
「わかっておる。だってお主の魔力がまったく熱を帯びておらぬのじゃから」
俺の手に、そっと触れるものがあった。リリヤドールの指先はひんやりとして冷たかった。彼女曰く、魔力にも温度があるらしい。ならば今、彼女の魔力は熱いのか。
触れた指先が、確かめるようにゆっくりと俺の腕を登っていく。すぐそこにリリヤドールが立っているのがわかる。
「じゃが、お主が思っておるほどわしは貞淑ではないのじゃぞ」
その言葉はすぐ目と鼻の先で聞こえ、いつの間にこんな近くに、と思ったその次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。とっさに身体を後ろへ反らすが、すでに遅く、暗闇の中から聞こえてきたのはリリヤドールの嬉しそうな笑い声だった。
「ふふふ、きせいじじつというやつじゃ」
既成事実……?
まさかこの暗闇の向こうは――。
いつかの森の泉で見たリリヤドールの肢体を思い出す。ヒトではないのだなと、改めて思い知らされるほど美しい雪のような肌だった。濡れた淡いブロンドは彼女の透明感を、透き通るような空色の瞳は彼女の神秘性を、そして未熟な乳房と桜色のそれは、彼女が未だ神聖であることを証明していた。
「ちょっ、まっ!」
気づけば鼓動が五月蝿いくらいに鳴っていた。顔が熱い。部屋の灯りが消えていて本当に良かったと思った。
妹のようなものだと高をくくっていた? 彼女の申し出を断る際、きちんと女性として考えたつもりだったのに? とにかくこんな状態でリリヤドールの柔肌に触れるわけにはいかない。
慌てて顔の前で手を交差させて防御態勢を作った。しかし状態は仰け反っているために、支えを失った俺の身体はベッドに倒れ込んでしまう。
ちゃんと言わなければ! お前のレンにはなれないのだと。エルフよりも遥かに短命なヒトである俺をレンにしてもけっして幸せにはなれないのだと説得しなければ!
俺は慌てて口を開こうとしたが、またもやリリヤドールに先を越されてしまう。
「こ、これでわしはお主のレンじゃぞ。お主は生まれくる赤子の名でも考えておれ」
その声はベッドから少し離れた場所から聞こえた。声だけでも頬が緩んでいるのがわかる。
そして再び扉の開く音が聞こえ、締める音が聞こえ、とたとたと歩く音が聞こえ、離れていった。
暗闇で俺は眉をひそめた。肩透かしをくらった気分だった。いや、助かったといえばそうなのだが、呆気にとられて言葉が出てこなかった。ただひとつわかっていることは、リリヤドールは重大な勘違いをしているということ。
「それとも何か? エルフは口づけで子を授かるとでも?」
とにかく今はリリヤドールの無垢に感謝しよう。
胸をなでおろした俺は、リリヤドールの立ち去った扉を施錠してベッドに横になった。だが目が冴えわたって寝付けそうにない。リリヤドールの柔らかい唇の感触がずっと頭のなかでぐるぐると駆け巡っている。すべての感覚が唇に集中しているようだ。鼓動は治まりつつある。けれどどうにももやもやがおさまりそうになかった。
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