第17話 国境都市セリクシア

 無事国境を越えることができた俺たちは、シフォニ王国側の国境都市セリクシアを訪れていた。門兵にはイニピア王国の戦乱で両親を失い、頼る伝手もないので逃げてきたと言えば、特に不審がられることもなくすんなりと検問をくぐり抜けることができた。


 ここまでくれば一安心……と油断するのはまだ早い。戦争でドンパチやらかすことだけが人を殺す手段ではないことを嫌というほど知っている。

 まだ幼い頃、宮廷で激化する王位継承争いのなか、第二王子が毒をもられて殺されてしまった事件のことはよく覚えている。長兄の暗殺を計画し、逆に暗殺されたらしい。その知らせを受けて俺が第一王子のルアドを一生支えていくと宣言したのは、権力が持つ魔力が恐ろしくもあり馬鹿らしくもあったからだ。王位継承権を捨てても良いと言えば、周囲から――ルアド兄からもよせと止められたのだが。


 とにかく、暗殺には警戒しなくてはならない。暗殺者に捕捉される前に遠くに――できればルグロー海峡を越えてレデルハイトに渡ってしまいたいところだ。とはいえ、表立って追われることがなくなったのは確か。流石に今夜こそはリリヤドールたちに柔らかいベッドを提供できるだろう。


「宿を借りて荷物を置いたら買い物へ行こう。明日の朝には出発したいからな」


 そう言うと、トーヤは頷いたがリリヤドールからはなんの反応も返ってこなかった。不思議に思って視線を落とし彼女を見やると、彼女は碧い瞳を爛々と輝かせて街を見上げていた。彼女の心境を兄に目線で尋ねると、


「入り口に門があるような大きな街に入ったのは初めてなんだ」


 と返ってきた。


「ああ、それで」


 それでこんなにも驚いているのか。ふたりはエルフの特徴でもあるその長い耳をフードを被ることで隠している。しかし、耳が隠れるほど深くフードを被った怪しい者を、まともな門兵なら通しはしないだろう。


「こんな背の高い建物を見たのは初めてじゃ! 倒れてこぬのかの?」

「セリクシアは古い街だが戦火に見舞われることが多いから、建物自体は比較的新しいものが多いんだ」

「石のようじゃが石ではなさそうな……」

「ああ、それはコンクリートというらしい」

「こんく……初めてきくのう」



 宿泊には安宿を選んだ。一応、軍服や装飾を売りさばけばそれなりの値段にはなるだろうけれど、あまり足のつくことはしたくない。これらを処分するのはシフォニ王国の王都ラミアンに着いてからにしようと思う。

 宿屋の割り振りはいつも通り。トーヤとリリヤドールで一部屋、そして俺一人で一部屋だ。トーヤはむしろ俺とリリヤドールが同じ部屋になるべきだと提案したが、俺とリリヤドールの関係は、あくまでも仮初のレンに過ぎない。いずれ本当のレンをリリヤドールが見つけるために、彼女の名誉を傷つけるようなことは避けるべきだ。そう言うと、リリヤドールは少しだけ悲しそうな顔をした。


 ここまで危険なこともあった。それをともに乗り越えることで情が湧いたか。どうやら懐かれすぎてしまったようだ。




「あれはなんじゃ?!」


 商店が立ち並ぶ大通りでリリヤドールが最初に目を奪われたのは、大きな一枚ガラスのショーウィンドウだった。セリクシアは国境都市。イニピア王国とシフォニ王国の間の交易都市としても栄えてきた歴史がある。王都ラミアンに華やかさで劣る繁華街も、新製品の数では勝っているといえるだろう。


「ヨアン! こっちへきて見てみよ!」


 何かと思えば、リリヤドールが張り付く窓には懐中時計が並んでいた。高級品だが、懐中時計自体は珍しいものではない。値段も、今の懐事情ではとても手が出ないが、特別高価というわけでもなさそうだ。


「うわぁ!」


 少し離れたところでリリヤドールの声がすると思ったら、懐中時計を見ていた彼女はすでに隣におらず、別の店のショーウィンドウに釘付けになっていた。今度は流行のドレスに目を輝かせているようだ。レースがふんだんにあしらわれたドレスに、小さな帽子を太めのリボンで結んでる。町娘というより、富裕層を顧客としている店のようだ。

 ガラスにへばりついている小さな背中を見ていると、少女はくるりと振り返り、


「お主はこういうのが好みか?」


 と、窺うような顔をして尋ねてきた。

 俺は逡巡した。真面目に答えるならば「あまり子供っぽいのは好きではない」ということになるのだが、それを真に受けたリリヤドールに志向を変えられても反応に困ってしまう。とはいえ、無茶苦茶なことを言ってリリヤドールを困らせてしまうのも気が引ける。


 俺が思い悩んでいると、


「ふふふっ、そんなに深く考えずともよい」


 リリヤドールは上機嫌に次のショーウィンドウへ走っていってしまった。その小さな後ろ姿を見て思わず溢した。


「…………相当舞い上がってるな」


 釈然としないのを通り越して呆れ果てる思いだ。


 こんなことだから買い物が終わる頃には日が傾き、結局、市の閉じるその時までかかってしまった。当然俺の疲れはひどいものだ。最初こそリリヤドールと同じように物珍しそうにきょろきょろと視線を彷徨わせていたトーヤだったが、妹の勢いに辟易とするようになるのにそう時間はかからなかった。結局リリヤドールだけが最後まで元気いっぱいではしゃいでいた。


 夕飯は宿屋の部屋で摂る。よく考えたらフードの被った者をふたりも連れて店に入れば目立って仕方がない。旅装にローブを選ぶ者は少なくないし、雨が降ったらフードを被れるのも便利だ。だが飲食店の中で、あまつさえ食事中にまでフードを被っているというのは、あまりにも非常識過ぎる。田舎町ノーランで襲われたのも、ふたりの風貌を怪しまれて目をつけられ、調べられた挙げ句、俺の正体にに行き着いたからなのだろう。


 買い物がちょうど夕方までかかってしまったので、露天で適当に食べるものを見繕って宿に持ち帰った。人は学習する生き物だ。同じ過ちは繰り返さない。


 ということで夕食はマルシロッジというセリクシアの郷土料理だ。スープもある。

 マルシと呼ばれるセリクシア伝統のパンにベーコンやキノコ、野菜などを乗せ、覆いかぶせるように粉チーズをまぶしたうえオーブンで焼くというもので、屋台で売られる大衆グルメだそうだ。セリクシアを訪れたのは初めてではなかったが、この料理は初めてだった。

 強めに焼かれたパンは香ばしくて、噛むとザクザクと小気味いい音が鳴った。ひとくち分頬張ると、熱々に溶けて具材に絡まったチーズが、もったりと舌の上でじょじょに固まってもちもちとした食感に変化していく。チーズのまろやかさの中に肉の旨味や野菜のさっぱりした食感が確かに感じられて、宮廷料理とはまた違った素朴な美味さが口の中に広がった。

 そして、パン食で乾いた喉を熱いスープで潤す。トマトベースで、具材はあまり入っていない。だがとても濃厚なのは、多くの食材を煮込んで出汁をとっているからだろう。熱いスープが喉をくぐると、身体のあちこちから汗が吹き出てきた。季節の変わり目だからか、今日は夕方から少し肌寒くて、スープを呑み込んでから吐く息が白んだ。



「美味じゃったのう」


 食後、余韻に浸りながらリリヤドールが、上気した肌をぱたぱたと手で仰いで火照りを冷ましていた。


「水を汲んでくるから、寝る前に身体を拭いておくと良い」


 もちろん、宮廷にいたころはそんな雑用を俺自身がすることはなかったが、一般の兵士に混じって軍事訓練も行っているので、中世の王族のような”やわ”ではない。野営地に使用人を何十人も引き連れていって身の回りの世話をさせるような時代錯誤は許されなかったから。


 桶をふたつ借りて水を汲む。ひとつをトーヤたちの部屋へ運び、もうひとつは自室へ。その際、明日の出発時刻を伝えた。強行軍で旅程を進めるほどではないが、のんびりする必要もない。出発時刻は明日の朝八時に設定した。だが、トーヤにはどうしても気になる場所があるらしく、街を出たら一度そこへ向かって欲しいと申し出があった。


 ”ニーザ湖”


 シフォニ王国の有名な観光地だ。かつてそこには平原があり、数多くの戦い、武勇が語り継がれる場所だった。だが四百年前の内乱で、そこに極大魔法が発現し、会戦に適した平地は抉り取られてしまった。そこに水が貯まり湖となったのだが、その極大魔法の影響で、湖でありながら土属性の魔力色濃い原色地となってしまったのだそうだ。

 魔力の徒であるエルフとしては、こういう不可思議な場所に興味を抱いてしまうのだろう。


「はああああ、今日は疲れたなぁ」


 そう独りごちながら硬めのベッドに倒れ込む。柔らかい真っ白なシーツも、身体が沈み込むベッドも、爽やかな春風に揺れるレースのカーテンも、庭園から聞こえてくるフロランシア姉さまの鼻歌も、すべて失ってしまった。思い出に浸っても涙を流さない俺は、人でなしなのだろうか。そんなことを考えているうちに、いつのまにか深い眠りに落ちてしまった。



 夜中。締めたはずの部屋の鍵がカチャリと開けられる音で目が覚めた。鍵を持っているのは俺と、宿屋の主人がマスターキーを持っているだけだ。だが宿屋の主人が俺の部屋を訪れる理由はない。瞬時に思い浮かぶ可能性は、俺の居場所を嗅ぎつけた暗殺者が宿屋の主人から鍵を奪ったということくらいだ。

 俺は傍に立てかけてあったライフルを手に取る。弾薬ポーチからいくつか弾を取り出して慌てて装填する。キィと軋む音が細く鳴って、古い床板を踏みしめる足音が近づいてきた。


「誰だ!」


 銃を構えて警告する。すると、暗闇の向こうから足音の主の、驚きに満ちた声が返ってきた。


「お、お主、起きておったのかっ」

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