第16話 ある兵士の報告

 国境都市ロザの領主であるリュゲル伯爵の館の、その隣に、この街唯一の軍施設がある。本来、ロザを守るリュゲル伯の騎兵隊の隊舎なのだが、今はノルバレン大公国軍に徴用されている。

 そんな施設の一室に、十二名分の人影があった。会議室といった広い部屋でもないが、すし詰めというほどの狭さでもない。だが、晩夏の涼しい夕方にしては暑く感じるのは、乱れる感情がそうさせているからだろう。


 ある者は激昂し、ある者は慄き、ある者はひどく落ち込んでいる。


「このグズ共が! たった一人を捕縛することさえできないなど、とんだ役立たずめ!」


 そう吐き捨てたのは土色の軍服を着た兵士だ。

 この場所は執務室。執務机の前に向かい合うソファがあって、彼はその片方に座っている。


「し、しかしっ、部隊の半数を失ってしまっては――」


 対面のソファの背もたれの後ろに直立している群青色の軍服は、身振り手振りで弁明を試みる。だがノルバレン大公国軍兵士にとって、欲しかった結果が得られない現実は変わらない。つまり、弁明はなんらその意味をもたなかった。

 とはいえ結果を変えられないのであれば、いい加減先へ進まなければならない。だが、その沙汰を下す権限を持つ者はこの場にはいない。


 しばらくして執務室の扉が不意に開けられた。ノックもなしにそれができるのは、その場所で最上位に位置する者のみだ。ロザの領主リュゲル伯の三男だろうか。いいや、彼はすでに執務机に座っている。では誰か。


「集まっているな」


 険悪な室内の雰囲気など気にしない様子で入ってきたのは、ソファに座る男と同じ土色の軍服を着る男。そしてその部下と思わしき五名の軍人だった。


「ルディール少尉殿!」

「ん、いや、良い」


 ルディール少尉と呼ばれた男は、立ち上がり敬礼した部下を制止し、再び座るように促した。


「いや、お前も仮眠をとっておけ」

「しかし――」

「結果如何ではすぐにでもセントレントへ引き返すことになるのだ。休めるうちに休んでおけ」

「はっ」


 連日の強行軍の末に現地軍人の監督を努めた部下に休息を言い渡し、ルディール少尉はさっきまで部下の座っていたソファに腰掛けた。ソファの後ろには一緒に入室した部下がずらりと並ぶ。一人減って六名増えれば執務室はいささか手狭になった。部下の退室を見送り、ルディール少尉は目の前の群青色の軍服に向き直る。


「それで、結果は聞いたが詳しい報告がまだなのでね。聞かせてくれるか?」


 お前の部下にすでに話したという文句を呑み込んで、任務に当たっていた男は口を開いた。


「はっ。我々がシフォニ王国へ至る街道沿いで警戒をしていると、遠くに三名の旅人らしき人影が見えました。予め情報にあった三名という人数が一致しており、旅装という格好も情報通りでしたので、同行しておられた伍長殿に報告致しました」


 ハキハキとした口調もすぐに陰りを見せる。


「しかし……伍長殿が確認しようと振り向かれた瞬間……その」

「報告はきちんと行い給え。すでに遺体の確認は済ませている。右目の真上から左耳の後ろにかけて撃ち抜かれていた」


 ロザの騎兵隊たちにとって、ノルバレン大公国軍兵士の犠牲などどうでも良かった。むしろざまあみろとでも言ってやりたかった。だから沈黙したのは当然、虎の尾を踏むまいと空気を読んだからに過ぎない。


「それで、その後はどうなったのだ。当然追ったのだろうな?」


 この場所が自分にとってアウェーであることはルディール少尉ももちろん心得ていた。だからこそ、妙なことは考えるなと念押しするためにもギロリと鋭い視線を送り、報告していた男に続きを促した。


「え、ええ! ヨアン殿下らは街道を逸れられたので! 急いでその後を追ったところ、待ち伏せされてしまいまして――」


 男は語る。


 ヨアン王子の放った初弾が監督役の伍長の頭部を撃ち抜いた後、すぐに姿勢を低く保ち、射線を切るために草陰に隠れた。しばらく伏せた後、顔をあげると、草原を北へ走る二頭の馬を見た。


 わざわざルディール少尉に報告することはないが、正直この時、残された五人は顔を見合わせた。当然心中は一致していた。追うか、追わざるか。

 初弾、王子との距離は二百メートルはあった。この距離を正確に撃ち抜ける者はこの中にはいない。そもそも銃の性能という面で考えれば撃ち合うという選択肢は、できれば取りたくなかった。王子の持っている銃と違い、彼らが携えていたのは前装式のライフルを後装式に改良した急ごしらえの間に合わせ品だったからだ。ヨアン王子の持つ金属薬莢にも対応したボルトアクションライフルなど、王族か最精鋭の部隊にしか行き渡っていない。マスケットでない分、連射速度にさほどの差はないが、それでも精度の差は看過できないほど開いている。

 そして何より王子の実力である。二百メートルも離れた伍長の頭部を撃ち抜いた腕前はもちろんのことだが、それ以上にヨアン王子の所属部隊が驚異だった。イニピア王国のすべての騎兵隊に所属する者であれば、魔道騎兵という兵科の恐ろしさを知らないものはいない。数種類の魔法弾を打ち分け、戦列に甚大な被害を与える、味方にすれば戦場の神のような、敵にすれば悪魔のような存在だ。ヨアン王子は今戦争が初陣だそうだが、王家の身内贔屓で魔道騎兵隊を任されたわけではないことは、先程の射撃で証明された。そんな王子は、今は敵である。


 追えば誰かは死ぬだろう。だが、追わなければ全員銃殺されてしまうかもしれない。宿舎で踏ん反り返っている余所者を殺す手も考えた。だが、イニピア王国が陥落したという話が真実ならば、ノルバレン軍に反旗を翻すのは得策ではない。そもそも王子が自分たちを敵として認識しているのだ。忠義を尽くす義理もすでになく、もとよりノルバレン大公国への服従以外に道はなかった。

 道がひとつであれば結果は残さねばならない。男たちはすぐさま馬に跨った。


 男たちが草原を駆け出した時、すでに王子の姿はなかった。だが地平線の彼方に消えたわけではない。草原は平坦ではなく、小川の土手や小さな森、なだらかな丘が点在していて意外と起伏に富んでいる。その陰に隠れているだけだ。男たちは王子の消えた丘を目指した。


 だが、彼らが丘の上に立った時、眼下に王子の馬の姿はなかった。もちろん草原のすべてを見渡せるわけではない。だが、動いていれば目の端にでも映るはずだ。だがそうならないということは――。


 伏している? と、男が勘ぐったその瞬間、隣りにいた仲間の頭部が突然飛んだ。たとえ一瞬でも止まるべきではなかった。そんなどうしようもない後悔と同時に、男は「待ち伏せだ!」と警告を飛ばした。そして丘の陰に隠れようと慌てて馬を降り、踵を返すその一瞬の間に黒色火薬特有の白煙を見つけようとした。その時、再び銃声が虚空に鳴り響き、一番端にいた仲間が崩れ落ちた。たまらず草むらに飛び込んだ男は恐怖した。俺じゃなかっただけだ、と。そして王子が魔法弾を選ばなかった幸運に感謝した。


「おい! 王子の場所はわかるか?! どこから発砲した! 白煙は見たか!?」


 仲間に怒鳴るように尋ねるが、返答は芳しくない。仮に居場所がわかっていたとしても、白煙で位置を特定されることは向こうとて想定済みだろう。すでにその場にいないと考えるべきだ。ならばどうする。丘の陰に釘付けにされていても埒が明かない。なんとかして移動しなければ。回り込むか?


 だが男は考えを改めた。こちらは三人が犠牲になり、王子たちの犠牲はゼロ。となれば戦力差は同数だ。情報によると王子の連れには幼いメイド見習いの少女もいるらしい。まさか彼女も戦力数えられるとは思わないが油断は禁物だろう。実際にルディール少尉の部下たちが、王子たちの泊まる部屋に押し入っての捕縛を失敗しているのだから。そうだ。ならば自分たちがここで撤退という選択をしても咎められることはないはず。決断するに十分な犠牲をだしたのだから。

 文字通り、必死で撤退の言い訳を探し、彼らは命からがらロザへと逃げ帰ったのだった。



 イニピア王国王都セントレントの王宮で、ヨアン王子の捕縛失敗の知らせを受け取ったノルバレン大公は激怒した。


「あののろまどもめ! ことの重大さをまったく分かっておらん!」


 イニピア王も、その嫡男はもちろん、他の兄弟たちもすべて皆殺しにした今、イニピア王国の王位継承権保持者はノルバレン大公とヨアン王子だけ。継承権の順位としては直系であるヨアン王子のほうが上位にあたる。


 ノルバレン大公の目的は復古だった。中世以前の強大なイニピア王国を取り戻すこと。さもなくばイニピア王国を取り巻く列強諸国に近い将来呑み込まれてしまうだろうと考えたのだ。そのために工業力を強化し、軍拡を行った。そしてまず最初に古イニピア王国の中核となる王都セントレントを要するイニピア王国を陥落せしめた。

 だがノルバレン大公がイニピア王を名乗るには足りないものがあった。それは正統性である。正確にはヴィゼルグラム家の分家に当たる彼自身にも正統性はあったが、直系であるヨアン王子に比べれべば霞んでしまう程度のものだった。だからノルバレン大公は、是が非でもヨアン王子を殺したかったのだ。彼が生きている以上、ノルバレン大公はどれだけ武力を誇示しても、簒奪者の誹りを受けることを免れないだろうから。だが王子の捕縛には失敗してしまった。


 王子の逃げた先、シフォニ王国に暗殺者を差し向けるか? いや、あの使えない少尉以外からの報告では、王子にはふたりの魔道師が護衛としてついているとあった。どういう理屈か知らんが、人を眠らせる魔法を使うらしい。そのような魔法聞いたこともないが、まあ、優れた魔道師なのだろう。ヨアン王子もとんだ切り札を持っていたものだ。大公は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


 王子がシフォニ王宮と接触する前に暗殺できれば好都合だったが、少尉が国境都市ロザ郊外で王子と接触したのはもう一週間近く前のことだ。今から暗殺者を放ったとしてもすでに手遅れだろう。シフォニ王宮の庇護を受けていたとしても、狙撃による暗殺ならば王子を仕留める事自体は可能だ。だが、それだとシフォニ王国に、イニピア統一戦争へ介入する格好の口実を与えてしまう。


 黙考する大公は首を横に振った。


 いいや、王子はシフォニ王に助勢を請いイニピア王国奪還を目指すだろう。どのみちシフォニ王国の介入が避けられないのであれば、王子は暗殺しておくべきだ。


 沸騰した頭が冷め、考えが纏まったところにコンコンと扉の叩く音が飛び込んできた。誰か、と尋ねると見知った側近のひとりだった。戦況報告にきたのだろう。


 ちょうど良い、ついでにヨアン王子暗殺のための部隊をシフォニ王国王都ラミアンへ送り込むよう命じておこう。噂によると今戦争では魔道騎兵隊を率いていたとか。良き魔道師に育たれたようだが、これもイニピア王国のためだ。


 そう確信するノルバレン大公だったが、終にヨアン王子暗殺成功の知らせを受けることはなかった。だが頭を悩ませることはなく、かわりに首を傾げることとなる。なぜなら、いくら時が過ぎようとも、シフォニ王国になんの動きも見られなかったから。

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