第10話 出発の前に
リリヤドールを生贄の宿命から救う。だが、それによって多くのエルフたちが冬の王ネイハヤートと呼ばれるドラゴンの餌食になることは、トーヤとリリヤドールのふたりは望んではいない。もちろん俺もだ。
だが生贄の掟のことや、ドラゴンのこと、エルフのことすらも知らない俺が、具体的な方策を立てることなどできるはずがない。ならば、それらを良く知るトーヤたちならば、生贄の代案を用意できるのだろうか。
「生贄を捧げなかったらどうなるのだ?」
俺がレンを受け入れたことがよほど嬉しかったのか、すっかり俺に懐いたリリヤドールは俺にぴったりくっついて離れない。そんな妹のようなサイズのレンの頭を撫でながら俺は、彼女の兄に向き直った。
「昔、俺がまだ生まれる前だ。過去に二度、生贄を捧げなかった冬があるらしい」
なんだ、あるんじゃないか、と安心したが、それは早計だった。前例があるにも関わらず、生贄などという蛮習が絶えず続けられてきたのには、相応の理由があったのだ。
「二度ある、といっても最初の一度は伝説みたいなものだけど。今からおよそ四百年前、ヒトの英雄がニヤラを訪れたことがあったらしい。生贄の姫に一目惚れをした彼は、彼女の宿命を嘆き、ネイハヤートと戦うことを決意した。そして激闘の末に勝利し、姫を救うことに成功したのだとか。それでも掟を破ったことを咎められた姫はニヤラを追われ、英雄の国へと逃れたらしい」
「であれば、そのエルフの姫はまだ生きてるのではないか?」
エルフの寿命は千年とも言われている。その時の生贄の姫がリリヤドールと同じ年頃ならば、少なくとも寿命で死んでいることはないはずだ。会えれば、その英雄譚を直接聞けるかもしれない。
だが、残念そうにトーヤは首を横に振った。
「その後エルフの姫がどうなったかはわからないんだ。彼女はもともと追放されたわけで、足跡は追っていなかったし、二度目の失敗があってからその話自体がタブーになってしまったから」
「二度目は失敗したのか」
ああ、と短く、しかしきっぱりと肯定を示してトーヤは続けた。
「上手くいった前例があるということを理由に、当時、父たち若者のなかで再びネイハヤートと戦う話が持ち上がったらしい。けれどその時は英雄なんていなかった。だから父たちは周到に計画を立て、入念に準備をし、そしてある夏、ついにドラゴンへと挑んだらしいんだ」
「それで破れた、と」
「ああ。その冬はとても厳しいものになり、五千人が凍死したらしい。それ以来、二度とネイハヤートに抗う愚か者を生まないために、ふたつの話はニヤラのなかでタブーとされたんだ」
「それをどうしてトーヤが知っているのだ?」
「生贄を廃止しろと俺があんまりしつこいものだから父が話してくれたんだよ」
トーヤはいたずらな笑みを見せた。彼の父親にとっては苦い思い出だろうに。
「笑っている場合ではないだろう。現実問題、また五千人の凍死者をだすわけにもいかないだろう」
俺が指摘するとトーヤは、その言葉を待ってましたと言わんばかりの自信有り気な表情を浮かべた。
「そのための工業化なんだ」
彼は腰に差したマスケットピストルを取り出して見せる。火打ち石を使って火薬に点火する方式の銃だ。マスケットも雷管式が主流のこの時代では、アンティークもいいところ。そんな時代遅れの代物でドラゴンと戦うつもりなのかと思うと眉をひそめざるを得ない。それに、
「工業化など、冬に間に合うわけがないだろう。もう秋なのだぞ」
エルフの住まいは森だ。そこを工業化するとなると、まず樹齢千年を越すような大木を何百本も切り開かなければならない。とても数ヶ月でできるものではない。年単位で計画を練らねばならない一大事業だ。聞けば鍛冶屋すら国に数えるほどしかいないらしいではないか。なのにトーヤときたらやけに楽観的だ。
「大丈夫、それについては秘策があるんだ」
胸を張って得意げな笑みを崩さないトーヤ。よほどの自信があるらしい。そこまで言うのであればそちらは任せておいて、俺はイニピア王国からの脱出に専念するべきだろう。国境を越えさえすれば、ひとまず安心できる。
「ならば早いうちにニヤラに帰ることだな」
そう言って俺は背嚢から地図を出した。そして机の上に広げてある一点を指す。
「まずはシフォニ王国へ行こう。ここからだとセリクシアという国境都市が一番近いだろう。その手前にロザというイニピア側の都市がある。まずはそこを目指すとしようか」
地図の上をすうと指でなぞり、説明する。ロザまでは急げば二日ほどで到着するが、追っ手は撒いてあるのでそこまで急ぐ必要はないだろう。
「出発は? 今日中に立つか?」
「いや、王都からは何日も離れているし、街道をまっすぐ来たわけでもない。そう急がなくても良いだろう。今日一日くらいはゆっくりと疲れを癒そう。それに補給も必要だし」
「ああ、そうだな」
■
ヨアンはもう少し気をつけるべきだった。少なくとも、酒場でトーヤに名を呼ばれた時、周囲の様子を窺っていれば、早急に支度をととのえ、その日のうちに出発するという選択を取り得ただろう。そうなれば無駄に戦う羽目になることはなかったはずだ。
追っ手を撒いたからと油断し、トーヤの迂闊な発言を聞き流してしまったのはヨアンの油断。結果、噂好きの男に自身の正体を勘ぐられたことに気づけなかったのだから。ヨアンの正体を知らなかったトーヤを誰が責められよう。
ヨアンたちが田舎町ノーランのささやかな市場で旅の支度をしていた時、この小さな町にノルバレン大公国の兵士が何名か訪れていた。彼らは逃走中のヨアン・オーライン・ディナ・ヴィゼルグラム王子を捕縛するために各地に派遣された複数の捜索隊のうちの一組だった。逃亡中の王子の身柄を確保するという捜索隊の目的の性質上、彼らは静かにこの町へやってきた。けれど、小さな田舎町とあれば余所者が来たという噂は、またたく間に町人たちの間に広がるだろう。それが旅人ではなく、戦争中の他国の兵士とくればなおの事だ。だが、噂が広がるのは町人たちの間でだけだ。積極的に情報収集をしなければ、余所者の耳には入らない。少なくとも、守るべき家族の行方を探す必要のなくなったヨアンが、積極的に町人と関わろうとするはずもなく、結果、彼らの耳に、ヨアン王子の捜索隊の噂が届くことはなかった。
だが逆はその限りではなかった。噂好きの男は、噂の捜索隊に接触する。そして王子の身柄に莫大な懸賞金が賭けられていることを知った。それが自分の十年分の稼ぎに相当する金額だと知ってしまえば、年老いた病気がちな母と幼い三人の娘を養う男に、昨晩のヨアンと呼ばれた少年の情報を捜索隊に持ち込まない理由はない。もしも少年が本当に逃亡中のヨアン王子であれば、情報提供者として、懸賞金の何割かにはありつけるだろう。そんな甘い希望を胸に、噂好きの男は捜索隊の宿泊する宿屋を訪れたのだった。
「――それは本当なんだな?」
「え、ええ! 俺は確かに聞いたんでさぁ。連れにヨアンと呼ばれるところね!」
まるでこちらを見下すような鋭い眼光にやや怖気づきながらも男は、その時の状況を詳しく説明した。
薄汚れたマントを身に纏い、にもかかわらず読み書きができる素養を持ち、王族の処刑の情報に強い動揺を示した逃亡中の王子と同じ名を持つ少年。これで同名というだけの他人であるならば、それはそれで同僚へのとっておきの土産話になるだろう。だが、噂好きの男はさらに兵士たちを焚きつける。
「それに髪の色だって、王子と同じ赤だった。こりゃあ間違いないでしょう。少なくとも、当たってみて損はないはずだ!」
豪語してみせる男に捜索隊の兵士たちは、互いに顔を見合わせて頷きあった。その様子に満足気な笑みを浮かべた男は、忘れることのできない本題をきりだした。
「それでですねえ、もしもその少年が本物なら、俺にもその、懸賞金の分け前を頂きてえんですがね」
男の業突張った笑みに、兵士たちは呆れて肩を竦めた。
「俺たちは探すのが仕事なんだ。俺たちが捕らえても懸賞金なんて出るわけがないだろう? ま、特別に報奨はいただけるだろうから、その時は情報量くらいはくれてやるさ」
一瞬、男は笑顔のまま固まってしまう。兵士に支払われる報奨金など、懸賞金に比べれば雀の涙ほどの額にも満たないだろう。男は自分の迂闊さを呪う。だが、含む所ありと兵士たちに思われては面倒になる。男はとっさに「へへっ、ありがとうごぜいやす」と、揉み手に身体を揺すった。
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