第9話 こんな馬鹿な話があるか

 一度は微笑んだリリヤドールだが、その顔はすぐに難しい表情に戻った。


「しかしよいのか? 国が破れても、仕えるべき主を失っても、守るべき家族がいるじゃろう」


 丘の上から燃える王都を見た時、隠し通路があるとは言ったけれど、それが王宮へ続いているとは言っていないし、装備品についているヴィゼルグラム王家の紋章も、リリヤドールたちは知らない。つまり、彼女は俺が家族を失ったことを知らないのだ。

 本当は俺が王子であることを告白するべきなのだろうが、憐れまれるのは趣味ではない。


「いいんだ。家には兄がいるし。兄は今回の戦争には出ていないから」


 だから真っ赤な嘘を吐いた。気を使われたくなかったというのもあるけれど、これは俺なりの決意でもあった。ヴィゼルグラムという名を捨てること。ヨアン・オーライン・ディナ・ヴィゼルグラムではなく、ただのヨアンとして生きていくことを決めたのだ。


 俺がいくら気にするなと言い聞かせても、故郷を捨てさせることになるという罪悪感は拭いきれないのだろう「ならばよいじゃが」と短く答えるリリヤドールの笑みは、申し訳無さそうに眉をハの字に下げたものだった。



 俺がリリヤドールのレン役を引き受けたことをトーヤに話すと、驚くほどあっさり納得してくれた。混乱していたとはいえ大切な妹を人質にとった男だというのに、軽率過ぎやしないかと俺が不安に思うほどだ。逃走という緊張した旅を経て、少しは信頼してもらったということだろうか。


「魔力にも相性ってのがあるんだよ。リリヤドールにとってヨアンの魔力は心地よかったんじゃないか? みんながみんなそうじゃないけど、レンを選ぶときに魔力の相性を重要視する人は多いよ」

「でも、それだけでは相手の本質を見極めることはできないだろう?」


 なるほどリリヤドールが俺を選んだ理由はわかったが、トーヤがあっさりと許した理由はわからない。妹との魔力の相性とやらが良くても、危険な者をレンにすることなど許されないはずだ。


「まあ、何を考えているかまではわからないけど、なんていうか、雰囲気みたいなものは感じることができるんだよ。リリヤドールを人質にとったとき、本当は傷つけるつもりさえなかったんじゃないか?」


 指摘されて思い出す。もともととっさの出来事だったし、何より目的は自衛だった。だがそれは積極的に傷つけるつもりはなかったというだけだ。ことと次第によっては、結果は違ったものになっていたかもしれない。


 それは考えてもしかたのないこと、か。もしも話のその先など……。確かに俺はあの時、リリヤドールに害意を持っていなかった。持つ理由がなかったからだ。それを感じ取っていたから彼女は、俺の腕の中にいて動じることもなかったということか。


「……なるほど。妹の魔力と相性が良いということは、トーヤの魔力とも相性がいいということか?」


 親兄弟は顔が似るというし、魔力も同じようなものなのだろうか。そんな何てことはない質問だったのだが、


「ばっ、俺にそっちの趣味はない!」


 あからさまに焦り、あまつさえ身体を守るように腕を交差させて後ずさるトーヤ。今、まさに妹のレンになるという話しだっただろうに、なぜ俺があらぬ疑いをかけられなければならないのか甚だ疑問だ。


「安心しろ。俺にもその気はない」


 ふざけた兄は放っておいて、と俺は妹の方に向き直った。


「それで、具体的には何をすれば良いのだ? 振りをするということは、誰かに……他のエルフたちに俺がリリヤドールのレンとなったことをアピールすれば良いのか?」

「そうなのじゃが」

「引き受けることになったのだから、そんなことをする理由は聞かせてくれるのか? 知っているのと知らないのとでは、細かな立ち回りに差がでてくると思うのだが」


 うむ、と言葉では同意しつつも言い淀むリリヤドール。ここに至って何を躊躇することがあるのか。いい加減立ち直ってきたトーヤに目を遣ってみても、無理はないと言わんばかりに妹を見守る姿勢を見せている。ここまでくると一体何を言われるのかと逆にこちらが身構えてしまう。

 しかし、いつかは言わなくてはならないことで、そしてそれは今をおいて他にない。流石に観念したのか、リリヤドールは恐る恐る口を開いた。だがそこには、なんとも弱気な前口上がくっついていた。


「故郷のために命を賭して戦ったお主には、きっと軽蔑されてしまうかもしれぬ……」


 意を決したリリヤドールは、伏せていた瞳を大きく開けて真っ直ぐに俺を見た。


「ニヤラには古くからある風習がある。森に厳しい冬をもたらす氷雪のドラゴン”冬の王・ネイハヤート”に生贄を捧げるというものじゃ。わしは……その生贄として生まれ、育てられたのじゃ。そしてトーヤお兄さまは、そんなわしを不憫に思い、救い出してくれたのじゃ」

「レンができれば生贄は免除されるのか?」

「ああ。生贄は”乙女”でなくてはならないんだ」


 トーヤが肯定した。

 なるほど、だからあの時、リリヤドールは最初に子供が欲しいと言ったのか。つまり俺はリリヤドールと契ったと偽れば良いわけだ。だが疑問が残る。

 リリヤドールの生きたいという願い。それが俺の、彼女を軽蔑する理由になり得るだろうか? 確かにリリヤドールが生贄という宿命を拒めば、別の者が新たに生贄に選出されるのかもしれないし、あるいは生贄を捧げなかったということでドラゴンの怒りを買うことになるかもしれない。けれど、それとこれとは別だ。生きたいと願うのは悪だろうか。妹を助けたいと思うトーヤの想いは悪だろうか。俺がそう断じると思われていたならば、むしろ心外なくらいだ。


「…………無辜の民であれば」


 内心で不満を溢していたら、リリヤドールがひどく深刻そうな口調で言葉を紡ぎ出した。どうやら続きがあるらしい。


「――無辜の民であれば、生贄という宿命を背負わされるのはさぞ辛かろう。じゃが……じゃが、わしは、王家の女で、わ、わしは――」


 緊張して言葉を喉に詰まらせながらリリヤドールは、途切れ途切れの言葉を何とか繋ぐ。


「……あの、王族でありながら我が身大事さに……その」


 言いたいことはわかる。

 ”持てる者の義務”のことを言っているのだろう。レギニアにもある思想で、力を持つ者は力なき民のためにその力を尽くさなくてはならないというものだ。それは王族に限った話ではないが、王族であれば求められるものはより多くなるだろう。リリヤドールの言葉を鑑みるに、エルフにも同じような文化があることが窺える。

 だがエルフの社会は大きく間違っている。


「それは――。いいか、リリヤドール」


 俺は膝立ちになり、小さなリリヤドールと目の高さを合わせた。

 死にたくないと、彼女の空色の瞳は訴えている。けれど、国のために命を賭さないことへの罪悪感にひどく苛まれているようだ。そんな彼女になんと言えばいい? 家族を失ったとはいえ、国を捨てた王子である俺が、いったい何を言えるだろう。

 「そんな風習は間違っている」と社会批判を繰り広げることだろうか。それとも「自らの意思でなければ命を賭す行為に意味はない」と諭すことだろうか。残念ながら俺には、そのどちらも語る資格はない。俺にできるのはただのひとつ。


「良いじゃないか、逃げたって。誰だって死にたくないのだから」


 彼女を肯定してやることだけだ。


「じゃが……」


 なおも不安そうなリリヤドールの頭に手を乗せて俺は、俺の言葉がどれだけ説得力があるのかを力説した。


「俺だけはお前を肯定してやれるぞ? なぜなら俺は、イニピア王国の……今は亡き、ヴィゼルグラム王家の王子なのだからな」


 馬鹿みたいにまんまるに開いたリリヤドールの瞳に俺は思わず笑ってしまった。


 国を捨てた王子が、負うべき義務から逃げた挙句、他国の王女の職務放棄の幇助をする。まるで冗談のような話じゃないか。

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