第8話 生きる理由
立ち寄ったノーランという田舎町の大衆食堂で、戦争の顛末について話していたのはちょうど隣の席のふたり組みの男だった。
王都が陥落し、防衛戦に励んでいた陛下や兄王子たちは捕らえられてしまったらしい。あの秘密通路から王宮へ戻っていれば俺も同じ運命を辿っていたに違いない。家族が処刑されたのは悲しいことだが、燃える王都を見た時から覚悟をしていたことだ。だから悲しみはすれどショックを受けることはなかった。ただ、それが男連中だけだったならば。
「これでヴィゼルグラム家も終わりだな」
「馬鹿っ、滅多なことを言うもんじゃねえぞ」
「なにびびってんだ。一族皆殺しにあった王家の名誉を誰が守るっていうんだよ」
一族皆殺し、という言葉に思わず眉を潜めた。
姉さまたちは逃げきれなかったのだろうか。いやいや、ただの噂話にどれほどの信憑性があるだろうか。それに俺たちは道中のんびり歩いてきたわけではない。噂の伝達速度が速いことはわかっているが、それにしても尋常ではない。だが火のないところに煙は立たないとも言う。
「ヨアン、この料理は口にあわなかったのか? わしは美味しいと思うのじゃが。ニヤラにはこのようなものはなかったからの」
俺を王子だと知らないリリヤドールは、俺のしかめっ面を料理のせいだと思ったらしい。トーヤも首を傾げていた。
「いや、美味しいよ」
自分でも苦い笑みだと思う。だが何とか取り繕って俺は再び男たちの噂話に耳を傾けた。
「王都の広場によ、断頭台がずらっと並べられてよ、執行人が両手斧でズバンッ、だ」
「見てきたような口ぶりじゃねえか」
「俺じゃねえよ。聞屋が通りでビラを配ってたんだ」
「そんなもん信用できんのかよ。ただの噂だろ?」
「ただのゴシップ誌じゃねえ、王都日報だぞ。それに王族が皆殺しにあったなんて嘘書きゃ、記者本人だけじゃなく、その一族も、それこそ処刑されちまう。会社も解体さ。ほら、これだ」
男は一枚の紙切れを取り出した。
「俺には読めねえよ。知ってんだろ」
「いい加減、読むくらいはできるようになれよ」
「使わねえんだから別にいいだろ」
「まあ、お前がいいならいいけどよ」
筋違いだとわかっていても脱線する会話に苛立ちを覚えた。
「で、なんて書いてあるんだ?」
ああ、と男は持参した号外に目を向けた。
「アーグ暦一八四六年八月二十日、イニピア王国王都セントレントのホーリシャ記念広場で、ヴィゼルグラム王家の処刑が行われた。セントレント陥落の即日に処刑は行われ、国王や王子の他、逃亡を図った王妃や王女らも捕らえられ、断頭台に並べられた。この処刑をもってノルバレン大公は、ノルバレン大公国とイニピア王国の統合と、ノルバレン朝イニピア王国の成立を宣言された――だってよ」
酒など飲んでいないはずなのに視界がぐらついたのはなぜだろうか。俺は一度、目を強く瞑り、再びゆっくりと開けた。もう大丈夫。視界も頭もはっきりしている。
「へぇ、まあ俺たちにゃ関係ないことだけどな。誰が王さまになろうと、何も変わりゃしないさ」
「まあな。ああ、でもお前、革細工職人だったよな。ノルバレン大公国じゃ職人がどんどん減ってってるみたいだから、お前、これから忙しくなるんじゃねえの?」
「ほう、そりゃ良かった!」
他人事の男たちに苛つきながら俺は席を立つ。兎にも角にも話の真偽を確かめなければならない。
「あ? 何だお前」
気づけば男たちのテーブルの前に立っていた。ふたりは訝しげに俺を睨みつける。どうしてそう喧嘩腰なのか。俺はそんなに切羽詰った顔をしているのだろか。
「すまないがその新聞、少し見せてくれないか?」
「あ? ああ、お前もこれが気になるのか。どれ、読んでやるよ」
「いや、それにはおよばない。自分で読める」
「ほう、珍しいな。格好の割に話し方も丁寧だし。さては、ひとりだけ逃げた末弟王子だったりして」
心臓が止まった――――かと思った。変な反応をしてしまって本当に疑いを持たれてはたまらない。宮廷で培ったポーカーフェイスはまさにこういう時のために身につけたもの。必死に感情を押し殺していると、
「なんてな」
と、男がおどけて方を竦めた。肩透かしをくらった俺の苛立ちはますます大きくなっていく。抑える感情が危機感から殺意へと変わる。
「本当に王妃や王女も殺されたのか?」
「まあ、そう書いてあるな」
渡された号外を手に取り、目を通す。確かに、男の言った通りだった。王都日報は宮廷でも取り寄せているお硬い新聞だ。俺はあまり読まないけれど、
「…………ありがとう」
新聞を男に返し席に戻ると、トーヤとリリヤドールが心配そうに俺を見つめていた。
「ヨアン、大丈夫か?」「この国の王が亡くなられたのか」
交代に言葉をかけてくれる。ありがたいことだが今の俺にはそれに応える余裕はなかった。もう食事も喉を通らない。
俺はこれからどうすれば良い? 国を失い、帰る場所を失い、帰る場所さえも失ってしまった。第三王子ヨアン・オーライン・ディナ・ヴィゼルグラムここにありと名乗りを上げて抵抗を続けるか。今の状況では、復讐に燃えたほうがまだ現実的だ。だが、それに何の価値がある? 復讐など、成し遂げたところで、姉さまは戻ってこない。
戦場に赴く日、俺は何と言って出陣した? 心配そうなフロランシア姉さまに、大公の軍なんて蹴散らしてくるから安心して待っていてくれと嘯いてみせた。必ず生きて帰ってくるからそんな顔をしないで良いと胸を張ってもみせた。なのに……。
宿屋に戻った俺はそのまま崩れるようにベッドに倒れ込んだ。ひどく疲れたような気がするのになかな寝付けなくて、こんな夜に限ってやけに静かで、長閑な田舎町だというのに、夏の虫の歌声さえも聞こえてこない。
もうどれくらい経っただろうか。安宿の部屋には時計はなくて、未だに時刻は神殿の鐘で把握し無くてはならない。けれど、深夜に鐘などなるわけもなく、今がいったい何時なのか、あとどれくらいで朝日が登るのかもわからなければ、その夜は無限に続くのではと思えるほど長く長く感じられた。
ずっと考えていた。これからどうしようかを考えていた。幸い、冷静になるだけの時間はあった。
身分を偽り、どこかの片田舎でひっそりと暮らすか。それとも隣国に亡命して助力を請うか。あるいは暗殺術を身に着け大公を暗殺するか。いや、それはないな。だがどれもこれもいまいちピンとこなくて、結局、窓の隙間から朝日が差し込むようになっても、何ひとつ決められることはなく、寝不足の頭だけが俺に残った。と、そのとき、
コンコン
まだ早朝だというのに扉が鳴った。ぼうっとする頭を掻きながら、ちっとも眠くないのにしょぼしょぼする目を擦りながら、俺はベッドから身体を起こした。
同時に部屋の扉が開く。許可は出していない。これではノックの意味がないではないか。ささくれだっているのは寝不足のせいか。姿を見せる前に気づけてよかった。
遠慮がちに開く扉に、こちらからも力を加える。すると「わわっ」とリリヤドールの驚く声がして、少し笑った。
勢いよく開く扉に釣られるように彼女は、飛び出すように姿を現した。
俺はがっしりした体格ではないが、リリヤドールのような幼い少女――と言えば彼女は怒るかもしれないが――を支えるくらいの力はある。俺にぶつかった彼女は、目を丸くしてこちらを見上げた。
「起きておったのか。む、その様子では昨晩はあまり寝られなかったようじゃな」
その恥ずかしげな苦笑いは、俺を励まそうとしてくれているのか?
「はは、心配してくれたのか?」
誂うように尋ねると、彼女は急に真面目な顔をした。
「当然じゃ!」
睨みつけるといってもいいくらいの強い眼差しに思わずギクリとする。薄暗い室内でも彼女の淡い碧眼には光彩が輝いている。
「……当然じゃ」
言って聞かせるような二度目は、その言葉が本心であることを強く訴えていた。
ああ、そうだな。
別に自棄になったわけではない。寝不足でぼうっとしていたわけでもない。目が覚めるよな空色の瞳に絆(ほだ)されたわけでもない。
ただ、俺にもまだ出来ることがあって、それが俺のことを心配してくれる人のためになるのなら、今しばらくはそのために生きてみようと思っただけだ。
「なあ、リリヤドール」
「む?」
あどけない彼女の瞳に俺が映り込んでいる。
二度も無碍にしたくせに自分勝手だと罵られてしまうだろうか。請い願ったのが”振り”だとはいえ、緊張しただろうから。
けれどもし許されるなら、ほんの少しの時間だけ、俺の生きる理由になって欲しいと思ったのだ。
「俺に、レンの役を引き受けせて欲しい」
彼女は目を丸くして驚いた後、ほっと胸を撫で下ろし、そして、ふんわりと春の蕾が花開くように微笑んだ。
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