第7話 思い違い
山脈にへばりつくような大森林とは違い、平野に点在する森は大きいものもあるけれど、ほとんどが半時間もあればぐるりと一周できる程度の小さな森だ。そこを流れる川を見つけるのは造作も無いことで、適当に歩いていてもすぐに行き当たる。川に出たらあとは右か左、上流か下流、どちらに向かうかだ。俺にも森の声とやらが聞こえれば迷うことなどないのかもしれないが、残念ながらそんな特殊能力はないので、手がかりを見つけるか、さもなくば勘だ。現状、当然”さもない”ので勘で行くしかない。
「上流か下流か……」
川を前にして右か左かを決めかねていると、突然一陣の風が吹いた。木々をすり抜け、下流から上流へ抜ける。まるで俺を誘っているような。馬鹿なと自嘲するが、そんな自分を俯瞰しながらも俺は迷い込むように上流へ足を向けた。
不思議な事もあるものだなどと、まさか本気で思っているのか。不思議なことなどありはしないと、奇妙な感覚を否定した。
風に導かれるようにふわふわと覚束ない足取りで夏草を踏みしめて歩いていく。するとちょうど木々の隙間からきらきらと何かが輝いているのが見えた。
川の水に太陽の光が反射しているのか。耳をくすぐるせせらぎが、辛うじて意識をこちら側へと保ってくれている。
さらに近づくと奇妙な感覚はよりいっそう強くなった。だがそのお陰で原因がはっきりした。この軽い息苦しさは生命属性の魔力だ。そのお陰で気を確かに保つことができたけれど。
「……妙だな」
肌で感じられるほど濃い魔力なんて……。
この世界にはありとあらゆるものに魔力が宿っている。そこら辺の空気中にも、木や石にも、銃にだって宿っている。もちろん俺にもエルフの兄妹にも。生き物に宿る魔力に多寡があるように、土地にも魔力の濃い場所、薄い場所というのが存在する。とりわけ濃い場所のことをレギニアでは原色地と呼んでいるのだが……。
「こんなところに原色地はなかったはず」
そもそも原色地の最深部など、魔力が濃すぎて立ち入れたものではない。つまり、いくら肌で感じられるほど魔力が濃いといっても、ここはまだ最深部には程遠い外縁部だ。森が原色地になるとすれば、それは生命属性のものが一般的だ。だが原色地となるような森は、膨大な生命を宿す巨大な森である必要がある。なのにこの森は、三十分も歩けば一周できそうな規模。これでは小さすぎる。
つまり肌で感じるこの魔力は自然界に満ちる魔力が原因ではないということだ。ではこの魔力の正体は?
いや、よそう。薄々は感じていることだ。しかしだからこそ不可解でもある。どうして”彼女”の魔力がこんなにも広範囲に渡って広がっているのか。
「本人がそうしているのか?」
まさか勝手に溢れ出ている? そう考えたが、いやそれはない、とすぐに思いなおす。
確かに、魔力の制御は手足を動かすのとはわけが違う。幼い頃から鍛錬を積み重ね、ようやく習得する技術だ。だが、魔法に長けたエルフがその技術を習得していないなど、ありえることだろうか。そもそも俺はリリヤドールが魔法を使う場面を目撃しているではないか。
「では意図的だというのか? いったいなぜ……」
木々の隙間から漏れる光を辿って、ようやく暗がりを抜けた。そこには小さな泉があった。泉の上を覆いきれずに薄くなった枝葉の隙間から光が射し込んで木漏れ日となっている。水面がきらきらと輝いていて、木々の隙間から見えていた光の正体を知った。だが肝心のリリヤドールがいない。まだ先なのだろうか。泉の奥に目を向けたその時、
「わ、わしだって誰か来ぬかと、警戒くらいするっ」
横から声をかけられた。とっさに振り向くとそこには、服で前を隠した裸のリリヤドールがいた。俺の接近を事前に察知していたらしいが、どうやら服を着る暇はなかったらしい。よほど慌てていたのだろう、透き通るような綺麗な金髪から滴る水滴がきらきらと宝石のように輝きを放っている。
胸の前で服を持つ小さな手は小さく震えていて、顔は上気している。いかにも子供らしい体つきに劣情などもよおすはずもないが、恥ずかしそうにしているリリヤドールに、彼女がエルフであることを思い出した。
身体が幼くてもヒトの子供と同じように扱うのは失礼なのかもしれない。
「すまない」
そう言って、ようやく顔を背けた俺に、リリヤドールから予想外の言葉が投げられた。
「しっ、しかし、お主から来てくれるとは、い、意外じゃった」
その声は緊張に震えており、しかしどこか喜色を帯びているようでもあった。
「でもっ、その、やるべきことというのは、も、もうよいのか? もし良ければそれが終わるまで待っても良いが……あ、でもわしの方に時間がないか……」
いったい何を言っているのかと再び彼女に向き直る。すると俺と目があったリリヤドールは、こちらの様子を窺うような瞳で申し訳なさそうに、
「…………すまぬ」
と小さく口にしたのだった。
「いったい何の――」
――話だ、と尋ねようとしたその言葉は、彼女の続けざまの言葉に遮られる。
「でも、わしは嬉しかったぞ。お主がレンの話を考え直してくれて」
これで俺は理解した。同時にとてもいたたまれない気持ちになった。なぜなら俺は、この花の開いたような笑顔に残酷な言葉をもう一度告げなければならないからだ。
「いいや、違うんだリリヤドール。俺はただ、水汲みに行ったまま帰らないお前を心配して様子を見に来ただけなんだ」
すると彼女は「え」と小さく溢して、赤い頬をさらに赤くして俯いてしまった。その姿に醜態を晒させた俺の方もいたたまれない気分になった。
苦し紛れに顔を背けて俺は彼女の頭に手をぽんと乗せた。
「昨日は大変だったからな! 嫌な汗もたくさんかいたし。俺も、後で水浴びさせてもらうよ!」
顔を上げたリリヤドールは、まだ少し恥ずかしそうな顔で「冷たくて気持ちがよかったぞ」と勧めてくれた。
□
さて、逃走を続けるにあたっていくつか考えなければならないことがあった。まず絶対にするべきことは変装だ。エルフのふたりは旅用のマントを羽織っているので、フードを被れば長い耳は隠すことができる。今までずっとそうしてきたらしい。リリヤドールのレンを探す旅だというのに、人を避けていては本末転倒のような気もするが。
問題は俺だ。この目立つ真紅の指揮官服は脱がねばならないだろう。ましてや王家の紋章入りだ。これはトーヤに代わりの服を借りることで解決した。背丈が同じくらいだとうことが幸いして、服のサイズはぴったりだった。エルフの民族衣装かと思いきや、こっちの街に立ち寄ったときに買ったものがあるらしく、トーヤが取り出したのは、よく城下で庶民たちが来ている見慣れた服だった。王族がするような格好ではないと母上がヒステリーを起こしそうなものだが、その目もないとあれば、心置きなく袖を通せるというものだ。
「ところでその髪はいいのか?」
トーヤが俺の頭を指して言った。
「髪?」
「その赤い髪は目立つんじゃないのか?」
赤毛にしては色の薄い俺の髪は、確かに少し珍しいかもしれない。けれど、赤毛自体は珍しくもなんともない。
「こっちじゃそう珍しいものではないさ。一番多いのは茶色だが、赤毛も二十人集めればひとりはいる」
異国の意外な一面に兄妹は揃って「へー」と相槌をうった。エルフはだいたい金髪か銀髪らしい。
次は銃だ。猟銃と偽るにはあまりに最新式過ぎる俺の銃は、街に入るときは布を巻き付けたりして目立たなくする必要があるだろう。だが万が一、追っ手と遭遇戦になった時、使えなければ目も当てられないのにで、布を巻くのは関所や都市門などの検問を潜るときだけだ。
そうして幾つかの対策を練った後、俺たちは再び西へと出発する。今はとにかく情報が欲しい。噂話でも何でもいいので、それらが集まる街へ行きたかった。ただ素直に西へ向かえば追っ手と鉢合わせになるかもしれない。だから西ではなく北西へと進路を取り、できるだけ街道を通らずに馬を走らせた。
出発から二日後。俺たちはノーランという小さな田舎町に到着した。都市壁もないような片田舎の宿場町だ。当然検問などなく、俺たちはすんなりと旅人として宿をとることができた。そしてその夜、俺は夕食のために立ち寄った大衆食堂で、王族の処刑が王都セントレントで行われたことを知った。
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