第6話 トーヤの憂い
追手を撃退した俺たちはしばらく街道を西に進んだ後、途中で北に折れ、原野に点在する森のひとつを夜営地に決めた。
森のなかに紛れれば焚き火をしても街道からその灯りが見えることはないだろう。流石に夜の森に入るのは危険過ぎるんじゃないかと警告したところ、エルフの兄妹は「森の住人を前に何を言ってるんだ」と口を揃えて笑った。エルフには”森の声”とやらが聞こえるらしい。本当だろうか?
感心したことがもうひとつ。今回、追われている手前、食料調達に銃を使うことは憚られた。木々に反響した銃声が街道に届くかもしれないからだ。王宮にいた頃に狩猟でならした射撃の腕はまったく役に立たず、これはまいったと俺が頭を掻いていると、
「今度は俺に任せろ」
と、トーヤが胸を張ってみせた。エルフのなかでも革新派という立ち位置で、自身の得物はフリントロック式のマスケットピストルという彼だが、それでも弓の腕前には自信があるらしい。実際、宣言通り、トーヤは夜になる前に立派な野うさぎを射止めて戻ってきた。
「すごいな」
「そりゃ百年以上の付き合いだからな」
イニピア王国一の弓の名手でも、それほどの時を弓矢とともに過ごしたことはないだろう。そう考えると、なるほどすんなりと納得することができた。意外だと思うのはトーヤが自分と同じ年頃に見えるからだ。
「やっぱり、長命なのだな」
「まあね」
この日は三人とも、昼間の出来事について誰も何も話そうとはしなかった。トーヤとリリヤドールが俺に気を使ってくれたのかもしれない。俺も、ほんの少しだけ、後回しにできるなら、そうしたい気分だった。それがたとえ一晩だけだったとしても。
□
朝、焚き火のパチパチと燃える音で目が覚めた。昨晩も見たことだが、エルフには火起こしの魔法などというものもあるらしい。エルフの社会ではヒトよりもずっと魔法が身近にあるようだ。
「そんなに魔法が得意なのに、どうして銃に頼るんだ?」
朝食の準備をしていたトーヤに話しかけた。俺に気づいたトーヤはこちらを一瞥し、しかしすぐに焚き火に焼べた兎肉の様子を見守るべく視線をもとに戻した。
「おはよう、ヨアン。別に銃だけを列強の力だと言ってるわけじゃないよ」
「工業化された社会?」
「それもあるけど、俺が恐れてるのはソレさ」
トーヤは枕元に置いてあった俺のライフルを指さした。銃だけではないと言いつつ、指したのは銃だ。俺は首を傾げたがトーヤが銃を指したのは間違いではなかった。
「そう、ソレ。確かにエルフにとって魔法は生活に欠かせないものだし、ヒトの魔法よりも早くて強い。長老たちはその優位がいつまでも続くと本気で考えているようだけど、俺はそうは思っていない。いずれヒトの魔法はエルフの魔法を越える。昨日、ヨアン自信がその可能性を見せてくれたじゃないか」
魔道騎兵。その言葉が頭に浮かんだ。
過去、馬に跨がり戦う騎士のなかで魔法を習得した者を魔道騎士と呼んだ。だが今の魔道騎兵はその延長上に当たる存在ではない。
過去、戦争は剣と魔法で戦うものだった。そこへ銃が発明された。銃は、騎士・魔道師・弓兵の三つ巴の関係に一石を投じるものだった。簡単な訓練を積めば誰もが扱えるそれは、戦場の様相を大きく変えてしまうには十分な力を持っていた。騎士や魔道師は貴族階級だったため、誉れとともに存続したが、弓兵は局所的な運用を除く主戦場からその姿を完全に消すことになった。
銃が魔法と深く関わるようになったのは、鉛とミスリルの合金である真銀鉛の発明がきっかけだった。魔導性に優れる真銀鉛製の弾丸に魔法陣が転写された魔法弾が開発され、魔道師が短杖から銃へと武器を持ち替える時代が訪れたのだ。そして、ただ銃を持ち戦列を形勢するのではなく、馬に跨がり野を駆けることで、騎士の持っていた機動力も手に入れることに成功する。もはやこれまでの魔法は古典魔法と言われ、習得する意義を失ってしまった。
ただ、魔力操作さえ習得すればいいとはいえ、鍛錬には数年を要するため、本当に誰もが簡単になれるわけではなく、相変わらずエリートではあった。それでも昔ながらの魔道師ほど選ばれた者ではなくなったのは事実だ。
「魔法と科学の融合……」
呟くような俺の言葉にトーヤは、我が意を得たりと深く頷いた。
「まだその流れは始まったばかりだけど、きっとこれからもっと加速すると思う」
「ずいぶんと先の長い話だな」
真銀鉛が発明されたのは、およそ五十年前。そこから魔道師のありかたは大きく変化したのだけれど、俺がこの目で見てきたわけではない。俺にとって魔道師の武器とは最初から銃だった。
「そうかな………………いや、ヒトから見ればそうかもしれないね。何せエルフは長命だから」
トーヤはきっとその変化をその目で見てきたのだろう。魔道師が千年以上連れ添った杖を捨て、銃を持ち、騎士のように馬に跨がり野を駆ける存在となったその瞬間を。
起き抜けに重たい話をして頭も回り始めた頃、俺はふとリリヤドールの姿が見えないことに気がついた。
「そういえばリリヤドールは?」
寝るときは近くにいたのだけれど、今は姿が見えない。
「ああ、水汲みにいっているよ。森の中を少し行ったところに川が流れていたんだ」
「危なくないか? いや、エルフにこれは愚問だったか」
昨日と同じ轍を踏むところだったとすぐに撤回したが、今度はトーヤが真剣に考える素振りを見せた。
「いや、確かに少し遅いな。それにリリヤドールは監禁、いや、過保護に育てられ過ぎたところがあるから」
それでも”森の声”とやらが聞こえないということはないらしい。けれど、如何せん人は自分自身のことしかわかり得ないから、誰だって大切な守るべき者が目の届かないところにいては心配になるだろう。それはヒトもエルフも同じことだ。
「ちょっと見てくる」
俺だって、行方知らずのフロランシア姉さまのことが心配なのだ。それを思えばトーヤの心境も知れるというもの。朝食の準備も何もしていない手漉きだった俺はライフルを手に腰を上げたのだった。
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