第3話 亡国の王子
落ち着きを取り戻した俺が前のめりになっていた身体を起こすと、リリヤドールがちょこんと隣に寄り添ってきた。俺の着ている真っ赤な軍服の袖を引っ張ってくるので、もう大丈夫だと言ってやると、安心したように手を放した。
そういえば子供を産みたいと言っていたが、あれはどういうことなのだろうか。そもそもこの兄妹はなぜ戦争中と知りつつこの国へ来たのだろう。
トーヤが食事の準備している傍らで俺は、手伝いもせずにただじっと座っているリリヤドールに尋ねてみた。
「その耳。見たところお前たちはエルフだろう。北方のレデルハイト地方の大森林の住人が、どうしてこのような場所にいるのだ」
兄の様子を眺めていたリリヤドールが俺に視線を移した。
「それは……わしのレンを探すためじゃ」
「レン? そういえばトーヤがそんな言葉を言っていたな。話から察するに夫のようなものか?」
「違う。レンはもっと深い絆で結ばれた関係だ。ヒトでいうところの結婚とは違う。けっして解けることはない魂の結びだ…………その振りをして欲しいんだ」
横からトーヤが口を開いた。まな板代わりの平たい岩の上で小魚を捌いている。
「振り? そんなに大切な関係なのに、その振りをするというのか?」
言っていることが支離滅裂だ。
「……そうじゃ」
言い淀むリリヤドール。兄に目を向けたが彼も言いにくそうに苦い顔をした。
「長命なエルフとはいえ、リリヤドールはまだ幼いのだろう? それなのにもうレンを見つけなければならないのか? それに、そういうのは同じエルフのなかから見つけるものじゃないのか?」
「妹には、時間がないんだ……それにエルフのなかで見つけることはできない」
ふたりとも難しい顔をしている。何か言いづらい事情がありそうだ。だがどんな事情があるにせよ、巻き込もうという人間にそれを話さないのは不義理というものではないだろうか。とはいえ、事情を話されても俺が首を縦に振ることはないのだが。
「聞いておいてなんだが、別に詮索するつもりはないんだ。応えられないことにかわりはないから」
俺がそうきっぱり言うと、リリヤドールは悲しげな色を瞳に映した。トーヤが安堵したような、それとも残念そうな、そんな複雑な表情で、
「――だそうだ。リリヤドール、彼は諦めるんだな」
と言って聞かせると、リリヤドールは、
「…………わかった」
とだけ小さく零した。どうしてリリヤドールがそこまで残念がるのか、不可解でならなかった。
なぜ俺なのだろうか。レデルハイト地方の大森林からレギニア地方のイニピア王国までは陸路ならふたつも国をまたぐことになる。旅路はさぞ長かっただろう。
「今までの道中に相応しい者はいなかったのか? それこそ、俺はお前を傷つけようとしたのだぞ?」
「それは、本気ではなかったじゃろう?」
「……どうしてそう思う」
「うーん」
しばらく目線を宙に彷徨わせて考えるリリヤドール。一体どんな根拠があるのかと思いきや、出てきた答えは「なんとなく、じゃ」だけだった。
「他の候補は?」
無邪気に笑っているリリヤドールに呆れ顔で尋ねると、バターの焦げる香ばしい匂いが漂ってきた。トーヤがスキレットの上で先程の魚をバターで炒めているようだ。
「エルフが森から出ることは滅多にないことだからな。みんな珍しかったんだろうさ。ヨアンはそうじゃないのか?」
徐々に焦げ目のついていく魚を転がしながらトーヤが尋ねた。その物憂げな視線に、あまり良い旅ではなかったことを悟る。
レンといういわば夫婦となる者を探す旅で、自分たちがエルフであると明かすタイミングは幾度かあったはずだ。きっと、その度に好奇の目にさらされてきたのだろう。よく捕まって見世物小屋に叩き込まれなかったなと、彼らの運の良さに感心するが、そんな心配をしなくてはならないレギニア諸国の身勝手さに嫌気がさす。兄弟間でさえ殺し合う醜い社会を持つヒトが、自分たちと違う外見の者を見つけた時、一体何をしてきたのか。いくら家庭教師が都合の良いように俺に教育を施しても、事実はひとつとして変わらない。羅針盤が発明され航海技術が発達したレギニアの列強は、外の世界に出て一体何をした? 獣の耳を持つ者、トカゲのような鱗を持つ者、様々な者たちを奴隷にして踏みにじってきたのだ。海のないイニピア王国にさえ、王都では奴隷市場が立つほどに、それは産業として確立されている。
「珍しいさ……」
だからエルフなら、きっと過酷な労働奴隷にはならなかっただろう。そんなこと、言ったところで何の救いにもなりはしないけれど。
「ヨアン、それは?」
すっかり暗くなってしまった雰囲気を変えようとしたのか、銃にまったく興味を示さなかったリリヤドールが俺のライフルを指して尋ねた。湿っぽいのは俺も苦手だから、ここはリリヤドールの気遣いに感謝しようと思う。
「ああ、これは俺の銃さ」
イニピア王国軍で六年前に制式採用となったボルトアクションライフル。愛称は設計者の名をとってケラードと呼ばれている最新式の銃だ。金属薬莢に対応しているため、魔道騎兵に優先的に配備されている。
すでに故障がないことは確認済みだが、トーヤの食事の準備が終わるのにまだ少しかかりそうなので、軽く清掃をしておくことにする。金属薬莢を使っているぶんまだましだが、銃身内部が煤だらけになっているはずだ。
メンテナンス用のカルカと小さな方紙で銃身を拭いていると、不意に俺の手元を影が覆った。顔をあげると何やら決意を固めたようなトーヤの姿が。料理は完成したのだろうかと、さっきまでトーヤが作業していたスキレットに目を遣ると、ことさら低い声で彼が口を開いた。
「ヨアン。王都までは俺たちの馬で行くと良い。ただそのかわり、俺たちも王都へ連れて行ってくれないか?」
何を言い出すのかと思えば。戦争している最中だということをまさに今話したところだろうに。それにすでにノルバレン軍はセントレントのある北へ向かっている。もしかしたら――。
「王都は……セントレントでは戦いになっているかもしれないんだぞ」
「馬なら、傷を癒しながら目的地に向かうことができる」
「リリヤドールだって、危険に晒されるんだぞ」
「道中の食事だって、ちゃんとしたものを摂れる」
「…………」
「何より徒歩で行くより早く到着できる」
話が噛み合っていない。いや、トーヤは噛み合わせるつもりなどないようだ。
二の句が継げずに困っていると、トーヤはようやく理由を語ってくれた。
「列強の戦争というものをこの目で直接見ておきたいんだ」
「戦争を?」
不可解に思った俺にトーヤは、申し出の理由を教えてくれた。
エルフ族はこれまでの何百年、何千年と大森林に引きこもり生活してきたのだそうだ。金属器すらなく、狩猟は弓と魔法で行うらしい。革新的だったことといえば、数百年前に導入された織り物なのだとか。そんな原始の時代の生活様式を伝統などといって有難がっている連中に、エルフの若者たちはほとほと嫌気が差しているらしい。そんな若者たちを代表してトーヤが、リリヤドールのレン探しも兼ねて、列強と呼ばれるレギニア諸国に見聞を広げるために旅に出たのだとか。
「ただ古いことに嫌気が差したわけじゃない。聞くところによるとレギニアの列強は、本国の他に世界各地に植民地とかいう領土を多く持っているらしいじゃないか。そこの現地人はまるで畜生のような扱いを受けているとも聞く。このままではいずれニヤラにも列強の手が延びることは間違いないだろう。今までは森を覆う深い霧の結界が”奴ら”の度重なる侵攻を食い止めてきた。けれど、次はどうなるか……」
「ふうん。それでエルフも列強の軍事技術を取り入れようってことか」
銃に興味津々だったのも合点がいく。彼の考えはまさに道理だった。
「わかったよ。王都までは俺が案内する。だが、もしものときは俺の指示に従ってもらうからな。俺が言うのもなんだが、恩人を危険な目に合わせたくはない」
「ありがとう、ヨアン」
こうして俺たちは短い間だが旅路をともにすることになった。
ふたりは馬で旅をしていた。ふたりで一頭ではなく、リリヤドールも手綱を握るらしい。トーヤはリリヤドールを前に載せ、俺はリリヤドールの乗っていた馬の手綱を握ることになった。
道中、トーヤの話を聞いていて疑問に思ったことを尋ねてみた。ニヤラというのはエルフの王国の名前らしい。いや、正確には名称ではなく、故郷とか、住処とか、そういう意味なのだとか。そして”奴ら”とは、エルフたちの住む大森林を北に臨むクリャンス王国のこと。彼の国は過去、幾度となくエルフの棲む大森林への侵略を企て、その度に深い霧に阻まれて断念しているらしい。今、クリャンス王国の一部がシフォニ王国のルグロー海峡を挟んだ飛び地となっているため、トーヤたちはシフォニ王国側に森を抜けたらしい。
トーヤたちからはたくさん話しを聞いたが、俺は、国や軍のことは話せても、結局、俺自身のことは何も話せなかった。詮索されなかったのは、彼らが気を使ってくれていたからなのだろう。
幾つかの山を越え、幾つかの谷を迂回し、幾つかの橋を渡る。そうしてようやくたどり着いた丘の上から一望した王都セントレント。
「そんな……」
高い都市壁越しからも煙が立ち上っているのが見える。そして手前には今まさに砲撃している軍隊の姿。旗印は紛れもなくノルバレン大公国のものだ。
俺は両膝からその場に崩れ落ちた。
「フロランシア姉さま……………………うそだ」
俺は遅すぎたのだ。
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