第2話 エルフの兄妹
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「わしにお主の赤ん坊を孕ませてくれぬか!?」
「……は?」
その申し出に俺は、思わず素っ頓狂な声を上げた。こんな間抜け面を晒したのはいったいいつ以来だろうか。背後から拘束し喉元に短剣まで突きつけてやった相手にそんなことを言われれば誰だって困惑するはずだ。それが淑女と呼ぶことさえ戸惑われるような少女からであれば尚更。命乞いにしても馬鹿げている。いいや、その長い耳まで真っ赤に染めていれば、どうやら命乞いでもないらしい。
彼女の発言の意図は不明だが、とにかく銃を突きつけられていては動きようがない。
「どうしてエルフがこんなところにいる?」
何か緒(いとぐち)を見つけようと試みる。エルフはここよりもずっと北の、レデルハイト地方の大森林に引き篭もっていて、隣接するクリャンス王国にも滅多に姿を見せないらしい。俺も言い伝えで知っていただけで、実際見たのは初めてだ。そんな彼らがどうして遠く離れたイニピアにいるのか。
眼前の少年が持っているのは時代遅れのマスケットピストル。それも火打ち石を着火装置に使うタイプのものだ。実戦で使われたのはいったい何十年前だ?
とにかく何でも良いから不足した情報を補いたかったのだが、少年は俺の問いかけに答えることはなく、リリヤドールと呼ばれた妹の方に声をかけたのだった。
「リリヤドール、まさかそいつをレンに選ぶっていうのか? 今何をされているのかわかっているのか?!」
レン? 選ぶ? 彼女の発言から察するに夫のようなものだろうか。
「痛っ!」
とっ散らかって片付きようもない頭を無理やり働かそうとした俺は酷い頭痛に襲われた。
「ほら! まだ傷が塞がっておらぬというのに!」
頭からぬるりと生暖かいものが垂れてきて、指先で拭うと、それは真っ赤な血だった。さっき頭をぶつけた時に傷が開いたらしい。指先に付着した鮮血を目の当たりにして血の気が引いたのか、俺は自分の愚鈍さに気が付き猛省した。
そうだ、祖国は今、存亡の危機にあるのだ。こんなところで呑気に求婚などされている場合ではない。情報がない? そんなことはなすべきことの前では些末な問題だろう。こうしている間にもレルバレン軍は王都への侵攻を続けているのだから。情報がないことよりも時間がないことへの対応を重視すべきだ。
「かまうな。俺にはまだやらねばならないことがあるのだ。お前の妄言に付き合っている暇はない」
「も、妄言ではっ――?!」
腕の中でリリヤドールと呼ばれたエルフの少女が、聞き捨てならないと声を上げた。だが初対面の男に子供をねだるなど妄言以外のなんだというのか。とても正気とは思えない。こんな頭のおかしい輩に関わっている時間など俺にはないのだ。
早く王都へ戻らないと。
焦りは募るばかり。とはいえ銃を突きつけられていては人質は解放できない。
「この短剣が見えないのか? 妹を傷つけられたくなければ銃をおろせ」
俺の言い草に不服げな少女を無視し、俺は未だ銃を突きつける少年を強く睨んだ。強気にでたのには理由があった。この少年はけっして引き金を引かないという確信があったからだ。
もしも彼らが雇われの暗殺者であるならば、俺が気を失っている間に始末できたはずだし、それに銃の扱いに慣れていないことは一目瞭然だった。ほんの数歩の距離だというのに、彼の銃口は正確に俺の頭部には向けられていなかったのだ。エルフの武器といえば弓と魔法だ。わざわざ人を殺すのに不慣れな銃を持ち出す意味がわからない。下手に発砲すると妹に当たってしまう危険があることは、少年自身もわかっているはずだ。
何か拘りがあるのかもしれないが、武器の扱いに慣れていないのであれば手玉に取るのは容易いことだ。ならば、と俺は賭けをすることにした。
「銃を向けるのは良いが、安全装置が働いたままだぞ?」
彼の持つマスケットピストルにはハーフコックという機能がある。火皿に火薬を詰める際に誤って発砲してしまわないように、引き金が引けず撃鉄が作動しないようになっているのだ。だから発砲準備が整った後、最後に撃鉄を起こしきらなければならない。慌てていれば引き忘れることもあるのかもしれない。だが、彼の銃は最初から撃鉄は起こしきられていた。つまり俺は嘘を吐いたのだ。
だが妹を人質にとられているという緊迫した状況のなか、銃に慣れていない者が、発砲までのルーティンを自分が間違いなく辿れたかどうか冷静に思い出せるだろうか。
俺の言葉がはったりだと頭ではわかっていても、必ず不安はよぎるはずだ。そして必ず確認しようとするだろう。目視でわからなければ撃鉄を引いてみるしかない。
ほんの一瞬で良い。銃口が逸れればその隙きに彼を取り押さえられる。体格は同じくらいだが、俺だって王族とはいえ軍人の端くれ、銃もまともに扱えない者に遅れを取るわけがない。相手は魔法と弓が得意なエルフ。彼は弓を持っていないし、魔法を詠唱する時間など与えるはずがない。
俺の予想通り、彼は銃を持ち始めたばかりの素人だったようで、俺のはったりにあからさまな動揺を見せた。俺は企ての成就を確信する。だが現実は思わぬ方向へと転がったのだった。
撃鉄を引き直し、確認したいという欲望に抗えなかった彼は、手ぶらだった左手でハンマーを起こしなおそうとした。そこまでは想定通りだったのだが、引き金に指をかけたままだったために、トリガーガードに引っかかって誤って発砲してしまったのだ。
爆音とともに銃口から白煙が吐き出される。発砲時の反動を制御する構えもなければ、銃はまるで活きの良い魚のように手の中で暴れた。幸いにも白煙の吐き出された先は遥か直上の空。誰も犠牲にはならなかったが、予期せぬ発砲に驚かない者はいない。身を乗り出していた俺は思わず身体を硬直させ、俺の腕の中にいたエルフの少女は頭を抱えるようにして身体を強張らせた。そして当の本人、少女の兄は、尻餅をついて目を丸くしていた。彼ももちろん驚いたのだろうけれど、自分でしたことであれば、その間抜け面はなんとも可笑しくてしかたがなかった。
「ぷ……くっはは、あっはははははははは」
すでに彼のピストルは弾丸を発射した後だ。俺のライフルとは違い、彼の銃はマスケット。再装填にはどれだけ急いでも十五秒はかかるだろう。銃に不慣れな彼であればもっとかかるはずだ。無力化されたも同然の彼に人質を取る必要はもはやないだろう。俺は手にしていた短剣をわかりやすく手放してみせた。それがよほど不可解だったのか、少年は怪訝そうに眉をひそめた。
「そんな顔しなくてもいいだろ。俺だって強引なことをするより穏便に済ませられたら良いとは思っていたさ」
彼らが行き倒れていた俺を助けてくれたのだろうから。
とはいえ、武装解除したところで信用されたわけではない。油断したところを後ろから刺されないために、さっさと礼を言って立ち去るのが良いだろう。彼らにしても俺のような危険な厄介者をいつまでも匿う理由はない。
手放した短剣を鞘に収めてライフルを探していると、いまだ俺の懐にちょこんと座っているリリヤドールが、肩越しに振り返って質問を投げかけてきた。
「さっき申しておった”やらねばならぬこと”というのは戦争のことか?」
「なんだ、知っていたのか」
ならばなぜ避難しないのか。避難していれば今みたいな厄介事に巻き込まれることもなかっただろうに。その御蔭で俺は助かったわけだが。
「お前のその服、それは軍服だろう。それに銃も持ってる」
横から少年が俺の軍服を指さして言った。士官用の赤い軍服。付着した泥を拭いたあとがある。ヴィゼルグラム家の紋章には気付いていないところを見ると、やはりこの国の者ではないらしい。
「ヨアンだ。俺はこれから王都の味方と合流して、敵を追い払うために戦わなくちゃならないんだ」
「俺はトーヤ。それでピリピリしてたのか」
「ああ、妹を人質にとって悪かったよ」
俺はリリヤドールを解放する。というよりいつまでも懐にいられてはライフルを探すのに邪魔だったのだ。
少年は解放された妹に駆け寄り大事そうにぎゅっと抱きしめた。ここは妹の方も安堵の涙を零すところなのだろうが、リリヤドールは肩越しに振り返り眉をハの字にして意外な質問を口にした。
「お主の敵の、服の色は何色じゃ?」
彼女の表情と、その言葉の意図が読めず俺は困惑する。なぜそんなにも不安げな顔をするのか。興味本位や何気なしに口から出た言葉ではなさそうだが。
「ノルバレン大公国の軍服は、土色だが?」
意外と近くにあったライフルを拾い上げて動作を確認する。故障などはしていないようだ。
質問に答えたのにリリヤドールからはなんのリアクションも返ってこなかった。何かあるならはっきりしてほしいものだ。俺が手元の銃から顔をあげると、ふたりは互いに向き合って、共通認識を確かめるように頷きあっていた。
嫌な予感がする。俺は何かとんでもない思い過ごしをしているのではないだろうか。
「よく聞いてくれ、ヨアン」
トーヤは俺に向き直り、真剣な眼差しで言葉を紡いだ。まるでこれから取り乱すであろう俺を落ち着かせるような、ゆっくりした口調だった。
「俺たちが街道で倒れているお前を拾ったのは今から三日前。そしてその次の日、土色の軍服を着た軍隊が街道を北に向かっていったのを見たんだ」
えてして、嫌な予感というものは的中するものだ。気づけばライフルを手に俺は立ち上がっていた。トーヤの、街道を北へ行ったという話が間違いなければ、奴らは王都セントレントへ進軍したことになる。
「ヨアン!?」
「離せトーヤ!」
リリヤドールが制止の声を上げ、トーヤが後ろから俺に掴みかかる。
「そんな怪我だらけでどこへ行こうっていうんだ!」
トーヤの説得がそれだけなら聞く耳は持たなかっただろう。だが続けざまに現在位置や移動手段のことを問われてしまえば足を止めるしかない。愛馬を失い、ここがどこかもわからなければ王都まで何日かかるのかもわからない。俺にできることといえば、奥歯を噛みしめて悔しさを殺すことくらいしか残されていなかった。
「……どうして止めるんだ」
苦し紛れに問い詰める。ふたりにとって俺は厄介者のはずだ。リリヤドールを傷つけようとした。
「俺にだって故郷を想う気持ちはわかるさ。そのために勇み立つのはわかるけど……」
けど……何だって言うんだ。今のお前には何もできやしないとでも言いたいのか。
俺はひどく苛立ったが、それは自分で思ったそれが事実だとわかっていたからだ。
トーヤたちの馬を奪って王都を目指す? 急げばもしかするとノルバレン軍を追い抜いて王都に入れるかもしれないが、俺がひとりで戻ったたところで結局何も変わらない。むしろ負傷兵が増えて迷惑をかけるだけかも。けれど、だからといって何もしないというのは、絶対に有り得ない選択肢だった。
「それでも、俺は行かなくてはならないんだ」
それは王子だからではない。王族としての役割も大切だけれど、ただ単に、大切な人を、大切な故郷を、戦火から守るためだ。
「ああ、わかってるさ」
その思いは誰だって同じで、だからこそ彼はそのための準備を怠るなと言いたかったのだろう。
「だからまず、飯を食え」
トーヤは真剣な眼差しで俺を諭した。だが、絶妙なタイミングで唸り声を上げた俺の腹が、それを皮肉めいたジョークに変えたてしまったのだった。
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