第4話 ひとにぎりの希望
「そんな……」
燃える王都を前にただ呆然としていた。リリヤドールたちから、俺が気を失っている間にノルバレン大公国軍が北上していくのを目撃したという話しを聞いてから、この事態を想定しなかったわけではないけれど、実際に目の当たりにすると今まで考えていたあれこれは、まったく纏まりのないものになってしまった。それは呆然と呼ぶに相応しいものだっただろう。
「ヨアン、街への入り口はあそこに見える門だけか?」
トーヤは破壊されて崩れ落ちている都市門を指さした。我に返った俺は、もしもの時のためにと十五歳になったその日に教えてもらった王族専用の秘密通路の存在を思い出した。
「いや、丘の向こうに隠し通路の入り口がある……」
そうだ。もしかしたら、みんなそこから脱出しているかもしれない。父上や兄上は残って戦っているだろうけれど、きっとフロランシア姉さまや母上はきっと逃げ延びているはずだ。
傷は何とか塞がった。魔力も十分回復した。けれど部隊を失った俺が王宮に戻ったところで焼け石に水だ。あの様子ではすでに勝敗は決してしまっている。
みんなが脱出したかどうかを知るためにも一度隠し通路に行ってみよう。
万が一の時は王宮に戻る必要があるだろう。流石にそこまでは連れていけないのでトーヤたちとはここでお別れだ。
「ふたりとも、ここまでありがとう。ここから先はひとりでいくよ。ノルバレン軍に見つからないうちに早くここから去るんだ」
ここまで兄妹ふたりきりで旅をしてきたのだから、トーヤだってそれなりに戦えはするのだろう。野盗や野犬、あるいは魔物に襲われる可能性だってゼロではないのだから。旅のなかでトーヤが火起こしの魔法を使っているのを見たし、きっと戦闘用の魔法も使えるはずだ。一応弓矢も携えている。とはいえトーヤが常に手にしているのはフリットロック式のマスケットピストルだ。これだけではボルトアクションライフルをもつノルバレン軍に太刀打ちできないだろう。敵と遭遇しないに越したことはない。
「わかった。ヨアンに幸運のあらんことを」
それは弓よりも銃を求めたトーヤ自身がよくわかっていたようで、意外にもあっさりと頷いてくれた。
ふたりと別れた俺は、都市を迂回する進路をとり秘密通路の出口のある丘を目指す。その丘はちょうど森になっていて、近くに橋も街道もなければ、何かを隠すには絶好の場所だ。教えてもらったのは一年も前のことだし、外から向かったことはない。けれど、丘の上からみた都市の景色から位置を割り出し、迷うことなく辿り着くことができた。
だが、向かった先で見たものは、出口を取り囲むノルバレン軍の兵士たちの姿だった。
また間に合わなかったのかと眼の前が真っ暗になりかけたその時、俺は奴らが慌ただしく動き回っていることに気がついた。もしかして、姉さんたちはすでに脱出した後なのだろうか。奴らは何か話しているようだが、如何せん遠目にみているだけでは会話など聞き取れやしない。
せめてもう少し近づければと、茂みから身を乗り出そうとした俺の隣に突然トーヤが現れた。
「あの土色の服。俺たちが見たやつらだ」
「ト――モゴッ!??!?」
思わず叫びかけたが、背後から回された小さな手に口を塞がれ、言葉は最後まで音にならない。敵に気付かれなかったことは幸いだったが、これ以上巻き込みたくはないという想いを台無しにされたことに怒りさえ覚えた。
「リリヤドールまで……。なぜ着いてきたんだ……!」
ふたりを責め立てるが、いかんせん小声では迫力に欠ける。俺の叱咤など関係ないと言わんばかりにトーヤは視線を秘密通路の入り口に集まるノルバレン軍の兵士に向けた。
「それで、どうする? あの穴が出入り口なんだろう?」
冷静にならざるを得なくなってしまった俺は、血の上った頭で無理矢理に思考を巡らせる。
出入り口を囲む兵士の数は見えるだけで十名。しかし通路の中にもいるかも知れないし、近くに捜索している者がいるかもしれない。たとえ自分ひとりであっても、破れかぶれに引き金を引くほど俺は馬鹿ではない。まして恩人の命を危険に晒してまで分の悪い賭けに出るような愚行はとれない。
「いや、ここは引こう。たとえ勝てても、銃声を聞きつけた他の敵が集まってくるだろうし」
「やむを得ない、か」
妹をひとりで守ってきただけあってトーヤの危機管理能力は正常に動作しているようだ。仲間の冷静さにほっと安堵していると、後ろからこほんと態とらしい咳払いが聞こえた。
「どうした? リリヤドール」
俺に問われたリリヤドールは得意げに人差し指をピンと立てた。
「お兄さまも慎重じゃのう」
「俺たちだけの問題じゃないからな」
何やらふたりだけの共通認識があるらしい。
「どういうことだ?」
仲間はずれにするなと視線で訴えると、リリヤドールは言葉の真意を語ってくれた。
「エルフは弓も得意じゃが魔法だって得意なのじゃ」
「だが、音を出せば周りに気付かれる。それは魔法だって一緒だろう」
俺の反論を予測していたのか、リリヤドールはふふんと鼻を鳴らした。
「眠らせればよいのじゃ」
「眠らせる?」
「そうじゃ」
胸を張ってみせるリリヤドールに、俺はやや困惑する。
何せそんな魔法は聞いたこともなかったから。少なくともイニピア王国を擁するレギニア地方の魔法には存在していないはずだ。古典魔法は、自然現象を起こすような単純なものばかりだし、魔法石が発明されてからは、古典魔法を石に封じる技術の進化が求められてきた。そして銃弾として魔法を撃つのが現代魔法。他人の身体に直接作用させるような効果を持つ魔法は、レギニアには存在していない。仮にもしそんなものがあれば、現代魔法はもっと別の進化を遂げていただろう。隣のシフォニ王国で、四百年ほど前に聖女ヨルヤという人物が治癒の魔法を使ったという逸話がまことしやかに伝えられているが、彼女がレギニア人であれば、やはり単なる伝説の類に過ぎないだろう。つまり、レギニアの古典魔法とは違う体系を持つエルフの魔法であれば、眠りの魔法があっても不思議ではない…………かもしれない。
「できるのか?」
「わしは弓は下手くそじゃが魔法は得意じゃぞ」
見ておれ、とリリヤドールは両手を胸の前で組み、兵士たちをじっと見つめた。そして彼女は唱える。
「眠れ」と。
それは呪文と呼ぶにはあまりにも短いものだった。リリヤドールが唱え終わると同時に、ばたばたと人の倒れる音がした。まさかと思って顔をあげると、リリヤドールの命じた通りに眠りこける兵士たちの姿がそこにあった。
「効果は広めにとっておいたから、通路の中に誰かおっても眠っておると思うぞ」
驚きのあまり、もはや「そうか」としか答えられなかった。
眠った兵士たちに近づくと、彼らが本当に眠っていることが確認できた。死んでいるでもなく、昏倒しているでもなく、紛れもなく彼らの状態は睡眠だったのだ。それは俺にとって、いや、おそらくレギニア人魔道師であれば誰にとっても驚愕する事象だ。まだ昏倒や死であったほうが理屈を想像しやすい。命を奪うことや意識を奪うことに対して、眠りを与えるというのは、それはひどく厄介で、難解なことだ。
「エルフの間ではややこを寝かしつけるために使うのじゃが、ヒトには大人でも効くようなのじゃ」
「エルフの大人には通用しないのか?」
リリヤドールは、うむと短く頷いたのだった。
さて、眠っている兵士たちを起こさないように静かに近寄り、彼らが注視していた地面に目を向けた。すると彼らの足跡に混じって、小さな足跡をいくつも見つけることができた。ご丁寧に丸印で囲ってあれば馬鹿でも気がつく。
「この足跡は、こやつらのものではないな」
「ああ」
俺は胸を撫で下ろして良いのだろうか。ハイヒールや裸足の足跡が外へ向かって伸びている。軍靴を履くノルバレン軍にこのような足跡をつけて歩く者はいない。彼らの様子から察するに、この足跡の主はまだ捕まってはいないようだが……。
「どうする? 足跡を追うか?」
姉さまたちが脱出したというのならば、尚更城内に入る意味はなくなった。だが姉さんたちの行方がわかるわけでもない。足跡も、出口から少し離れた地点で深くなった茂みに消えている。足跡を消すためにわざとそうしたのだろう。
「行方を探したいところだが……」
エルフの兄妹は、自分たちに任せろと言わんばかりの表情を浮かべている。エルフの魔法には人探しの魔法なんてものもあるのだろうか。それなら話が早いのだが、と相談しようとしたその瞬間、リリヤドールが血相を変えて両手を前に突き出した。
「風よ!」
俺の後ろで突風が立ち、同時に発砲音が鳴り響いた。俺に痛みはない。ふたりにも傷はなく、リリヤドールの風の障壁魔法はちゃんとその役割を果たしたことがわかる。とっさに身をかがめ、振り返ると弾を込めなおしている土色の軍服の姿が見えた。
「走れ!」
「え、でも銃は一度撃てばしばらく撃てないんじゃ――」
「それはマスケットだけだ! やつらの銃は後装式のライフル! 五秒に一発は撃ってくるぞ!」
そんなやり取りをしている間にも俺たちを見つけた敵兵はリロードを終え、銃を構え直した。
だが、二発も先制を許すほど俺は鈍らではない。
標的と照星を照門に捉える。
グリップを握り込み、魔力を銃身へ。
息は吐ききって止める。
流し込んだ魔力が弾丸へ伝わるのを感じ、俺は引き金に指をかけた。
もしも敵が魔道師であったなら、俺たちの命は一発目の射撃を受けた時点で失われていたかもしれない。
俺の引き金を引くという動作に応えて発射された弾丸は、敵の至近に到達する。爆裂魔法が転写された真銀鉛製の弾丸は、敵兵のすぐ耳元で盛大に爆発した。
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