15 テイラー順子

 美智代が部屋から出ていった。

「もうわたし、誰にもわたしのこと見られたくない……」

 セリは呟く。なんであんなことになったのか。きちんと割り切ることのできる人だっている。仕事として誇りをもっている人もいる。でも、自分はできなかった。うまく頭も身体も、まとまらなかった。流されただけだった。たどり着いたのは、この村だった。このまま、ここから一歩も出たくなかった。セリは頭を抱える。このままじゃいけないってことはわかっている。でも、どうしようもない。

 騒がしい声がした。声が部屋に近づいてくる。セリは身構えた。部屋に現れたのは。美智代と抱き合いながら大声で喋っている、派手なヒョウ柄のワンピースを着た女だった。

「もう美智代に一刻も早く会いたくってっ! だってもうひさしぶりすぎだなんてぶっちゃけありえないじゃないのよおっ! ねえっ!」

 やたら語尾の歯切れがいい。化粧でシワが隠しきれていない。だからよけいに派手になるのか。大柄なオバさんだった。

「テイラーさん声がオンすぎでしょ! ここ帝国劇場じゃないんだからあ」

「ああっ、昔レミゼに出たときのテンションに戻ってるかしらっ。わたしジャンバルジャンッ? ジャンバルジャンなのッ?  さいごっの〜だんすっは〜おれ〜のっもの〜っ♪」

 ここはステージじゃないっていうのに、その女はハイテンションで歌い出す。

「それエリザベートじゃん。レミゼじゃねえし」

 思わずセリはいってしまった。誰も聞いちゃいない。

「もう始まる前からエアで舞台に上がっちゃってんのお。今年の公演も楽しみ〜」

 女から離れ、美智代が興奮してまくし立てる。

「今年はねっ、テイラーいつも以上に本気だからっ。本気の上をいく本気っ。新作たくさんぶらさげてきたよ〜! 干し柿だよ〜っ」

 両手を広げ(どうやら干し柿がぶら下がっているつもりらしい)テイラー順子がいった。

「楽しみすぎる……!」

「美智代はあいかわらずかわいいわね〜っ。もうねっ、裸足でねっ、大地踏みしめるからっ。元ちとせだからあたしっ」

「微妙に古いけどわかる〜」

 なんで美智代さん、このテンションについていけるの……。入口に、げんなりとした表情で立っている優男がいた。美智代の夫、吉宗だ。この騒ぎが終わるまで、とにかく黙って待っているつもりらしい。

「ちょっと美智代っ、ちとせに謝ってっ! 元ちとせはテイラー的にはかなりリスペクトしてんだからっ。じゃいいよ、百歩譲ってビョークイメージでっ!」

「えー。すご! アイルランドの少女!」

 セリはドン引きしていた。ていうか、ここからさっさと出て行ってくれ。

「でっ、ここどこっ? 美智代のいるところはあくまで美智代のホームでしかないけどっ?」

「人の家です」

 吉宗が面倒そうにいった。

「あらまっ! すみません〜」

 そういって固まっているセリにテイラーは近づき、両手握手をしてぶんぶん振った。

「いえ」

 もう早く終わってくれ。セリはそれしか考えていなかった。

「どうもっ、テイラー順子ですっ」

「どうも」

 セリは感情を完全に閉ざし、いった。

「ごめんね……セリちゃん」

 吉宗が手を合わせて謝った。

「じゃっ積もちゃった話もあるしっ、美智代っ、トークの雪かきしましょっ。新潟の漁港でねっ、海の男たちに漁師めしをごちそうになった話しなくっちゃっ。肥後もっこすに口説かれたロマンスもあるのよおっ!」

 テイラーがいった。情報量多すぎてわけがわからん。

「ちょっと、恋しすぎじゃない? 一年で!? そんなに?」

 よせばいいのに美智代はテイラーのいい聞き役になっている。なんだこれ。

「アフェアを重ねることでねっ、芸ってのは磨かれるのよっ。いいっ、歌ってっ、スタジオで生まれるものじゃないのっ、お酒のあるところとっ、ベッドの上っ!」

「平成も終わりだってのにこの昭和感、癖になるわ〜」

 美智代はうっとりしていった。

「吉宗さんっ、じゃ美智代のうちまで運転手ーお願いねっ」

「ぼくの家ですけどね」

 吉宗がいった。テイラーのノリに歯向かおうとして頑張っている。

「いいじゃない、そんなとこで自己アピールしなくても」

 そんな夫を美智代は鼻で笑う。

「じゃ、今晩のリサイタル、ぜひきてねっ!」

 テイラーはどん! と紙をテーブルに勢いよく置いて、ぎゃあぎゃあいいながら去っていった。

 セリは、ただ呆然とするしかなかった。

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