14 セリ

 隣人(といっても歩いて十五分かかるのだけど)、芦田美智代が自分のデコった爪をじっくり眺めていた。セリは片付けながら美智代の感嘆を適当に受け流していた。

「すごい。やっぱセリちゃん上手だわ、ネイル」

 美智代はうっとりと眺めている。太い指の先に、美しく施された爪がある。

「えー」

 セリは満足げだった。今回のは自信作だ。テーマは宇宙。細かく星が散りばめられている。

「手だけみたら、わたし、女優かなんかじゃない」

「美智代さん女優みたいですよ」

「やだもう〜」

 美智代はたまらない、といった声をあげた。その鈍臭そうな手の先にある爪は不釣り合いなほど煌めいている。さっきまで畑仕事をしていたのだろう。美智代は作業着姿で、首にタオルを巻いている。

「いろんな女優いますから」

 セリは立ち上がった。

「そういう意味かよ」

 美智代がぼそっといった。

「なに?」

 冷蔵庫を開けながら、セリは訊ねた。自分が失礼であることを理解していない。

「なんでもないです」

「でも美智代さん手はきれい」

「畑仕事してるわりにはいいって自分でも思うわ」

 美智代の夫である吉宗も、昔はよく「手が綺麗だ」といって摩ってくれたものだ。もう何年もない、あれを思い出し、美智代は顔を赤らめた。

「うん、すごくきれい」

「手はね〜」

「手は」

 セリが麦茶を持ってテーブルまでいくと、美智代はふてくされている。

「え、キレてる?」

「キレてませんよ。あたしキレさせたらたいしたもんですよ」

「そ」

 セリはとくに気にすることもなく、自分の爪を磨きだした。

「ね、あれ見せて」

 しばらくして、美智代が口を閉じていることがたまらないといわんばかりに、ねだった。

「あれって」

「セリちゃんのモデルの写真」

「やだ、モデルじゃないって。ただの街角スナップ」

「すごいじゃないのよ、声かけられて、雑誌載ったんでしょ。夢みたいじゃない」

「まー、そうですけど」

 セリはそういいながら、化粧ポーチをあけた。ぼろぼろになった紙片を取り出す。雑誌の切り抜きだった。

「なんかすごくいいのよねえ、セリちゃんかわいく撮れてて」

 美智代はいつもと同じにじっくりと眺めた。

「かわいいなあ」

「すごく昔」

「ヴィトンのバッグとか持っちゃって、セリちゃんオモテサンドー歩いてたんでしょ」

「専門いくのに上京して、気合入ってたなあ」

「いいじゃない。すごく。こんなの一生のたからものよ」

 そういって美智代はセリの唯一の自慢を返した。

「わたし、モデルとか興味あったんですよ」

「いいわねえ。セリちゃん足すらっとしてるし」

「いっつも人がいっぱいいるとこうろうろしてた。声かけてくんないかなーって。でも、ぜんぜんダメだった」

 そう、まったくダメだった。写真を撮られ、なにかに繋がると思っていた。でもそんなことはなかった。やっきになって、毎日人混みのなかをうろついていた。

「そういうのはタイミングとか運とかあるからねえ」

「つまりは神様から見放されてたわけ」

 神様なんていやしない。わたしが欲しいもの、やりたいことは、絶対に叶わない。

「でもかわいいんだからセリちゃん、ほら、ツイッターとかインスタ? ああいうのでネイルの写真載せてさ」

「わたしがなりたいの、そういうんじゃないんで」

「でも自分から発信しないと」

「SNSやんないんで。なんだろ、やってる人をとやかくいうつもりはないけど、なんかねえ。それにここじゃ電波繋がらないし」

 そう、ここはとてもいい。悪意から遮断されている。

「プライド高いのね」

 美智代がぽつりといった。悪気のかけらもなさそうだった。つまり、二人は似た者同士なのだ。怒りの行き場がなく、セリは内臓の激しい動きを感じた。

「吉宗さん遅いですね」

 セリは話を変えた。美智代の夫、吉宗は珍しく村の外へ出かけていったという。

「今日、テイラーさんくるから」

「ああ、もう一年たったんだ」

 テイラー順子。セリはここにしばらく住んでいるが、見たことがない。年に一度、ふらっとやってきて、近所の寄合所でリサイタル(?)を開く、自称・歌手。

「村全体で歓迎しないと。だからこれ」

 美智代はそういって爪を見せた。

「ここにくるまであの人のことまったく知らなかったんだけど」

「メディア露出抑えてらっしゃるから。舞台とか中心に活動されているんでしょ」

 このあたりの連中は、テイラー順子がやってくるのを心の底から待ち望んでいるのだ。

「へー」

「ユーミンとかあんまテレビでないじゃない」

「ユーミンとテイラーさん比べるのはちょっと」

「だってあーちすとじゃない」

 美智代は滑舌が悪いので、ゆっくりと「あーちすと」といった。

「アーティスト?」

「そう。発音難しくない?」

「とくにそんなふうに思ったことないけど」

「ただ、いまこの村のお偉いさんが危篤なのよ。もしお陀仏になっちゃったら、テイラーさんコンサートできなくなるからさあ、とりあえずテイラーさん帰るまで生きててくんないかしらねえ」

 美智代はぼやいた。

 チャイムが鳴った。

「誰」

 セリはスウェットの端を握った。

「お客さん?」

「美智代さん、出てもらっていい?」

「わたし? なんでよ」

「わたしこんな服しかないし」

「べつに村の人はあんたのその格好、見慣れてるわよ」

 セリは黙ってしまった。一瞬美智代が、嘲るような表情をしていたのを、セリは見なかった。

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