13 おきに

 ババアの店の二階には、咲子とババア、それぞれの部屋があった。ババアは散歩する、といってタクシーを降りてふらっと出かけてしまった。咲子は階段を上りながら、さやかに自分のことを話していた。初対面の人間の緊張を解くには、自分のことを話したほうがいいだろう、ちょっとダメなやつ、くらいにアピールするのがいい。

「わたしね、ここの村の郷土史を卒論にするつもりだったのよ」

「大学の?」

「そ。とゆうのも一応わたしも歴史学科、なんてとこに在学してたのね」

「すごい」

 ドアを開ける。布団が一組とグレゴリーのバッグパック。あとはプラスティックのボックスが部屋の隅にあるだけだ。

「すごくないよー。バカ大学だったし。ここで寝ていいからね。わたしは今晩は多分遅くなるし、好きに使っててよ」

 そういって、咲子は万年床に座り込む。さやかは畳にそのまま腰をおろした。

「住み込みで働いてるんですか」

「なんか居心地よすぎて、そのままいついちゃった。だから大学も多分中退かな。知らんけど。行方不明とかになってんだろーね。なんかさ、ここってなんか、変なのよ」


 咲子はあのときのことをあまり思い出したくない。あのとき、なんで自分はあんなに無我夢中だったんだろうか。大学に進学して、四年間、遊び呆けてやろうと決めていた。演劇サークルに入ったのは、もともと目立ちたがり屋だったし、お芝居に興味があったからだ。サークル勧誘のときにいた女たちはたいして綺麗でもなかった。あ、てっぺんとれるわー、などと咲子は思った。小さいコミュニティで「オタサーの姫」じゃないけどちやほやされるのは悪くない。高校生のときにアイドルのオーディションにこっそり応募した。不合格だった。自分の身の程はわきまえていたけど、ショックだった。ここでなら、と思っていた演劇サークルでも、うまくいかなかった。自分よりさほどかわいくもない女がもてはやされていた。演出家の男とできていることはなんとなく感づいていたが、しばらくしてから男の部員全員とそいつは寝ていたことがわかった。

「気持ち悪い」

 心底思った。そして咲子は憤りを鎮めようとツイッターの裏垢を作り、女を、サークルの連中を中傷した。告発するつもりだった。すぐに咲子がアカウントの主だとバレ、サークルを辞めさせられた。毎月維持費を払ったり、さほど面白くもない飲み会に参加させられ、公演のたびにチケットノルマが課せられる。大道具を作る手伝いをしなくてはならない。華やかなことの裏にある面倒を咲子は嫌がったし、こちらから願い下げだ、と思っていた。だが、大学で一人きりになってしまうともうなんだかせっかくの「人生の猶予期間」をうまく活かせていないことに悲しくなった。田島を知ったのもその頃だ。ゼミ教官に、「まあ掘りがいあるけど資料があんまり残ってないんだよな」と渋られつつも、研究テーマにした。三回生の夏休み、咲子はこの場所に訪れた。なんにもなかった。滝のある山に入った。滝の上へといく道は封じられていた。だが咲子は見てみたかった。絶対死ねる場所とはどんなところだろうか? 乗り越えようとしたとき、

「死ぬの?」

 と声をかけられた。そこには、着物を着ている女が立っていた。右手にタバコを持っていた。やたら煙がたっている。

「いえ、調査といいますか、研究を……」

 見つかってしまい慌てて、咲子は弁解した。

「研究ね」

 女は持っていたタバコを地面に捨てた。ここは聖地なんじゃないのか。いいのかそんなポイ捨てして。咲子はまだ煙を出し続けているタバコをじっとみた。

 女は立入禁止と書かれた札の向こうへさっさと入っていった。

「早くきなさいよ」

「え、いいんですか」

「研究なんでしょ? 学生さん? お勉強ならお手伝いしなくっちゃ」

 女は山道を登っていく。咲子は後を追うことしかできなかった。


「あ、ジュースを持ってくるね」

 といって咲子は部屋を出ていった。

 さやかはかつて自分が住んでいた部屋を思い出していた。母と二人、このくらいの部屋で、暮らしていた。

 ぼんやりしてしまった。どたどたと大きな音を立てて、咲子がカルピスを入れたグラスを二つ持ってきた。

「なんかここ、ほんと居心地いいの。あらゆる情報から遮断されてて。まあ、テレビあるけどね。でも携帯の電波全然つながんないし、ネットもできないし。世の中のこと、ぜんぶ他人事なの」

「他人事」

「そう、なんだろうなあ、でも世の中のこと知りすぎても病むだけじゃん。ここのあたりはさ、田島さんの家が取り仕切ってるんだけどさ、どうやら調べたところ、ここの連中はその昔、旅の人間を襲って財をなしたらしいのね」

「盗賊ですか」

「まあそうだね。親玉が田島? 昔ここは聖地だったらしいんだけど、田島の一味が乗っ取ったとかなんとか……」

「じゃあここは」

「うまくいきゃスピリチュアル・スポットとかいって観光地になれたのかもねー。そうそう、それと、ここは田島のオヤジ……、今日葬式やった人、が認めたものしかない。だからネットも通ってない」

「まさか」

 そんなことがいまどき許されるのか。電波が途絶えた場所?

「電波悪いから携帯あまり意味ないしさ、ここの人たち、異様にパソコンとか毛嫌いしてんのよ。なんていうか外との接触を最小限にしてる」

「でも幸一郎さんの奥さん、携帯持ってましたよね」

 寺でみんながタクシーに乗り込もうとしたとき、幸一郎の妻がスマホを取り出した。幸一郎が「やめろよ」と咎め、妻は渋々スマホをしまったのをさやかは見ていた。

「ああ、お気にだったから、秋幸さんの」

「おきに」

 息子の嫁がお気に入り。

「そ。ワイファイでも持ってんじゃない? ずーっとゲームやってるみたい」

 飛んでるのかねえ、電波。咲子は興味なさそうにいった。

「それ、みんな文句いわないんですか」

「裏じゃいろいろいってるけど、ここの人たち、あんまりネットとか好きじゃないからねえ。それに不満漏らしたらここじゃ生きてけなくなるし」


 あのとき、滝のうえで、中年女が掃除をしていた。

「あら」

 中年女が着物の女に挨拶をした。着物の女はとくに返事をせず、タバコに火をつけた。

「この子は知り合い。あんたの管轄外だ」

 着物の女が咲子の肩に手を置く。

「そうですか。ごゆっくり」

 そういって中年女は箒と塵取りを抱え、去っていった。去り際に咲子に笑顔を向けた。

「あんたはいま、死の手前にいた」

 着物の女はいった。わけがわからない。そもそも、滝の音がうるさすぎて、頭がまわらなくなっていく。たしかにここでなら、死ねるかもしれない。ここにい続けていたら、なにも考えられなくなっていくんだろう。

 着物の女がさっき中年女がはいていたところにタバコを投げた。

「もういいだろ、帰んな」

 結局、咲子は家に帰らず、この女の店に住み込みで働くこととなる。女は止めなかった。なんで住まわせてくれたのか、咲子が訊くと「気まぐれだよ」といわれた。女はここでババアと呼ばれていた。

 咲子は滝の上まで、あれ以来登ったことはない。だが、あのとき掃除していた中年女と、咲子は後ほど随分と仲良くなることとなる。

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