7−1 きみもWEBで小説家デビュー!①

 リビングにはナズナしかいなかった。ナズナはじっと、テーブルの上にある菓子の山を見ていた。みんながつまめるように、いつも洋美さんが買ってきて足してくれている。

 ナズナは自分の体型がいやでいやでたまらない。小さい頃は「ぽっちゃりしててかわいい」とみんないってくれた。少しお肉がついているくらいがちょうどいい。自分のことも好きだったし、ナズナからすればダイエットなんてもってのほかだった。いつも遊んでいるグループの子たちは初潮を迎えだしてから、皆こぞってダイエットを始めた。給食を残したりしだす。

「残すならわたし食べる!」

 天真爛漫だったナズナは、残飯処理係でもあった。友達が五百グラム痩せた太ったで一喜一憂しているあいだ、食べ続けていた。ナズナは好き嫌いがない。なんだっておいしい。とくに甘いものは大好きだ。たまに給食に出る、ぶどう味のゼリーが余ったときは大喜びして、じゃんけん合戦に混じった。

 じぶんが太っている、と認識したときには周りは男の子に夢中だった。好きなジャニーズの話と、身近にいる男の子は別腹の楽しみがあるらしい。タレントに憧れることと、身近な少年たちとの交流を両立させている。みんな割り切っていた。ナズナはどんな男の子にも興味なんて起こらなかった。

 高校になっても初潮がこないからかもしれない、と焦った。わたしはいつまでも幼くて、そういうものにたいする準備ができていないのだ。

 母に訴えても、いずれくるでしょう、と相手にされなかった。ちょうどナズナの母は、料理教室で知り合ったバツイチ男とよろしくやっているところで、娘の身体になど気にかけているより、自分を磨くことに時間をかけたかった。そんな母の姿を見て、男のことも、自分を磨くなんて行為にも反吐がでた。人一倍自分の身体のことが気になるのに、それと同時に自分の身体を気にすることを後ろめたいものと思っていた。

 ただ、楽して痩せたかった。

 たくさん食べても吐けばなんとかなる。便で下痢にして流せばなんとかなる。手を喉の奥に突っ込むことも、薬を飲むことだってまったく気にならない。それは、母がしているパワーヨガや流行りの美容法とどこが違うというのだ、というのがナズナの考えだ。

 ダイエットであると同時に、自傷することができる。とてもナイス。

 なずなは肌が綺麗だった。大福みたい、と友達が頬を摘んだりする。とくになにもしなくたって、肌はすべすべだ。母とは違う。ざまあみろ。誰もナズナの見えない部分を知らなかった。そもそも、ナズナが短大を卒業してからプロニートになってから、誰からも連絡がこない。きっと、ある一定期間寂しく見られないようつるむお友達でしかなかったのだろう。

 誰からも軽くあしらわれている、と気づいたのは、就職がきまらないまま家でただごろごろしていたときだ。それは、まるで天啓のようだった

「わたしはこの世に不必要な人間である」

 そんなことないよー、なんていってくれる人は、そのとき周りにいなかった。そう、気づいたときにはもう遅い。シブヤやハラジュクを歩くのは大好きだったけれど、次第に億劫になった。服屋に入っても、自分が着れるものなんてどうせない。ムダだ。

 生理がないことも、楽くらいにごまかしてきたけど、不安でたまらなくなってきた。自分にはなんの価値もない。

 ツイッターを見ていると、連絡してこないみんながみんな「辛い」「ウザい」「会社辞めたい」と騒いでいる。ナズナの抱える辛さとは違う。その辛さのなかに入っていきたい。「普通の辛さを噛み締めたい」というのに、普通が拒絶する。そのうちに結婚したり(結婚式は呼ばれなかった)、子供が生まれたり(出産祝いなどしてたまるか)、みんながみんな「辛いながらも楽しい人生」とやらをサヴァイブしている。どんどん取り残されていく。

 ナズナは目の前のお菓子に手を伸ばす。ここにきてからいつも腹をすかしていた。でも、一口食べたら、たまらず全てを平らげようとしてしまうだろう。ここに住み始めた頃、嘔吐するために夜、庭で穴を掘った。吐いているところをスズナに見つかった。スズナは涙を流しながら「大丈夫よ、大丈夫よ」とナズナを抱きしめた。なにが大丈夫だかわからなかったけれど、そのとき、山や滝よりも、ナズナにとってスズナは神様になった。

「まあ、セリ姐さん、最近相当やばかったし。年取るとさ、やっぱ悩むんでしょ。シェアハウス警備しかしてないし」

 ハコベラの声がして慌ててナズナはテーブルの下に隠れた。自分でも謎の行動だった。

「それはお前もだろ」

 ゴギョウの声。低い位置から二人の足が見えた。

「あー、そういえばそうだった、忘れてた。ていうかお前がいうなよ」

 ハコベラがいい、二人は笑いながら椅子に座った。がさがさという音。菓子を漁っているんだろう。

「で、どうすんのここから出て行って」

 ゴギョウがいった。

「そうだなあ。なんにもやりたいこともないしなあ」

 ハコベラがいった。

「スズナに働かせんの」

「ここ来る前あいつキャバクラ勤めてたし、あいつでもまだいけるでしょ」

 その言葉を聞いて、ナズナは唇を噛む。

「いや、スズナはそりゃさ、なんとでもなるだろうけど、お前はどうすんの」

「主夫、かな」

 ウケるんだけど、とハコベラは自分の言葉に手を叩く。

「絶対ちがうだろそれ、完全にヒモになる気まんまんだろ。料理も洗濯もまともにできねーじゃん」

「じゃあれだ、ペット? 俺はペット?」

「ふるっ」

「いいんだよ。俺という存在が、誰かの役に立ってるわけだ。これまで俺、なーんもできなくて、なーんもやりたいことなかったし、そんな俺のことを好き好きいってくれるなら、いいじゃんそんで。俺もスズナのこと好きだもん」

「うぜえ」

 ゴギョウだって笑っている。バカにしているのだ。

「だって俺のこと好きっていうからさ〜」

「ドヤ顔きたー、とんだクズを好きになったな、スズナ」

「俺、クズで助かった〜」

 ナズナは殺意を覚えた。スズナに働かせる? ふざけんじゃねえ。

 チャイムが鳴った。

「珍しいなこんな時間に」

 たしかに珍しい。夜に来客なんてこれまでなかった。

 じゃんけんふーっ! クッソ!! どうやらがゴギョウが勝ったらしい、ハコベラの足が出ていった。

「かくれんぼ?」

 唐突にゴギョウがいった。ナズナは息を潜めている。

「ま、好きにしなよ」

 ナズナは答えなかった。

 ハコベラの足と、スラックスの足が部屋に入ってきた。

 電気がついた。


「どうぞおかけになってください」

「どちらさま?」

 ゴギョウが訊ねた。ハコベラは、ホト呼んでくる、といって出ていった。

「あ、すみません、わたくしこういうものでして」

 ゴギョウは男に名刺を差し出された。

『××出版編集局 森村あたる』

「森村さん。出版社の方?」

 ゴギョウは息を呑んだ。

「ああ、『小説××』の」

「ああ、よくご存知ですね」

 ご存知もなにも、よく知っている。

「編集なんですか」

「そうです、編集をしています」

「……ホトのお知り合いですか」

 恐る恐る訊ねた。心象を悪くさせてはいけない、とゴギョウは緊張した。

「ホトケノザさんは、本名もそうなんですか」

「知らないです」

 おかしい。ホトの名前を知らない。まあ俺だってわかっていないけど、そもそも興味ないし。俺たちの名前は洋美さんがつけた。清白みゆきだけは別だった。なにせ、洋美さん曰く「七草粥ができたわ!」ということだそうだから。次にくるやつは「スズシロ」とでも名付けるつもりだったのだろう。

「ああ、じゃそのペンネームが浸透されているっていうか、そういうことですか」

「まあ、そういうもんです」

「ここらへんはあれですね、空気がきれいで」

「それくらしか取り柄ないっすからね」

 ほらきた。それくらいしか取り柄のないしけた村だ。

「夕方に駅に到着しまして、レンタカーを借りるのに手間取っちゃって。予約の日にちを店が間違えてたもんだから」

「あそこのじいさん元気ですか」

 なんだか馬鹿らしくなってしまい、ゴギョウはいつも通り横柄になっていた。人を見下すような。

「お知り合いで」

 目の前にいる森村は意に介さない。

「僕もね、借りたんですよ駅前のレンタカー。返してないけど」

「え」

 森村が驚いたので、ゴギョウは愉快だった。

「誰かが返してくれたんだろうな、はい、多分」

「乗り捨てとかオーケーなかんじなんですか」

「そういうわけじゃないんですけどね」

 ホトとハコベラがやってきた。ホトは怯えていた。なんだこいつ。

「ホトケノザ先生ですか!」

 森村が立ち上がった。

「先生?」

 なんだこいつ。ゴギョウはびっくりしてしまい、口を締めることができない。

「はい」

「いやお前、先生?」

 ハコベラがホトの頭をぽんぽんと軽く叩く。

「ホトケノザ先生の作品、毎日楽しく読ませていただいております」

 そういって森村はホトに名刺を差し出した。

「あの……せっかくきていただいたんですけど、ここだと……」

「いや、ここでどうぞ。ここで」

 ゴギョウが立ち上がる。

「俺たちが出るんで」

 ゴギョウとハコベラは部屋を出た。

「すみません、ご迷惑おかけします」

 森村がゴギョウの背中に向かっていうのが聞こえた。


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