其之三 清き余韻

 山陰の東西南北、四方全ての城門前に妖術のほこらが築かれていたために会稽かいけいの郡兵は完全に城内に封じ込められた形になっていた。その一つを孫堅そんけんが突破して、状況を一変させた。窒息ちっそくしていた会稽の郡兵は息を吹き返し、大いに士気を高めた官軍は妖術の祠が壊された北門から出撃した。孫堅が先頭に立って敵中に突っ込み、陸康りくこうが呉郡の精兵で続く。さらに朱儁しゅしゅんが会稽軍を率いて城から撃って出る。

 そして、押し寄せてきた賊軍を押しのけ、ついには県城から少し離れた平地に構えていた許生きょせいの屯営まで一気呵成いっきかせいに攻め込んだ。

「見違えるようだ」

 会稽太守の尹端いんたんは高揚しながら、城楼から勝利の様子を眺めていた。すでに官軍が賊軍を敗走させている。戦傷がえていれば、自らもあの軍中にあっただろう。

 やがて、天を暗く覆った雲間から数条の日差しが差し込んで、勝利の栄光を称えるように彼らを照らした。

臧刺史ぞうししは誠に良い人物を送ってくださったものだ」

 この勝利はまさに孫堅という若き英雄がもたらした勝利だと言って過言ではなかった。

「ええ、私も探し求めていた人物を見つけた気分です」

 尹端と並んで戦況を眺めていた袁忠えんちゅう清々すがすがしく言った。

「新たな清流ですか」

「はい。江南に来たのは間違いではありませんでした」

 袁忠は確信するようにうなずいた。

「では、その者たちを出迎えましょう」

 尹端が城楼を下りて、城門へ向かった。袁忠がそれに続く。城門が開き、孫堅・陸康、朱儁が勝利の軍勢を率いて凱旋がいせん入城した。

「皆、よくやってくれた。これでひとまず危機を脱することができた」

 久々の勝ち戦で鬱憤うっぷんが晴れた尹端は上機嫌で言った。妖術の祠は全て破棄され、城下は数十日ぶりに重苦しい包囲から解放された。

「しかし、許生を取り逃がしてしまいました。申し訳ございません」

 朱儁は許生を討てなかったことをかなり悔やんでいるようだった。賊軍自体はたいして強くない。許生の妖術がそれを何倍も強く見せていただけに過ぎない。許生の屯営の前にも妖術の祠が複数設置されていた。そこからバッタの化け物が現れ出たが、孫堅がそれを斬り捨て、兵たちが祠を打ち壊して、妖術の罠を突破した。許生の兵には老境の者が多く、端から妖術なしで官軍とまともに戦おうという意志はなかった。

 妖術の罠が突破されると、賊軍はほぼ抵抗を見せずに一目散に遁走した。許生の容姿については定かではない。恐らく老人に違いないが、多くの老兵にまぎれて逃げおおせたようだ。

「気に病むことはない。臧刺史もこれだけ手を焼いているのだ」

 まさに二年前の臧旻ぞうびんの勝利と状況は同じだった。勝ちはしたが、中身の薄い勝利だ。

「それにあの妖術だ。簡単にはいかんだろう。のぅ、袁公?」

「はい。まさに、それこそがこの反乱を容易に鎮圧できない要因でしょう」

 元凶を断ったわけではない。許昭きょしょうの軍勢は健在だし、また許生が勢力を盛り返せば、戦いの終着はますます見えなくなるだろう。

「あのような妖術は生まれて初めて見ました。何故許生親子は妖術を使えるのですか?」

 じかに妖術と対峙した孫堅らしい率直な質問だった。

「そうだな。そなたは事情を知らんのだったな。……どうだろう、袁公。この両名は信用が置けると思うのだが、よければ、もう一度事の次第を話してはくれまいか?」

「かしこまりました。まずは皆様に十分休んでいただいた後で、この一年のことも含めてお話し致しましょう」

「うむ。それが良い。うたげの席を設けせます。戦勝祝いといきましょう」

 尹端が同意して、酒宴の用意を部下に命じた。


 袁忠、あざな正甫せいほ。予州汝南じょなん汝陽じょよう県の名族の出で、〝鳴かないせみ〟と揶揄やゆされた袁閎えんこうの弟、袁紹えんしょうの従兄にあたる。現在、文官の最高位である「三公さんこう」の一つ、司徒しとの要職を袁隗えんかいが務めているように、袁氏は代々高官を輩出する名家中の名家で、その力は絶大、天下に汝南の袁氏を知らぬ者はいないと言われるほどの一族である。

 では、何故その名誉ある一族に連なる者が追われているのかというと、何十年にも渡る政争とその中で起きた一大事件、党錮とうこ事件に深く関わっているからにほかならない。

 王朝が長く続くと、良くもしくも必然的に権力を握る一族が台頭する。その一つが袁氏だ。とかく権力を持った一族が政争に巻き込まれるのは歴史の必然で、袁氏も例外ではなかった。この政争は金と権力に執着して政治を腐敗させる〝濁流派〟と、儒教精神のもと、あくまで清廉な政治でそれを正そうとする〝清流派〟の間で争われた。

 袁氏は袁忠をはじめ、清流派と目されていたが、一方で濁流派ともコネクションを持っていた。二つの勢力の間に入って政治のパワー・バランスを保とうと努めた一方で、どっちつかずの日和見ひよりみ主義を通して、政局を混沌とさせたとも言える。

 長年政権の中枢にたずさわり、様々な恩恵に与ってきてしまったことが保守的な姿勢を生み出してしまったのだ。全面的にどちらかにくみしたとして、政争に敗れて一族が破滅衰退するような事態は避けたい――――そんな保身がそれ以上に強く働くようになった。そして、それが次第に袁氏のような中道保守的な〝混流こんりゅう派〟を生み出していく原因となった。そうではあるが、本家や分家から何人もの官僚を政局に送り込んでいる袁家のような大家になると、家の方針として一貫性を貫くことは難しい。どちらかに刺激されて、清流的に行動する者もいれば、反対に濁流派に傾く者も出てくる。袁忠は強く清流に傾いた人物だった。

 この十年間で繰り広げられた政争を見るなら、濁流派の勝利と言わざるを得ない。

 濁流派は賄賂わいろ偽書ぎしょを駆使し、無法の上、姑息こそく狡猾こうかつに動くのに対し、清流派は不正を良しとせず、礼儀や清廉さを重んじるが故に、どうしても動きが制限されてしまうのだ。

 延熹えんき九(一六六)年、濁流派の代表である宦官たちは、

「――――どうやら、陛下のまつりごとを批判して反乱を企てている者たちがいるようです」

 そう皇帝をたぶらかし、目障めざわりな清流派官僚を一斉に逮捕させたのである。この時に袁忠も逮捕された。彼らは徒党を組んだ者たちという意味で〝党人〟と揶揄され、国家に対する反逆者、テロリストであると吹聴ふいちょうされた。彼らは公職を罷免された挙句、禁錮きんこ処分に処されて郷里に帰された。そのため、この事件を“党錮の禁”という。

 二年後の健寧けんねい元(一六八)年、今度は清流派が反撃に出た。

 当時の清流派の筆頭で、大将軍である竇武とうぶ太傅たいふ陳蕃ちんばんが政権の中枢に蔓延はびこり、世を腐らせる宦官たちを一掃するクーデターを計画したのだ。ところが、それは実行前に宦官側に漏れてしまい、逆襲を受けることになった。クーデターを首謀した竇武と陳蕃は誅殺されて、その家族は遠く僻地への流刑に処された。さらに、その翌年、李膺りようたち名のある清流派百人以上が処刑されて、関係者数百人が党人という危険分子のレッテルを張られ、終身禁錮処分にされた。これが〝第二次党錮の禁〟である。

 袁忠は竇武・陳蕃、李膺ら清流派官僚たちの無罪を主張し、彼らの名誉を回復しようと務めた。家事よりも国事を優先させ、あくまでも清流を貫いたために党人にリストされた。

 混流的方針を採る家の根回しで辛うじて命は助かったが、連帯責任を逃れたい袁家からは勘当かんどうされた恰好かっこうとなって、濁流派の暗殺を逃れるために逃亡放浪生活を余儀なくされた。逃亡した党人は全国に指名手配され、党人隠匿いんとくも重罪とされた。

 袁忠は予州から徐州に逃れ、長江を渡って江南の地に辿り着いた時、呉郡太守の李粛が同じ予州出身の袁忠を危険をかえりみずに庇護してくれたのだった。

 しかし、党人という立場である以上、袁忠は同じところに居続けるわけにもいかず、今度は会稽太守・尹端の庇護を受けることになった。揚州刺史の臧旻も袁忠のことを知っても、それを中央へ報告することはしなかった。幸いなことに李粛も尹端も臧旻も、清流派に深い敬意を抱く人物だったのだ。

「……お前たちはしばらく下がっておれ。呼ぶまで、誰も部屋に入れるでないぞ」

 うたげがいくらか進んだところで、尹端が給仕の者たちを退出させ、太守私邸の応接室は尹端と朱儁、孫堅、陸康、そして、袁忠の五人だけとなった。

 袁忠は過去を振り返りながら、静かに語り始めた。

「……事の発端は五年前です。私はある人物から所在が分からなくなっている朱雀鏡すざくきょうの調査を頼まれました。朱雀鏡とは所有者に加護と地勢を付与するという、伝国の四神器じんぎの一つです。青龍せいりゅう白虎びゃっこ、朱雀、玄武げんぶはそれぞれ東西南北の四方を守護する神獣しんじゅうで、四神器には各神獣の力が封じ込められていると言われています。平時には四方の大地に収められ、天下の安寧に寄与するのですが、乱時には奸賊どものよこしまな地力を引き出すともいいます。現に政治の乱れとともにちまたには邪悪なやからあふれ、中には神器の秘密を知って、それを奪おうとする企む者まで現れるようになりました。おおやけにこそなっていませんが、実際に神器が奪われた挙句、大規模な反乱へと発展する事件も幾度か起こっているのです。その度に清流派の将軍が派遣されて、何とか事態を収拾し、神器を取り戻す……ということが繰り返されてきました」

 袁忠が語るこの話は朝廷の中でもごく一部の者だけが知りえる極秘事項であって、孫堅のような地方の下級役人が知りえる話ではない。尹端や李粛といった一郡を預かる立場の者でさえ知らなかったのだ。二人の太守も袁忠に信用されて、初めてこの事実を打ち明けられた。

「当然ながら、これら神器の行方も清濁の政争の一因になっています。そして、混迷する政局の中、現在、朱雀・白虎・玄武の三神器の行方が分かっていません」

「袁忠様が江南の地に来られた本当の目的は朱雀鏡がこの地にあると踏まれたからですか?」

 袁忠がその陸康の問いに答える前に、もう孫堅が質問を重ねていた。

「では、その朱雀鏡が許昭らの手にあるというのですか?」

 袁忠は頷いてから、その理由を述べ始めた。

「最初から確信があったわけではありません。ですが、許昭親子が妖術を駆使するという噂を聞き、容易に鎮圧できていない点からも、その可能性を疑いました。許昭親子が朱雀鏡を手に入れ、何か特別な力を得たのではないかと考えたのです。私は確たる証拠をつかむため、一年前にこの山陰の城を後にして会稽の各地を歩き回りました。そして、方士の魏伯陽ぎはくようと出会い、彼から許昭の父である許生が呪術師だという噂を耳にしたのです」

「呪術師ですと?」

「はい。それからというもの、私は郡内各地の石碑や祠を調べ上げました。呪術師はその術の源となる力を大地から得るといい、地に還った霊魂や大地の精霊を祀るために碑や祠を建てるというからです。そして、先日上虞じょうぐ県の曹娥そうが碑にてようやくその証拠を得ました」

「あの時……ですか?」

 賊軍の斥候せっこうと勘違いして捕縛、詰問した時のことである。孫堅は身体中を火照ほてらせて、またおのれを恥じることとなった。

「まぁ、そうです。私と一緒にいたのが、魏伯陽です。彼は清流派八俊はっしゅん魏朗ぎろう殿の子息にて、共に許生の妖術の謎を解き明かそうとしていました」

 袁忠は苦笑しながら孫堅が取り逃がした男の正体を告げた。

「八俊」とは、〝八人の清義に傑出した者〟という意味を持つ八人の清流派名士に与えられた称号である。「八俊」は竇武・陳蕃ら「三公」に次ぐ名誉で、会稽上虞の魏朗のほか、李膺りよう杜密とみつ荀昱じゅんいく王暢おうよう劉祐りゅうゆう趙典ちょうてん朱㝢しゅぐうが選ばれて、多大な名声を博した。

 袁忠の説明に驚きを隠せない朱儁が口を挟む。

「私は上虞の出身ですので、魏君のことも曹娥碑のこともよく存じています。ですが、曹娥碑は孝行娘を称えて建てられたもののはず。まさか呪術と関係があったとは、にわかには信じられません」

 曹娥の父は曹盱そうくといい、銭唐嘯せんとうしょうを抑えようとして河岸で伍子胥ごししょに祈りを捧げていたところ、波に呑まれてしまった。その時、弱冠十四歳だった曹娥は父を失った悲しみから七日も泣き続け、ついに父の後を追って銭唐江へ投身自殺してしまった。

 漢安かんあん二(一四三)年の出来事だから、三十年ほど前の悲劇である。

「正確には呪術と関係があったわけではなく、許生と関係があったということです。曹娥の父は巫祝ふしゅく(祈祷師)で、その巫祝仲間に許生がいたようです。副碑に建立こんりゅうに携わった者の名が刻まれていて、その中に許生の名が見えました」

「しかし、巫祝とは民のために祈る、いわば善人を言うのでは?」

「いかにも。祈りで善を為すのが祈祷ならば、悪を為すのが呪術や妖術。世が乱れていくうちに許生は妖術を行うようになったのかも知れません。各地で怪しげな祠を見かけた、化け物を見たという声を聞きましたが、それらはどうもこの一、二年のことのようなのです。つまり、許生の妖術が完成したのがその頃だと考えられます。そして、最も決定的なのが、数日前に銭唐江の上空で巨大な火の鳥を見たという漁師の証言です。その火の鳥が翼を羽ばたかせると、直後にかつて見たことがない大津波が起こったというのです」

 その大津波と自分を呑み込んだ銭唐嘯が孫堅の中でリンクする。

「巫祝、妖術、邪祠、化け物、火の鳥、大津波……」

 孫堅は一つ一つキー・ワードを拾い上げていった。銭唐嘯に呑まれ、蟻の化け物に襲われたことを思い返しながら。

「全ては朱雀鏡に繋がるように思いませんか?」

「……なるほど。もはや疑いようがありませんな」

 袁忠の問いに尹端も確信する。朱儁も黙って頷いた。

 袁忠は一通り話した後で、きちんと陸康の問いにも応対した。

「私がこの江南の地に来た目的は確かに朱雀鏡の行方を求めてですが、党錮の難を避けるためでもあります。下知げちに従って郷里にこもっているだけでは座して死を待つだけですし、何より天下の役に立ちません。それはどうも私のしょうに合わない。それに、考えようによっては、名を失ったお陰で、本当の意味で自由の身になれたとも言えます。ですから、その身を生かして天下の役に立とうとしているのですよ。失われた朱雀鏡を見つけ出し、それをもとの地へお返しすることは清流の忠であり、天下への義であると考えています」

「御立派です!」

 ほろ酔いの朱儁は感動して立ち上がると、ますます敬意の眼差しを向けるのであった。

「そういうわけで我等も袁公に協力している。これはまさしく天下への義だ」

 同じくほろ酔いの尹端もそういう自分を誇らしげに言った。

 袁忠の清義せいぎは尹端や朱儁だけでなく、若い孫堅の正義感もすぐさま感化した。

 銭唐嘯に呑まれた時に聞いた謎の声が心の内によみがえって、運命を導いているように思えた。その流れに乗るべきだと確信した。

「不才ながら、私も袁忠様の清義をお助け致します!」

 朱儁にならったのかどうか、孫堅は立ち上がってやや仰々ぎょうぎょうしい拱手で自身の正義とその強い決意を見せると、

「私も袁公をお助けすると天に誓いますぞ」

 若造に遅れてなるかとばかりに、陸康もそれを決然と示した。

「それは本当に有り難い。世は濁々としておりますが、皆様の心に清流が流れていると知って、まだまだ捨てたものではないと希望を感じます」

「ははは、今日は実に愉快な日だ。さぁ、今夜は飲み明かしましょう」

 彼らの清き誓いに気を良くした尹端がさらに気分をげるべくさかずきを掲げた。


 山陰の包囲解放から半月が過ぎ、孫堅に新たな命が下された。陸康が作戦の成功を伝える使者として、討伐軍の指揮を執っている揚州刺史・臧旻のもとに戻り、再び密命を帯びて山陰に到着したのである。

 その命令は、今度は丹陽太守・陳夤ちんいんの山越族討伐に加勢せよ――――というものだった。加勢とはいっても、会稽郡を南下して、丹陽郡に侵攻した山越族の背後を脅かす間接的支援である。また、許昭と山越族の連携を断ち次第、討伐軍本隊・会稽・丹陽の三軍でもって、孤立した許昭を一気に包囲殲滅せんめつする――――と、今後の戦略の概要も伝えられた。

「臧刺史も相当孫文台を買っておいでのようだ」

 尹端はその方針に大いに満足しながら言った。確かに、今度も孫堅の働きが鍵を握る作戦となっていて、臧旻の孫堅に対する期待の大きさをうかがわせる。

 逆を言えば、孫堅の活躍がなければ、一連の作戦がうまく機能しないことになるので、孫堅にはかなりの重圧がのしかかる作戦と言えた。

 それでも、孫堅は胸を張って、

「必ずやご期待に応えてみせます」

 と、気概を示して見せた。ここで、傍聴ぼうちょうしていた袁忠が一つ提案をした。

「山越族の兵を退かせるということであれば、私が使者となり、交渉に赴きましょう。うまくいけば、戦わずして許昭との連携を断ち切ることができます」

「袁忠様、危険過ぎます。山越が素直に言うことを聞くとは思えません」

 朱儁が袁忠の身を案ずるがあまり、思いとどまるように促した。

びんの越王を訪問するのです。山越を抑えるのなら、越王から停戦命令を引き出した方が効果的かと思われます」

「越王が未だ存在するとは聞いたことがありませんが」

「私は朱雀鏡の情報を求めて会稽各地を歩いた時、南へも足を伸ばしましたが、その時、山越族の性格や気性などを聞き知りました。越王は今も存在するようです。いろいろ聞くうちに分かったのですが、この反乱の背景にはいくつかの誤解があるようなのです。その誤解を明らかにし、清らかな心で接すれば、話も通じるはずです」

「そろそろ頃あいですか?」

 尹端は袁忠が山陰を去ろうとしているのを察して言った。

「はい。これ以上、太守にご迷惑をおかけするわけには参りません」

 山陰は会稽郡の郡都である。つまり、会稽の政治と経済の中心都市であり、人の往来も少なくない。中央からの官吏もやってくる。全国に指名手配されているお尋ね者の党人がそのような所にずっと留まっていることは危険なのだ。いくら太守が庇護してくれているとはいえ、いつまでもその庇護下にいられるわけではない。それに、党人隠匿は死罪なのである。山陰に留まり続けていては、尹端にまで危害が及ぶ可能性がある。

「尹太守のご恩は決して忘れません」

 袁忠が拱手して深々と頭を下げた。

「いえ、できれば、もう少しお世話をさせていただきたい。私の代わりに地理に詳しく、信用の置ける者を供に付けましょう。公偉よ、袁公のお供をし、道中の身の安全をお守りするのに適当な人物を選んでくれ」

「はっ、直ちに」

 朱儁は身を正して、命を受けた。

「袁公よ。そういうわけで、有能な者を選んで供に付けます」

「ありがとうございます、尹太守」

「では、私も同行させてください。袁忠様が言われたように、山越を説得できれば、戦わずして丹陽への支援となります。これは私の役目でもあります」

「兵は連れていけません。さらなる誤解を与えてしまいますから」

「はい。この孫堅、身一つでご一緒致します」

「そなたの兵はどうするのだ?」

 朱儁が早くも袁忠に付き従う気満々の孫堅に尋ねた。

「陸康殿に預けます。万が一、交渉が上手く運ばなかった場合は兵を動かすことに致します」

 正義の絶対性を強く信じる孫堅にとって、清流派の名士である袁忠の説得が通じないということ自体、想像しがたいことであった。

 かつて袁忠は第一次党錮事件の際に捕らえられ、同郷の范滂はんぼうとともに濁流派の首魁である宦官・王甫おうほの取り調べを受けたことがある。厳しい追及にも酷い拷問にも正義の志を曲げることなく、いざ死刑判決を前にしても、決死の覚悟で自分の信念と清義を貫いた。

「――――孔子の言葉に〝善を見ては懸命に追いかけ、悪を見ては慌てて手を引く〟とあります。私たちが切に願うのは、善行を善行としてその清きを褒め、悪行は悪行としてその汚れを憎むような正しき社会の実現です。昔の善に従う者はその身に数多あまたの福があり、今の善に従う者はその身に死罪が降りかかる……。私が死ぬ時が来たら、どうか首陽山しゅようざんの側に埋めてください。私の所業は上に向かっては天道にそむかず、下においては伯夷はくい叔斉しゅくせいに恥じぬつもりでございます」

 伯夷と叔斉はずっと昔のいんの時代の小国の王子だった。兄弟は共に王位を譲り合い、ついには二人とも出奔してしまう。周の武王が殷を攻撃しようとするのをいさめたが聞き入れられず、殷は滅んだ。二人は周から仕官の誘いがあったが決して仕えず、首陽山に入って餓死した。儒教では聖人とみなされ、高徳な隠者の代名詞のような古人である。

 何と清々たる弁明か。范滂、あざな孟博もうはく。汝南郡征羌せいきょうの人にして、郭泰かくたい宗慈そうじ巴粛はしゅく夏馥かふく尹勲いんくん蔡衍さいえん羊陟ようちょくとともに「八顧はっこ」――――〝八人の清義によって人々を導く者〟の一人に挙げられた清流派の期待の星。その友人に触発されてか、袁忠もそれに続けて清義を述べた。

「――――滔々とうとうとした河があってこそ、その水は四方の大地をうるおし、揺るがざる国家があってこそ、その恩恵は四方に行きわたる。澄んだ水は人を生かし、汚れた水は病を流行はやらせます。正しきまつりごとは民衆にさいわいを授け、しき権勢は人々にわざわいをもたらします。澄んだ水も正しき政も、いわば、民の命も同然、国家の宝も同然なのです。そして、命を失えば、宝も損なうというもの。今、これを防がずしてどうしましょうか。あとで後悔したところで取り返しがつきません。私たちがひたすら清義を重んじるのはひとえに民を生かすため、国を救うためなのです」

 二人の言葉についに王甫も二人を不問に付したという。

 これは清流が濁流に勝利した美談として民衆にも大きく宣伝された。ただ、まだ政治というものに関心がない少年だったためか、江南の田舎にまで伝わらなかったためか、いずれにしろ孫堅が知るエピソードではない。後に、范滂は党人として決然と死に臨み、袁忠は党人として生き延びることとなった。

「――――私が孟博に及ばぬという、いい証拠だ」

 袁忠はこのエピソードが話題に上ると決まって、そう自嘲じちょうした。

 范滂のは真心まごころを貫いた純然たる清義であり、実に清らか。自分のは駆け引きのための清義。我々を殺せば神器の行方も分からなくなるぞ――――暗に王甫にほのめかしたのだ。

 そして、范滂亡き後、友の清義を称えしのぶため、その七言評である〝海内かいだい謇諤けんがく范孟博〟から〝謇諤〟という代名を形見として取ったのだった。

 ともかく、そんな経緯は知らない孫堅は袁忠の清流を感じて、勝手な期待を抱いている。袁忠の清義なら、どんな人物の心であろうと動かせるのではないか……と。


 袁忠と孫堅は未知なる土地に足を踏み入れていた。会稽郡はとにかく広い。

 いくつかの郡が統合して、州という行政区になるが、会稽郡一郡だけで袁忠の故郷である予州よりも広大なのである。ただし、それに反して、人口は極端に少ない。

 ほとんどの町が富春水ふしゅんすいから銭唐江せんとうこう沿いの北部に集中していて、あとは沿岸部に港町や漁師の集落が点在するくらいで、南部はほとんど未開発だ。特に会稽南部は山岳地帯で、武夷ぶい山脈が行く手をはばむかの如くそびえ立っており、深い原生林と岩山の世界が広がっている。

 そこはもう会稽郡内であっても、実質的に漢王朝の支配が行き届かない異文化圏である。

「すでに山越族の縄張りに入っています。お気を付けください」

 それをよく認識している先導役の男が明朗な声で後続の袁忠と孫堅に注意を促した。常に袁忠の前にあって、その進む先に存在する障害物を取り除くよう努めている壮年の男は、周昕しゅうきんあざな太明たいめいという。地元会稽出身の準党人である。

 周昕は十代の頃、清流派のトップだった陳蕃に師事していたことから、党錮の禍を避けて故郷の会稽郡に戻っていた。その後、清流派名士の子弟たちも師の教えを引き継いでいる可能性があると濁流派から危険視されて、党人扱い(郷里での謹慎処分)にされた。そのような準党人にも極秘裏に懸賞金が賭けられ、濁流派に暗殺される恐れがあったので、周昕は一時期を会稽南部の山奥に隠れ住んだ。陳蕃の弟子らしく清流派を非常に敬う人物で、周昕は中原ちゅうげんから逃れてきた袁忠のことを知ると、何度か袁忠のもとを訪れて手助けをした。そして、南部の道に通じ、袁忠とも面識があることから、今回の嚮導きょうどう兼護衛役として抜擢されたのだった。

 嚮導というのは道案内のことである。また、孫堅と違って落ち着いた大人であり、風水の知識もあるので、精神的な袁忠の相談役としても期待された。

 周昕が袁忠の体を心配して、

「もう少し行ったら、一休みしましょう」

 振り返って言った。今日は朝から歩きどおしだ。拾った木の枝を杖にして歩く

袁忠が噴き出した汗を拭って、二、三度頷いた。

 会稽南部は夏季には雨が多く、高温多湿である。こよみはもう秋を迎えているが、実際の気候は未だに夏の最中さなかであった。蝉噪せんそうと湿気に溢れる鬱蒼うっそうとした森の中を一行が進む。道はすでに獣道けものみちのように心細いものになり、その道もだんだん険阻けんそさを増していく。

こけで滑りますから、お気を付けください」

 周昕が大きな岩を乗り越える袁忠に手を貸しながら言った。

「これはこれでなかなか刺激的な経験ではありますな」

 袁忠もこんな人気ひとけのない南方まで調査の足を伸ばしていない。呑気な発言の袁忠をよそに、彼を警護する孫堅は周囲に神経を配らせる。先頭の周昕は道を違わぬよう記憶を掘り起こしながら、見通しが良い場所に出る度に周囲を確認した。周昕は悪路と袁忠の足を心配し、最後尾を行く孫堅は常に片手を剣の柄にかけ、山越賊に対する警戒に余念がない。

「おお、南方の山奥にこんな絶景があるとは……」

 大岩を乗り越えた袁忠の視界に鋭くとがった岩山とその下をうように流れる渓流の美観が飛び込んできた。

「中原にくすぶっていては、このような壮観な景色を見る機会はなかったでしょうな」

 太腿ふとももに両手をつきながら、袁忠は感嘆の言葉と休息の吐息を吐いた。若い孫堅は軽々と岩を乗り越え、その景色を見た。

 周昕が前方の峰々を指し示しながら説明する。

「この武夷山のそそり立つ岩山が自然の城壁の役割をし、北方と南方の文化を隔ててきました。この山を越えると、そこには違う文化があるのです」

「山を越えたところ……山越の地」

「ええ。山越族は武夷山から丹陽郡にかけての山中に盤踞ばんきょしていますが、彼ら越族の本拠はこの武夷山の向こう側です」

 周昕がそんな情報を付け足した。そして、ちょうどその景色を眺められる岩場の下に日陰を見つけると、袁忠のために休憩をとることにした。

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