「心の傷」


「はぁ……。ひもじいよぅ~」


昂の絵画の世界に閉じ込められてどのくらい経過したのだろう。

腕時計を見ても針は少しも動かず、どうやらこの世界には時間という概念は存在していない事がわかった。

だが、それだけ分かったところで、れむにはどうする事も出来ず、ただ無為に過ごしているしかない。


一方、れむよりも長くこちらの世界に来ていた希州はというと、昂と一緒にビールと枝豆で楽しんでいた。

どうやらこの世界では彼が今まで作品として描いたものだけが実体を持って顕現出来るらしく、今彼らの前にあるビールと枝豆は今から四年前に彼が「人生最高の相棒」という題の唯一の食べ物を描いた作品だったらしい。


最初はれむもそれを摘まんでいたのだが、そればかりでは流石に飽きる。


「どこが人生最高の相棒なんですか。もう既に飽きちゃいましたよ」


「えっ、そうかい?オレは全然飽きないよ。無限だね。これは」


そう言って希州は美味そうにビールを煽り、枝豆を口に放り込んだ。


「そうだろう。そうだろう。これは本当に傑作だった。僕の住んでいたアパートが古い廃寺の裏でね。そこに枝豆の蔓が伸びていてね。これは描かないとって、ビールを片手にがむしゃらに描いたものさ。墓場の石の冷たい質感と自然のままに力強く伸びた枝豆のコントラストが絶妙だったね」


それを聞いた瞬間、希州の手から枝豆の鞘がポトリと落ちた。

同時にれむも微妙な表情になる。


「あ……あんた、これ墓場に成っていた枝豆だったのかよっ!」


「いゃぁぁぁっ!」


「あはは。その通り。あそこは穴場だったよ。今度二人にも教えよう」


「………こんなところ、早く出ましょう。黒ちゃん」


「お…おぅ」


ようやく希州も脱出について真面目に考える気になったようだ。


「ここは先生の心の世界だ。出るにはこの先生の心にある不安や恐れのようなものを解除しなくてはならない」


「不安……恐れ…ですか」


「?」


れむはジロりと、隣で枝豆の鞘で遊んでいる昂先生を観察する。

とても不安や悩みがあるようなは見えないのだが。

それは希州も承知の上で、それが何かわからず今まで苦労していたようだ。


「問題はその不安や恐れが何かが分かればいいのだが」


「…そ……そうだったんですね。でも本当にどうしたらいいんでしょう。あの…昂先生はご自分で分からないんですか?」


昂は黙ったまま枝豆をれむへ向ける。


「食べるかね?」


「……いいえ。あの、それより私の話、聞いてましたか?」


しかし昂は澄んだ瞳を虚空へ向けてぼんやりしているだけだ。


「なぁ。厄介だろう」


希州はれやれと肩を竦める。


「ううううっ。所長~っ。どうしたらいいんですかぁぁ」


れむはがっくりと肩を落として情けなく吠えた。

しかしその頃、現実世界にいる双葉は大変なピンチに陥っていた。


だが、その頃のれむたちはそんな事すら知らずにただ途方に暮れているのだった。


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