第8話「もう一人の狗神使い」

「うぅ~っ、こうなるならやっぱり何かがっつりお腹にたまるもの食べておけば良かったぁぁぁぁ」


「うるさいな。春日君。別に無人島に流れ着いたわけではないのだから、そう騒ぐな」


「無人島の方が何倍もマシですって。ここは「無」なんですよ?む~っ!」


「…………」


一方、目的地である兼六園を向かう最中、知らずに異界らしき空間に足を踏み入れてしまった双葉とれむは、未だ出口を見つけられずにひたすら無人の園内を歩いていた。


通常賑わっているだろう自然豊かな園内は、人が一人も歩いておらず異様な光景が広がっている。

その上、先ほどからひらひらと雪までちらつきはじめていた。


「ねぇ、所長、今って秋ですよね?」


「当たり前の事を聞くな……と言いたいところだが、私も今の光景には疑問を覚えている」


珍しく双葉も困惑を隠せない様子で風水羅盤を何度も確認している。



「しかし、これはますますあの写真の光景そのものになってきたな……仕方ない。引き返すぞ」


「分かりました。このままここで凍死はいやですものね。ううっ。まだ彼氏も出来ないうちに死ぬのは嫌ですよ~」


「………君はもっと有意義な人生を模索した方が世の為にもいいと思うぞ」


「はい?あ、それより所長って彼女さんいないんですか?全然そういう話聞いた事ないですけど」


れむは小走りで双葉の横に並ぶと、何か期待するような目で見上げてきた。

双葉の眉間の皺がより一層深くなる。


「………君の目はあれか?節穴なのか?」


言外に「バカなのか?」と双葉の瞳が語っている。

だが残念な事にれむにはその視線の意味が伝わるはずもない。


「ン?何の事ですか」


「…………いや。いい。君と話していると全てが虚しくなる」


「???」


この手の話題に敏感なくせに、自分の事となるとそのセンサーが無効化される実に残念な女なのだった。


辺りの景色はたった数分ですっかり綿帽子を被ったように薄っすらと雪が積もっていた。


二人はサクサクと音を立てながら、園の外側へ向けて歩く。

その内、前方に黒い靄のようなものが広がる空間が見えてきた。


「所長、あれ何ですか」


れむは恐々前方を指さす。


「あれは凶変が発生しているんだ」


「凶変?」


「この異常な空間に対する凶変だ。ここは何者かが作為的に造った空間だからな。様々な場所に綻びがある。それが変容しているんだ。あまりここに長くいるべきではない」


「そ…そんな事言ったって……」


前方の靄はじわじわと広がり、浸食していく。

それはもう目の前まできていた。


「さ……参考までにお聞きしますが、あれに飲み込まれるとどうなっちゃうんですか?」


双葉は肩を竦める。


「多分、今君が想像した通りの事が起こるではないかな?」


「ひっ……ひぃぃぃぃっ。誰か助けてっ」


やけに冷静な双葉とは対照的にれむはその場を右往左往している。


「凄いな。そんなに重い荷物を背負ったままよくそんなに動けるな」


「所長っ、クールに決めてないで何とかしてくださいって」


「ふむ。では仕方ない。夜斗、いるんだろう?」


双葉がため息交じりに脇の植え込みの辺りに声をかける。



「おぅ。気付いていたか。ちょうど良い頃合いを見て姿を現そうとしたのだが残念、残念」



「あっ、夜斗くんっ」


誰もいないはずの空間だというのに、雪を被った植え込みの間から萌黄色の頭がひょっこり飛び出し、続いて人の好さげな笑顔が現れた。

それを見て双葉は確信を得たりとばかりに鼻を鳴らした。


「やはりな。この空間に踏み込んでから私たち以外の気配が微かに感じられた」


「嘘っ、あたし全然感じられませんでしたよ」


「おいおい。双葉はともかく、れむに見破られたとあれば儂も名折れよ」


「夜斗くん~っ」


夜斗は希州の狗神で、普段はマメシバの姿で彼と組んで行動する事が多い。

人の姿をとる時の外見は十五~六歳くらいの少年の姿をしているが、実際の年齢は数百歳は下らないだろう。だからなのか少々彼の口調は年寄り臭い。

希州ですら正確な年齢はわからないという。


「早速だがここから出たいのだが」


「うむ。儂も希州を探していたのだが、ここにはいないようだ。共に出るか」


「あ、夜斗くんも黒ちゃん探してるの?」


夜斗は軽く頷く。


「うむ。希州がこの金沢の地で姿を消して既に一週間だからの。希州の事だから余計な心配はいらぬとは思うが、そろそろ……」


「えええええええ~っ?」


突然れむが大きな声をあげる。

夜斗は金色の瞳を真ん丸にして驚く。


「ど……どうした。急にそのような大きな声をあげて」


「だって今、夜斗くん、黒ちゃんが姿を消して「一週間」って……」


夜斗は何も疑う事なく頷く。


「如何にも。希州が金沢の地で姿を消して今日で一週間と言った」


「夜斗、それはどういう事だ?我々が知るところだと黒崎さんは今日の朝、東京の美術館で行方不明になっている。それを追う手掛かりとしてここへ来たのだが」


すると夜斗がすぐに考え込むような表情に転じる。


「しかし希州が姿を消したのはここだ。その調査の為に一週間前に二人でここへ来た」


「それはない。私たちは昨日、黒崎さんから助力を求められたのだから。お前の話が正しいとなると、もう私たちに会った時点で黒崎さんは行方不明になっているという事になる。一体私たちが会った黒崎くんは何者だというんだ」


れむも頷く。


「そうですよ。あれが黒ちゃんのそっくりさんだったなんて、どんなドッキリですか」


「ど…どっきり?」


「春日君、余計な事は言わないでくれ……」


しかしややこしい事になった。

希州はずっとここ、金沢で行方不明だったという。

あの時会った希州は一体なんだったというのだろうか。


「ひとまずここを出るぞ。くわしい話は出てからにしよう」


夜斗は硬い表情のまま印を組んで呪詛を祓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る