第3話「芸術の秋に寄せて」
「そういえばもう今年も残り三か月なんですよね…本当に一年って早いですねぇ」
事務所に唯一ある事務用カレンダーを一枚捲り、れむは軽いため息を吐いた。
それを図面作成の合間にちらりと一瞥した双葉はやや大げさに瞳を見開く。
「ほぉ、君にもそういう季節の移り変わりに何かしらの感傷に耽る情緒らしきものがあったという事か」
それを聞いたれむの目が胡乱げに眇められる。
「所長、いつもいつも思いますけど、あたしの事、ただのバカだと思ってません?」
「ん?違うのか」
「所長っ!」
「はははは。本心のような冗談だ」
双葉は軽く笑いながら、デスクの上のカップにお湯を注ぐ。
そして改めて窓の向こうの景色に目を向けた。
確かに今日から十月を迎え、あんなに暑かった日差しも和らぎ、街路樹も次第に濃い緑から黄色へと色を変え始めている。
「まぁ、確かに君の言う事もわかるよ。このところ様々な場所へ現地調査へ赴いては散々な目に遭ってきたからね」
双葉は遠い目をしてしみじみと呟く。
「でもどれも忘れられない素敵な思い出ですよね。所長」
「どこが素敵なんだか……。崩落寸前の旅館で龍神を鎮めたり、沖縄で怨霊に憑かれた井戸に引きずり込まれたり……君も相当な巻き込まれ体質ではないか」
「あれ、そうでしたっけ。でもそれも今となってはとれもいい思い出ですよ~」
呑気なれむの様子に双葉はげんなりと肩を落とす。
「全く……。君と一緒だと気の休まる時がないよ」
「あははは。書類の整理しま~す」
双葉の機嫌の雲行きが怪しくなってきたのを感じて、れむは机の横に重なったダイレクトメールや図面の束に手を伸ばす。
取り合えず何か「やっているフリ」をしていれば真面目に仕事をしているの装える。
しかし双葉にはそのような浅はかな魂胆は通用しないのだが……。
「あれ、そういえば所長。この秋のアートフェスティバル、今週からなんですね」
書類を整理していたれむが突然嬉しそうな声をあげた。
「アートフスティバル?君の口から出るとは凡そ考えられない単語だな。もしかして新しいスイーツか何かの名前なのか?」
双葉の目が胡乱げに眇められた。
「ちょっ、んなわけないですよ。まぁ、あたしもあまり芸術とかは得意じゃないんですけど、これあの超イケメン俳優の大島速人がガイドボイス担当するっていうんで話題になってるんですよ~」
「大島?なんだそれは」
「もう。本当に所長ってこういうのに疎いんですから。大島速人はですね、あの「今更だけど君に」とか「金曜探偵結社」とかで話題独占の超イケメン俳優なんですよ。甘いルックスに色気のあるお声……」
「……ふむ。下らないな。聞いて損をした」
「もぉぉぉぉぉっ、所長」
うっとりと頬を染めて力説するれむを無視して双葉は途中だった仕事に再び向かう。
「ねぇ、所長。行ってみませんか?」
れむはダイレクトメールに同封されていた特別優待券をチラつかせる。
「断る。行くなら君だけで行くといい」
「え~っ、でもこれ所長に宛てられたものですし……」
「別に構わないだろう?私はどうせ破棄するものとしてそこに置いたのだし」
「でもでも…所長とたまには二人で行ってみたいなって」
「……………」
れむは上目遣いで双葉を見上げる。
双葉のペンを持つ手が止まっている。
数分後。
「分かった。では当日は遅刻するなよ」
「やった~っ。速人様ぁ」
「…………ちっ」
こうして二人の芸術の秋は幕を開けた。
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