第四章 はじまりの光、天使の梯子 Ⅳ
――春花。
なあんて、呼びかけてはみたものの、はてさて、困ったね。いざとなると、なにをどう書いたらいいのか、自分でもわからなくなってしまうよ。
だから、やっぱり、あの日のことから書こうと思う。
春花にどう話しかけようか、いったいなにを話そうか、そんなことばかり、ぐるぐると考え続けていたあの日のことから。
こんなこと言っても、春花はなかなか信じてくれないけどさ、二年になって同じクラスになってから、あたいにとって春花は、ずっと気になる女の子だった。
なんで?って言われても、こまっちゃうんだけどね。
いっしょのクラスになってすぐに、“ああ、すごくまっすぐな子がいる”って思ったんだ。
陰で、先生に向かってぺろっと舌を出したり、見えないところでずるをするような、見せかけだけの優等生じゃない。みんながいやがって押しつけあうようなことも、最初から自分の仕事だと思ってるみたいに、ひとりで黙々とやってる。
たぶん、自分が根っからのひねくれものだから、春花のそういうとこに惹かたんだと思う。
でも、あたい的には、片想いで満足しちゃってるところがあった。
しょうがないだろ? 二年にもなると、女子は最初からグループができちまってるし、春花とあたいが友だちづきあいしてるところなんて、自分でも、ぜんぜん想像つかなかったんだから。……って、まあ、言いわけくさいね。
怒らないでほしいんだけどさ、あのころ、あたいの中の春花のイメージは、いつもラーフルをバカていねいに掃除してる女の子、だったんだ。だから、ひそかにつけた呼び名は「ラーフル春花」。今、二十数年ぶりに明かされる事実だね。
だって、ほら、黒板をきれいにして、その分、自分が粉だらけになるラーフルってさ、なんか春花っぽいじゃん(ごめん、今考えた)。
春花との最初の接近遭遇、今でもしっかり覚えてるよ。
二学期になって、みんなが久々に顔をあわせて……夏休み明けって、たいがいの生徒は、やたらとハイになってるか、どんより沈んでるかのどっちかなんだけど(ときどき、休み前とは別人のようになってる子もいる)、春花は、一学期とまるで変わってないし、テンションもいつもどおりだし、かえってそれが、おかしかったな。
始業式が済んで、かといって、さっさと家に帰る気も起こらず、あたいと何人かの仲間は、教室の隅で机を囲んで、“とうとう夏休みも終わっちゃったし、なにか楽しいことないかな”なんて、ふぬけた会話をしてた。
だれかが、今一番ほしいものってなに?みたいなことを言いだして、てんでに「時間」だの「お金」だの「身長」だのといい加減な返事をしてた。しかたないんで、あたいも「そうじゃね……福耳の子ども、じゃろかい」なんて、気のない答えを返した。われながら、バカなことを口走ったもんだ、って思う。
なにそれ、あんた、子ども好きだったっけ?と、みんなが笑い、あたいも、実はそうなんじゃあ、とかなんとか、適当にその場をごまかした。
そのときだよ。あたいたちの後ろを通りかかる春花に気づいたのは。
あんたは、一瞬足をとめ、こっちを見た。
その口もとが「きんしょう」と動くのが、あたいには、確かにわかった。
「え?」と思う間もなく、あたいと視線がぶつかったあんたは、そそくさと早足で、黒板のほうにいっちまった。
よく見ると、その手には、ちゃんとラーフルが握られてた。
まさにセイテンのテキレキだよ。同じクラスに、筋肉少女帯の話題が通じる子がいるなんて。それが、春花だなんて。
そのとき、あたいは、“さあ、どうする、美鈴。これでもう、あの子に話しかけるしかなくなったぞ”と、ひそかに心を決めたのさ。
だけど、なかなかそのタイミングってのがはかれない。いつも同じ教室にいるってのは、便利なようでいて、実はそうでもない、ってことがわかったよ。
でも、このときの神様は、案外あたいに親切だった。
何日かあとの放課後、ずっとほったらかしにしてた夏休みの宿題を職員室に届けたあたいは、担任の辛島先生からありがたいお小言をいただき、ほうほうの体で夕暮れの教室へもどった。
あたいは、あ、と声をあげた。
窓際に近い席で、ぽつんとひとり、本を読んでいる女の子がいた。
光と影の中で、白い夏服のセーラーが、半分だけ茜色に染まってた。
少し驚いた顔で振りむいた女の子に、「奇遇じゃね」と声をかけると、その女の子も「うん、奇遇」と答えた。……今思い出しても、間の抜けた会話だったね、春花。
「あんたさ、筋少、好きなんけ?」
どんな話から切りだしたらいいのか、あれこれ考えていたことをぜんぶ吹っとばして、あたいは、いきなりストレートにたずねていた。
春花は、「うん」とうなずいた。「まだ、初心者だけど」
初心者っていう言葉が、まんま初々しくて、あたいの中の春花への好感度が、またググッと目盛りをあげた。
「夏休みの夜、勉強してたらね、ラジオから、変な歌が聴こえてきたの。“ど~くろ~の~の~ずいぃ~”って」
うお、出会いがそれか、って思ったよ。
「歌詞はほとんど聴きとれないし、意味もよくわかんないんだけど、もうそのフレーズが頭の中をぐるぐるまわっちゃって、耳から離れなくなっちゃったんだ」
わかる、わかるぜ、その気持ち――あたいは、心の中で激しく同意した。
「それで、次の日、町のレコードショップをまわって、アルバムをさがしちゃった。でも、やっと見つけたアルバムをレジに持っていくとき、けっこうドキドキしたよ。だって、おばあちゃんの集合写真みたいなジャケットなんだもん」
ああ、『仏陀L』か……。
うん、確かにあれは、まじめな女子高生が買うには、相当に勇気のいるジャケットだよな。
「あたいが最初に聴いたのはさ、『高木ブー伝説』。いきなりインパクトだけで持っていかれた」
「それ、まだ聴いたことない」
「レコードももう売ってないし、放送禁止状態らしいからね。でも、ジャケットは、けっこうかっこいいよ」
「持ってるの!?」
「まあね。あ、そうじゃ。明日持ってくるよ。そのまま、あんたにあげる」
あたいの言葉に一瞬目を輝かせたあと、春花は「でも、大事なレコードなんでしょ?」とたずねたね。
あたいは、「いいんじゃ。もう耳タコになってるから」と、お気楽に笑って答えた。
ほんとのところ、あたいは、春花に言った「明日」っていう言葉、ただその一言が、うれしくてしかたなかったんだ。
ふたりを最初につないだのが筋少で、しかも『高木ブー伝説』って、考えてみるとけっこうすごいよな。オーケンは、今でもあたいにとって神様仏様だよ。
それから、春花は、急に立ちあがって「そうだ! じゃあ、この本あげる!」と、机の上の本を手にとった。星をちりばめた青い表紙に『銀河鉄道の夜』という文字があった。
あんたは、一生懸命考えるようにして、こう言ったね。
「アルバムを初めて通しで聴いたとき、頭にふっと宮澤賢治が思い浮かんだんだ。なんでかはうまく言えないし、そんなこと思うの、たぶん、日本中でわたしだけって気もするけど……」
今なら、春花が言おうとしたことがわかる。悲痛な祈りのかたまりになって、歯ぎしりしながら春の野をいく修羅の人・賢治は、筋肉少女帯の世界と、どこかで結びあっている。
そのときのあたいには、まだ、そんなことはわからなかった。けど、差しだされたその古い本が、あんたにとって、とても大切なものだというこということだけは、ちゃんとわかった。
「それこそ、あんたの大事な本なんじゃろ?」
「いいの、なんども読んでる本だから」
そう言って、あたいに本を手わたすと、春花は、カバンをかかえて、やっぱりそそくさと教室を出ていったね。
『銀河鉄道の夜』が、宮澤賢治の有名な童話だってことくらいは、あたいだって知ってた。でも、逆に言えば、ほんとにそれだけの知識だ。
童話っていうのが、まず、あたいの柄じゃないだろ? それに、宮澤賢治っていうと、あの「雨ニモマケズ」っていう詩を真っ先に頭に浮かべちまって、テゲテゲでずんだれのあたいとは、ちがう世界に住んでる立派な人だと思ってたから、興味も関心もなかったんだ。
だけど、春花に「あげる」と言われた本だからね。家に帰ってから、すぐに読みはじめた。
たぶん、こんなにまじめに本を読んだのは、小学校の読書感想文の宿題のとき以来かも、っていうくらい、真剣に読んだよ。
でも、ちゃんと読まなきゃ、みたいな力みは、すぐにどっかへに飛んでった。
いつの間にかあたいは、われを忘れて、魔法みたいな言葉の宇宙に惹きこまれてた。
途中から、“ああ、そうか、このお話は、一つひとつの言葉と自分の心を、響きあわせるようにして、ゆっくり読まないといけないんだ”と気づいた。
なんで春花は、この本をあたいにくれたんだろ?――なんて考える必要は、もうなかったよ。
春花が、この本から受けとったにちがいない、たくさんの言葉、たくさんの想いを、あたいもちゃんと受けとったから。
春花がこの本をどれだけ大切にしてきたのかも、すぐにわかったよ。
本には、ところどころ、たとえば「天気輪」という言葉の脇に「なんだろ? きれいなことば」とか、「カムパネルラはやさしいからすき」とか、かわいい子どもの文字で書きこみがあったから。
あたいは、登場人物のだれよりも、カムパネルラという少年に惹かれていった。春花の書きこみのせいじゃない、って一応は、言っときたいけどね。
それからあたいは、柄にもなく、家にあった百科事典を引っ張りだして、カムパネルラという言葉が、イタリア語で“鐘”とか“鈴”という意味だってことを知った。
そのときから、カムパネルラという名前は、ほんとうに特別なものになった。かけがえのない、あたいの一部になったんだ。
イタリアって国が、あたいにとって特等席の国になったのも、そのときからさ。
なんというか、実に単純だよね。『銀河鉄道の夜』には、舞台がイタリアなんて、一言も書いてないのにさ。あたいの中でイタリアは、カムパネルラとジョバンニの国になっちまったんだ。
次の日、あたいは、一世一代の決意でもって、早起きをした。
春花にレコードを渡すのは、ふたりきりのときにしたかった。だからって、放課後まで悶々としてるのはいやだ。春花はきっと、朝早く学校にくる。いつも遅刻ぎりぎりに登校してるあたいが、そんなこと知ってるわけないけど、勝手にそう決めて、ふだんより四十分も早く家を出た。
そのとき、思ったよ。あたいって、やればできる子じゃん、って。
教室に入ったら、春花は、ちゃんと先にきてて、教壇を拭いたりとかしてた。やっぱりというか、春花は、あたい以上にできる子だった。
顔をあげた春花と視線がぶつかった拍子に、あたいは「よう、虫めがねくん、おはよう」と声をかけていた。
一瞬ぽかんとしたあんたは、すぐに笑顔になって、「おはよう」と返事をくれたね。
あとはもう、よけいなことを言う必要はなかった。あたいと春花は友だちになったんだ、ってことが、その瞬間わかったから。
それから――「春花」「美鈴」と呼びあうようになったあたいたちを、最初はみんな、不思議そうな目で見てたよな。そりゃあ、そうさ。どう考えても、クラスの中で一番かけ離れてるふたりが、いつの間にか友だちになってたんだからね。
でも、あたいたちが、学年公認の“いいコンビ”になるのにも、そんなに時間はいらなかった。羽目をはずしては、春花にお目玉を食らうあたいと、あたいに振りまわされてるようで、しっかり手綱は締めてる春花と――考えてみたら、二十年、ずうっとそのポジションできちまったね。
今さらながらの言いわけだけど、一応はさ、あたいだって反省くらいするんだ、そのときはね。でも、その反省は、すぐにどっかに飛んでいっちまう。
しょうがないだろ? 自分が一番ほっとできる場所を見つけちまったんだから。
あのころのあたいは、春花が本気でしかってくれるから、安心してバカをやってたんだ。春花に怒られてるとき、よくあきれられたよな。「なんでそんなに楽しそうにしてるのよ!」って。
午後の授業をさぼって、無理やりむじゃきに誘ったこと、今でも反省してるよ。
まあ、「今日も暑いよお」と最初にぼやいたのは、あんただったけどね。
そこから「鹿児島に住んどって、そういう文句言うか?」「だって暑いんだもん。桜島は煙吐いてるし」「いや、それは関係ないじゃろ」「じゃあ聞くけど、今思いっきりシロクマ食べたたくない?」「……食べたい」「でしょでしょ?」「うーん……よし! じゃあ、今から食べにいこう!」みたいな流れになって、「ええ!? 学校は?」とびっくりする春香を「言い出しっぺがなに言ってんだか。そんなのサボリに決まってるじゃろ!」と強引に連れだしちまった。
そのときは軽いノリだったけど、うちの学校の生徒が、昼過ぎに、制服のまま天文館通りをうろうろしてたら、そりゃ、電話の二本や三本は学校にいくよな。
次の日、職員室に呼びだされて、辛島先生の前に春花と並んで立たされたとき、あたいは初めて“どうしよう。春花をほんとの不良にしちまった”って青くなった。
あのときのことを思い出すと、今でも冷や汗が出てくるよ。春花を守らなきゃ――とにかく、その一心だった。自分でも、よくあんなことが言えたな、と思うけど、それよりも、春花の度胸のほうにびっくりしちまったよ。
でもさ、あたいが一番覚えてるのは、そのことじゃない。職員室を出たあと、春花があたいに向かって最初に言った一言、ちゃんと覚えてるかい?
「いつか、子どもに自慢する話ができちゃった」って、そう言ったんだ。
あの場でそんな発想をする女子高生は、日本広しといえども、春花くらいしかいないんじゃないかと思ったよ。あたいは、廊下の真ん中で大爆笑さ。せめて教室にもどるまでは、しおらしい態度でいようと思ってたのに、その決意は、はかなくも数十秒の命でご愁傷様だよ。
あんたは、「そんなに笑うことないのに」って、むくれたけど、あたいはあのとき、心から思ってたんだよ。この子と友だちになれてよかった、ってね。
そうそう、まじめすぎておもしろい春花の性格は、あんたのひとり娘にちゃんと受け継がれてるから、安心していいよ。
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