第三章 花はどこへいった Ⅶ


 そこに描かれているのは、帽子をかぶり、ゆたかな髭をたくわえた男の人。柔和そうな笑顔でこちらを見ている。

「あの人が、アカシヤと関係あるの?」

 その問いには答えず、ミュウは、振りむいた顔を紫藤さんへと向けた。

「紫藤さん、この人は、ガリバルディですね」

 紫藤さんが、ちょっと驚いた顔になった。

「あら、よく知ってるわね。そうよ。リソルジメントの英雄、ジュゼッペ・ガリバルディ」

「リソルジメント?」

 首をかしげるわたしに、ミュウは、今度はちゃんと答えてくれた。

「イタリア統一運動のことだよ。ガリバルディは、千人隊と呼ばれる義勇軍を率いて、ゲリラ的な軍事行動を指揮した。いわば、民衆の先頭に立って戦いを鼓舞し続けた人だ。だから、今でも彼は、イタリアの国民的ヒーローなんだ」

 うなずきながら、紫藤さんが話を継ぐ。

「百科事典的な解説は、そういうこと。一応、個人的な話をさせてもらうわね。あの絵はね、この店をオープンするとき、アンティーク・ショップをまわっていて見つけたの。まさかの、おじいさんへの一目ぼれよ。それ以来の長いつきあい。まあ、この店のもうひとりの主(あるじ)というか、守り本尊みたいなものね」

 そんなに大切な絵なんだ……。あらためて、その絵を見つめる。

 ガリバルディ――優しくて、大きくて、とても強い人。そんな感じが、この小さな絵からも伝わってくる。

「ああ、肝心なことを言い忘れてた」

 ふたたびミュウの声がして、わたしは振りむいた。

「もうひとつ、百科事典的な解説をしておくよ。彼が率いていた義勇軍は、身につけていた服の色から、『赤シャツ隊』とも呼ばれてる。もちろん、この絵のガリバルディが着ているのも、その赤シャツだよ。ペン画だから、わからないけどね」

「赤シャツ……え!?」

 おどろいて、ミュウを見つめるわたし。

「じゃあ……もしかして、美鈴さんが……」

 美鈴さんが、言おうとしたのは……

「“アカシヤ”じゃなくて……“赤シャツ”……」

「それは、この絵を実際に確かめてみればわかるよ」

 そう言って、ミュウは、つかつかと絵に近づいた。

「この絵の裏を確認させてもらっていいですか」

 ミュウがたずねると、紫藤さんは、気軽にうなずいた。

「ええ、どうぞ。フックにかけているだけだから、簡単にはずせるわ」

 その言葉に軽くうなずき、ミュウは、絵の額に両手をかけた。そのまま、ゆっくりと額を持ちあげ、裏をのぞきこむ。

「どう?」

 たまらず、そうたずねたわたしに、ミュウは、「きみも、見てごらん」と言った。

 急に胸がドキドキしてくる。ここまできても、やっぱりわたしは小心だ。

 ミュウが見ているのとは反対側から、恐るおそる絵の裏をのぞく。

 そのまま黙ってしまったわたしに、今度は、紫藤さんが声をかけた。

「どうしたの? なにかあったの?」

 わたしは、声を振りしぼるように、やっと一言、「はい」と答えた。


 それは、白い封筒だった。額の裏に、ぺたりと貼りつけられている。

「麻痺呪文でも受けたみたいにいつまでもかたまってないで、そろそろ、その封筒をはがしてくれないかな。なにしろぼくは今、このとおり両手を使えないんだ」

 ミュウの言葉で、わたしは、はじかれたように「あ、うん」とうなずき、封筒に手を伸ばした。

 テープで軽くとめただけの封筒は、簡単に額からはずすことができた。

 すぐに表(おもて)を確かめる。そこには、美鈴さんのしっかりした文字で「アリ子へ」と書かれていた。

 まちがいない。美鈴さんが、わたしに伝えようとしたものが、この中にある。

「クチーナ紫藤の赤シャツ――それが、美鈴さんがわたしに伝えようとした、ほんとうの言葉だったんだね……」

 絵をもとの位置にもどしながら、ミュウが、ニコリとうなずく。

「そう、美鈴さんはきみに“クチーナ紫藤にいって、赤シャツをさがしてごらん”と言いたかったんだ。でも、言葉が途切れとぎれになってしまったうえに、最後まで言いきれなかったせいで、その伝言は“クチナシとアカシヤ”という、暗号めいたメッセージになってしまった。もし、きちんと“クチーナ紫藤の赤シャツ”という言葉が伝わっていたら、とっさには意味がわからなくても、それを調べることは、きみにも充分可能だったはずだ」

「うん……なんとかなったと思う」

「なんども言うけど……きみが頭をかかえこんでしまうような伝言を、美鈴さんが残すはずはない。この考えが、常に出発点なんだよ。とにかく、そこをぶれないようにする。それが、一番肝心なことなんだ」

 そのぶれない、っていうところがすごいんだよ、ミュウは。わたしなんて、もう、ずっとぶれっぱなしだもん。

「それにしても、驚いたわ」

 ずっとわたしたちを見守っていた紫藤さんが、感嘆の声を漏らした。

「彼女、いつの間にこんなしかけをしたんだろう……」

 紫藤さんは、首をひねったあと、手のひらに、ポン、とこぶしを打ちつけた。

「ああ、そうか。彼女もその絵がお気に入りだったから、一番絵に近い壁際のテーブルをいつも指定席みたいにしてたんだわ」

「店が一番忙しく、雑然としている時間なら、だれの目にもとまることなく、絵の裏に封筒を貼りつけることもできた、ということですね」

 ミュウの言葉に、紫藤さんが「ええ、たぶん」と、うなずく。

「まったく、とんでもないお客様だわ」

 それから、なにかをふと思い出したように、紫藤さんが言った。

「ねえ、美鈴さんって、もしかして鹿児島の人?」

 わたしは、驚きのあまり、紫藤さんの顔をまじまじと見つめた。

 もしや、ここにも名探偵がひとり?

「どうして、わかったんですか?」

「あら、当たりだったのね」

 紫藤さんが、うれしそうに、うふふと笑う。

「でも、そんなにびっくりしないで。そうじゃないかな、と思ってただけ。彼女に、一度こんな話をしたことがあるの。“ところで、西郷隆盛が、日本のガリバルディって言われてるの、ご存知ですか”ってね。そうしたら、彼女、すっごくうれしそうに“もちろん!”って答えたのよ。そのときにね、あ、もしかしたら、って」

 そうか、そんなことが……。

「確か、岡倉天心が、そういうことを書き残してたはずですね」

 岡倉天心? だれだっけ、それ。聞いたことはあるけど、思い出せない。とってもえらい絵の先生だったような……。

「へえ……ほんとによく知ってるのね。ねえ、あなた、いったいいくつなの?」

 ついにきかれてしまった。ミュウは、少しむっとして「十六歳です」と答える。

「ふうん……イマドキの十六歳ってすごいのね」

 いえ、この子は、イマドキの十六歳の標準じゃありませんから! 

 そう言いたい気持ちをおさえ、ぜんぜんすごくない十六歳であるわたしは、彼女の横でひたすら縮こまっていた。

 ふと、“だけど、標準ってなんだろう”と考えてしまう。

 わたしは、「標準的」な人間である自分に満足してきた。その価値観というか尺度からすれば、確かにミュウは「標準的」じゃないかもしれない。

 でも、わたしは、ミュウに惹かれ続けている。それは、なぜだろう。ちょっと変わった女の子だから? 頭が良くて物知りだから? わたしにないものを持っているから? 

 わからなかった。わたしは、まだミュウのことをなにも知らない。それでも、この二日間、彼女といっしょに過ごしただけで、わかることだってある。

 それは、ミュウが、わたしと同じ、十六歳の女の子だということだ。標準的とか、そうじゃないとか、そんな物指しではかったんじゃない。わたしが好きなのは、わたしの心が触れた、今目の前にいるそのままの女の子、十六歳のミュウだ。

 ミュウが、不意にこちらを向いて、わたしは、ほんの少しあせった。

「さて、それで、きみはその封筒をどうする気だい? そのまま、後生大事にしまいこんで満足しよう、ってわけじゃないだろう?」

 そう言われたとたん、静かにおさまっていた胸が、またドキドキしはじめる。

「も、もちろんだよ」

 いったん封筒をテーブルに置き、胸に手を当てて深呼吸する。それでも、いざ封筒を手にとると、ドキドキがぶりかえして、その音がどんどん大きくなっていく。

 ここはもう、目をつぶってジャンプするっきゃない――そんな心境だ。

「決めた。今ここで、封筒を開けて中を見る」

 わたしは、三角になった封筒のフラップに指を差し入れた。先端を軽く糊どめされていただけのフラップは、ぴりっという軽い音を立てて、簡単に開いた。

 中にあったのは、三つ折りになった青い便箋。

 それを取りだして広げる指が、小刻みに震えてしまう。しずまれ、といくら言い聞かせても、心臓の鼓動は、どんどん激しくなるばかりだ。

 え――? 

 快晴の空のように真っ青な便箋を見つめたまま、わたしは、その場に呆然と立ちつくした。

「あれ? また石みたいにかたまってるね。まさか、ゴルゴンの首の絵とか描いてあったわけじゃないよね?」

 ミュウが、首をかしげ、こちらをのぞきこむ。

 確かに、それに近い衝撃だったかもしれない。わたしは、言葉を失ったまま、便箋をミュウに手わたした。とたんに、ミュウの目が大きく見開かれるのがわかった。

「ははは……これは、これは」

「笑いごとじゃないわ」

 便箋の真ん中に、ぽつん、と書かれていたのは、たった一行のメッセージ。

“家に帰ったら、わたしの名前を見つけてごらん”

「なによ……これ」

「ウォークラリーみたいだな」ミュウが、楽しそうにくすくす笑う。「チェストおねえさんは、やっぱりおもしろい人だ」

「おもしろいとか、そういう問題じゃないわよ。わたしたち、これからどうすればいいの?」

 ここにくれば、すべてがわかる。そう思ってたのに……。

 ちょっとこれ、ひどいくない? 美鈴さん。

「もちろん、言われたとおり、きみの家に帰ればいい。わかりきっていたことさ。青い鳥は、いつもそこにいる。万古不易(ばんこふえき)の教えだよ」

 このくらい、完全に想定のうちだ、と言わんばかりにミュウが答える。

 どうやら、この展開をしっかり楽しんでるみたいだ。なんでこの子は、いつもこんなに悠々としていられるんだろう。

 もしや、“ミュウ”は、ミュウタントの“ミュウ”なのでは。

 いやいや、ミュウって、わたしが勝手につけたニックネームだし。

 それとも、かわいい高校生のフリをしてるけど、実は、何百年も生きてるおばあさんだったりとか……前にチイカから、そんな話を聞いたような。

 なんだっけ……そうそう、八百なんとか……確か、知らずに人魚の肉を食べちゃって…………ああ、こんなときに、なんてバカっぽい妄想してるんだろ、わたし。

「だけど……わたしの名前を見つけてごらん、って言われても、なにをどうすればいいのか、ぜんぜんわかんないよ」

「そうでもないよ」

 またしても、ミュウは、あっさりと言いきった。

「深雪にはもう、美鈴さんのメッセージの意味がわかってるってこと?」

「確信の前段階、ってところかな。きみの家にいけば、それを確信に帰られると思う」

確信の前段階……いくらなんでも、かっこよすぎだよ。見た目、中学生な女の子が言うセリフじゃないです。もしや、やっぱり、ミュウは……(以下、略)

「ねえ、それって……」

「シンキング・タイムは、とりあえず終了、ってこと。ほんとうの答えは、いつだって行動のあとについてくるものさ」

 ああ、なんだかもう、一生きみについていきます、って言いたくなっちゃうよ、ミュウ。

「じゃあ、いこうか」

「え? いくって?」

「おいおい、しっかりしてほしいな。きみの家に決まってるじゃないか」

「あ……うん、そうだよね」

 ほんとに、もう少ししっかりしてほしいぞ、本多小羽子。

「とにかく、いこう。善は急げ、だ」

 ミュウは、そう言って、テーブルに置いてあった帽子を手にとった。

「ちょっと待って! 大切なことがあるでしょう!」

 さっさと出口に向かおうとするミュウを、わたしは、あわてて引きとめる。そして、紫藤さんに向かって、深く頭をさげた。

「いろいろ、ありがとうございました。それと、大事な準備の時間に押しかけて、勝手なお願いをして、ほんとにほんとに、すみませんでした。……ほら! ミュウもちゃんとお礼を言って」

 ミュウは、入ってきたときと同じように、ペコリとお辞儀した。

「若輩者のぶしつけな依頼に快くご協力いただき、感謝しています」

「どういたしまして。今日は、このあと貸し切りだから、料理の下準備は、もうほとんどできてるのよ。だから、気にしないで」

 紫藤さんが、優しくほほえむ。わたしは、ますます恐縮して、もう一度頭をさげた。

「ほんとうに、ありがとうございました」

「じゃあ、気をつけて帰って……と言いたいところだけど、実はまだ、わたしのほうの用事は、済んでないの」

 え? なんのことかわからず、きょとんとしてしまうわたし。

「ここは、仮にもレストランなのよね。しかも、ありがたいことに、たくさんの方から、おいしいお店という評判をいただいてるわ。せっかくここまできてくれたかわいいお客様を、なんのおもてなしもしないまま帰しちゃうなんて、そんなことができると思う?」

「でも、わたしたち、これ以上のご迷惑は……」

「お客様をもてなすのが迷惑なんて、そんな料理店があるわけないでしょう。時間は、さっき言ったとおりだいじょうぶなの。それとも、あなたたちには、二、三十分の時間の余裕もない?」

「いえ、そんなことはないですけど……」

 結局、こういうとき、わたしは、しどろもどろになってしまう。

「そちらのちっちゃな探偵さんはどう?」

“ちっちゃな探偵さん”と呼ばれたミュウは、またまたむっとして、頬をふくらませた。ミュウって、常に冷静なようだけど、こういうところは、かなりわかりやすい(そこが、すごくかわいかったりするのだ)。

「天坂深雪です」

「あら、ごめんなさい。で、深雪さんはどうなの?」

「別に、その程度の時間にこだわってはいません」

「だったらもう、ノープロブレム。なんの問題もないってことでいいわね」

「ですが……その……」

「なにを、もごもご言ってるの? それとも、美咲ノ杜高には、休日に生徒同士で外食をしてはならない、なんて、そんなつまらない校則があったかしら」

「いえ……ありません」

「でしょう。自主創造こそ、美咲ノ杜の校訓。それに、放課後や休日に生徒だけで喫茶店に入るべからず、とか、その手のカンブリア紀の化石みたいな校則は、わたしたちの時代に、ぜんぶ廃止したんだからね」

「はあ……でも………………え!?」

 ぽかんと口をあけたわたしに向かって、紫藤さんは、軽くウィンクをした。

「わかった? つまり、先輩の言うことはちゃんと聞きなさい、っていうこと」

 わたしは、ミュウに“どうしよう”という視線を送った。ミュウは、肩をすくめ、少しおどけたように“まあ、いいんじゃない?”という表情をわたしに返した。

「それに、これは、約束なの」

「約束?」

「そう、彼女……美鈴さんが、ちゃんと約束を守ってくれたから」

 美鈴さんが、約束を守ってくれた? どういうことなのだろう。

「彼女、言ってたのよ。マブダチづきあいしてる、とってもかわいい女の子がいる。その子を、いつかここにつれてきたい、って。だから、わたし、彼女と約束したの。“必ず、その女の子をこの店につれてきてくださいね。そのときは、とびっきりのサービスをしますから”って」

 紫藤さんがふっと目を細めた。

「あなたが、そのマブダチさんだったのね」

「あ……」

 わたしは、ようやく理解した。美鈴さんが、わたしをこの店へと導いた、もうひとつの、いや、ほんとうの理由を。

 すっと右手を胸にあて、紫藤さんが頭をさげる。

「あらためて、クッチーナ紫藤にようこそいらっしゃいました」

 ゆっくり頭をあげる紫藤さん。そこには、本当にうれしそうな笑顔。

「ありがとう、この店にきてくれて」

「わたしこそ……」

 あ……いけない。紫藤さんのほほえむ顔が、急にぼやけてきた。ここは、もっと冷静にならなきゃ。

「紫藤さんのお心遣い、ほんとにうれしいです。でも、もうその気持ちだけで……」

「まだ、そんなこと言ってる。もしかして、お金のこととか気にしてるの? 言ったでしょ? わたしは、美鈴さんとあなたたちへの感謝のおもてなしをしたいの。子どもは、こういう場合、大人に対してよけいな気遣いなんてしないものよ」

 こんなとき、やっぱり子どもは、損だ。どんなに大人ぶって背伸びをしても、大人たちに子どもあつかいされてしまったら、もうその時点で反論のすべがない。

「それにね」と、紫藤さんは話を続けた。「何万円もするような、コース料理を召しあがれ、って言ってるわけじゃないのよ。あなたたちに食べてほしいのは、クチーナ紫藤自慢のドルチェなの」

「ドルチェ?」

「お菓子のことだよ」

 ミュウが、わたしの耳もとでささやいた。

「あ、ティラミスとか、パンナコッタとか……」

 紫藤さんが、いたずらっぽく笑う。

「ちなみに、今日お客様方に召しあがっていただきたいドルチェは、そのようなものとは、いささか趣がちがっておりまして、名前は、オルソ・ビアンコと申します」

「オルソ……ビアンコ?」

 ミュウを見ると、彼女は、両手を左右に開き、肩をすくめた。

「ぼくも、本物は見たことがないんだ」

 本物? それって、どういう意味だろう?

「少しの間、テーブルでお待ちください」

 そう言い残すと、紫藤さんは、あっという間に厨房へさがった。

 あとはもう、紫藤さんの心遣いをきちんと受けとめよう――そう心に決めて、わたしは、美鈴さんの指定席だったというテーブルについた。

 もっとも、ミュウは、最初からその気だったみたいだ。わたしの向かいの席につくと、マカロンやアイスクリームは、カトリーヌ・ド・メディシスという人がフランス王家に輿入れしたとき、イタリアからフランスに伝わったと言われてるんだとか、すごく楽しそうにお菓子の薀蓄を話しはじめた。

 ガリバルディに見守られながら、待つこと数分。ミュウの話が“果たして揚げせんべいは、ドルチェになりうるのか”という論議に入ったとき、「お待たせしました」という声がして、紫藤さんが、トレイに載せた器を運んできた。

「オルソ・ビアンコでございます」

 わたしは、思わず「わあ!」と歓声をあげた。

 現れたのは、きれいなガラスの器に、山のように盛られた練乳がけのかき氷。その表面は、色とりどりのフルーツで彩られ、山頂の部分には、小豆あんがドンと盛りつけられている。

「これって……もしかして……」

 わたしの言葉を、ミュウが継いだ。

「オルソ・ビアンコ――つまり、シロクマさ」

「さっきは内緒にしちゃったけど、美鈴さんを、鹿児島の人なのかな、と思ったもうひとつの理由がこれなの」

 紫藤さんが、打ち明けるように言った。

「おねえさん……美鈴さんが、この店に顔を見せなくなる前、彼女、料理のあとのジェラートの代わりに、どうしてもこういうものが食べたいってオーダーしたの。そのときは、美鈴さんが説明するままに、間にあわせの材料で作っただけだったけど、彼女、おいしい、おいしいって喜んで食べてくれた」

「そうだったんですか……」

「あとで調べて、自分が作ったものが、鹿児島名物の“シロクマ”らしい、ってことがわかった。だから、よし、次は、クチーナ紫藤オリジナルの“シロクマ”で彼女をびっくりさせてあげよう――そう心に決めていたのよ。でも、彼女は、そのまま、この店を訪れなくなってしまった……」

 ジャングルジムで、おいしそうにシロクマアイスをぱくついていた美鈴さんの記憶がよみがえる。

「今思えば、あのわがままオーダーが、美鈴さんの、この店へのあいさつだったのね」

 紫藤さんは、腰に両手を当て、ふっと表情をゆるめた。

「というわけで、これは、クチーナ紫藤、満を持しての一品なの。バナナ、キウイ、パパイヤ、マンゴー、パイン、スターフルーツ――南国の果物をふんだんに使ったトロピカル・スペシャル。ポイントは、練乳とライチ、ふたつのソースよ。本格的な夏の訪れを前に、さわやかな常夏気分をご満喫ください」

 そういえば、あのときも、結局わたし、シロクマアイスを食べなかった。

 美鈴さんが「冷凍庫に入れた」と言った、わたしの分のはずのシロクマも、あとで冷凍庫をのぞいたときにはもうなかった。

 ……ということは、これが、わたしにとっての人生初シロクマ。

 おずおずと手もとのスプーンをとり、ソースたっぷりのアイスをすくう。うわあ、このかき氷、ふわふわだ。まるで綿雪みたい……。

「さあ、召しあがれ」

「いただきます」

 ぱくり、と最初のひと口。綿雪が、喉もとで涼やかにとけていく。

「どうかしら?」

「おいしい……おいしいです! ね? すっごくおいしいよね!」

 わたしは、ミュウを見た。いつの間にかミュウは、せっせとスプーンを口に運んでいる。

「実に、美味です」

 わたしも、ミュウに負けじとスプーンを動かす。

「おいしすぎて、食べちゃうのがもったいない……。でも、スプーンが止まらない。ああん、どうしよう」

「これは、新たなシロクマ効果の発見かもしれない」

 ものすごくまじめな顔をしてミュウが言った。おお、なるほど!と素直に納得してしまうわたし。

「わたし、こんなおいしいかき氷食べたことありません!」

 あ、とわたしは口をおさえた。

「オルソ・ビアンコ……ですよね」

 紫藤さんが「いいのよ、かき氷で」と、軽く首を振った。「お客様においしい、って言ってもらえたら、それがわたしたちにとって、なににも変えがたい最高の喜びなんだから」

「でも、ほんとおいしいです。なんだか、幸せな気持ちになります」

「その一言が聞きたかったの」

「はい?」

 紫藤さんが、ふふ、と笑った。

「おいしいものは、人を幸せにする。これが、当店のゆるがぬモットーです」

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