第三章 花はどこへいった Ⅱ
「クチナシとアカシヤ……花はどこへいった、か」
椅子の背を、ぎし、と鳴らして、ミュウが天井を仰いだ。
「花はどこへいった……なんだか、ちょっと詩人っぽいね」
「古い歌のタイトルさ。詩歌の才なんて、ぼくには、ひとかけらもないよ」
「ああ、そうなんだ……」
もしかしたら、ミュウって実はけっこうロマンチストなんじゃないかな、とひそかに思う。
「きみは、ずっとこの言葉の意味を考えてきたんだね」
「うん」
そう――あの日から、この言葉が、わたしの脳裏から完全に離れることはなかったと思う。
「じゃあ、きみの頭にこびりついてしまったイメージ、言ってみれば、きみの思いこみを吹きはらうところからはじめようか」
「思いこみって?」
「美鈴さんは、ほんとうに“クチナシとアカシヤ”と言ったのか、ということさ」
「ああ……そうか」
わたしは、考えこんだ。あのとき美鈴さんは、とても苦しそうで、それでも必死になにかを告げようとしていた。 “クチナシとアカシヤ”というのは、途切れとぎれになってしまったその言葉を、わたしが耳でそう聞きとった(思いこんだ)というだけだ。
「じゃあ、美鈴さんが言ったのは、ぜんぜんちがう言葉だった、ってこと?」
「そういう視点も、もってなきゃいけない、ってことだよ。クチナシにしても、アカシヤにしても、そもそも、それが花の名前だとはかぎらない」
花の名前じゃない可能性……そんなこと、これまで考えもしなかった。
「というわけで、まずは頭の柔軟体操だ」
「頭の体操? どうするの?」
「たとえば、逆立ちだよ」
「逆立ち!?」
「別に、ここできみに逆立ちをしろ、と言ってるわけじゃない。あくまで言葉の世界のことさ」
なあんだ……わたしは、ほっと胸をなでおろした。やれ、といわれても、わたしには逆立ちなんてできないし……。
「それって……あ、言葉を逆から読むっていうこと?」
「そのとおり」と、ミュウがうなずく。
たとえば、クチナシを逆さから読むと……え?
「シナチク!?」
「驚いてるね。上下を逆にして見ると、まったくちがう絵が現れる、そういうだまし絵があるけど、これはいわば、言葉によるだまし絵だ」
言葉のだまし絵……か。いきなり、目からウロコだ。
「次は、シャッフル。言葉を一度ばらばらにして、組みなおすんだよ。アナグラム、というんだけどね。ためしに、アカシヤ、という言葉を分解して並べかえてごらん」
アカシヤ……ヤシカア……アシヤカ……。
頭の中で、パズルを組むように、よっつの文字を並べかえてみる。
「……あやかし?」
「うん、なかなかいいね」
ミュウが、指でオーケーサインをつくった。
シナチクとあやかし……。なんなの、それ。「クチナシとアカシヤ」から、もっと意味不明になっちゃった気がするけど……。
「そんなに真剣に考えなくたっていいよ」
考えこむわたしの顔を見て、ミュウが笑った。
「最初に、頭の柔軟体操って言ったのを覚えてるかい? これは、いわば、頭をほぐすためのウォーミングアップ。クチナシもあやかしも、とりあえず忘れていいよ」
「あ、そうなのか」
実際、わたしが、なにより苦手とするのが、「柔軟な発想」というしろものなのだった。やっぱりミュウは、たよりになるわたしの先生だ。
「というわけで、準備運動は終了だよ。オッケーかな?」
「はい、先生」
ここぞとばかりに、よい子モードをフルに発揮するわたし。
「よろしい。では、花の名前という先入観をとりはらって、“クチナシとアカシヤ” という言葉から、別の言葉やメッセージが浮かんでこないか、考えてみてごらん」
わたしはまた、「ううん」と考えこむ。
「あ……こういうのはどう? アカシヤというのは、実は……そう! 明石家! 明石家さんまの明石家だった! ねえ、どうかな!」
「実にいい推理だね。で、ぼくたちは、これからどうしたらいいんだろう」
う……わたしは答えにつまる。明石家さんまを訪ねる、なんてわけには、もちろんいかない。
あ、でも、明石家という屋号のお店とかあるかもしれない。
「明石家っていうお店をさがしてみる、っていうのはどう?」
「そうなると、探索範囲をどう設定するかが問題になるね」
「ううう、そうだね」
「ところで、きみが語った美鈴さんとの思い出の中に、最後のメッセージ以外で一回だけ、『アカシヤ』という言葉が登場してたたんだけど、きみは、そのことに気づいていないのかな」
「え? それって……わたしが話した、ってことだよね」
「もちろん」
でも、どんなに記憶を振りしぼっても、いったいいつそんな言葉を口にしたのか、まるで覚えがない。わたしは、あっさりあきらめて、首を振った。
「だめ……思い出せない」
「かるかん、だよ」
は? かるかん? またしてもまったく予期していなかったキーワードに、わたしは言葉を失う。
「旅行のあと、久しぶりに訪ねてきた美鈴さんの手みやげは、確か、かるかんだったはずだよ」
「その話は確かにしたと思うけど、それとアカシヤと、どういう関係があるの?」
「ちゃんと思い出してほしいな。美鈴さんは、どこのかるかんだって言ったんだい?」
「どこって……確か、明石屋……え?」
明石屋――そう、まさにどんぴしゃりの明石屋だ。
「その明石屋っていうのはね、かるかんをつくった元祖といわれていて、鹿児島でも名のとおった老舗なんだ」
この際、ミュウが、どうして和菓子のローカル情報にまでくわしいのか、なんてことは置いておこう。問題は、かるかんだ。“アカシヤ”が、実は“明石屋”で、その謎を解く鍵が、かるかんなのだとして――
では、そこから美鈴さんがなにを伝えようとしたのか。その答えは、いくら頭をひねっても、まるで見えてこない。
鹿児島にいって、明石屋を訪ねてみるとか? でも、そこでなにを見つけたらいいんだろう。
頭をかかえこんで唸(うな)るわたしに、ミュウが笑いかける。
「もしかして、鹿児島にいこう、なんて考えてないかい?」
「え!? なんでわかったの!?」
びっくりして、まじまじとミュウを見てしまう。
「きみの思考パターンからすると、そうじゃないかと思っただけさ」
そうか、わたしったら、すでに思考パターンまで把握されちゃってるんだ……。
「そんなに悩まなくてもいいよ。考えてみてごらん。美鈴さんがきみに、わざわざ鹿児島にいかなきゃ解決しないような“クエスト”を残すと思うかい?」
確かに、そう思う。ミュウの言うとおりだ。
「きみは、レッドヘリングっていう言葉を知ってる?」
もちろん、そんな言葉、聞いたことすらなかった。わたしは、素直に首を振る。
「赤い燻製ニシン。ミステリーでは、読者の注意をそらしたり、まちがった推理に導くために仕込まれた偽の証拠や伏線をこう呼ぶんだ。おいしそうだけど、実は食えないまがい物さ」
「明石屋が、その偽の証拠だっていうこと?」
「この場合、美鈴さんが、レッドヘリングを意図的に仕込んだ、っていうのじゃない。メッセージの受け取り手であるぼくたちのほうが、ありもしない“意味”を見つけだしてきて、それを偽の証拠にしたてあげてしまうんだ」
「ううん……ちょっとむずかしいかも」
「人間の思考のバイアスは、意味のないものに意味を見だすように仕組まれているのさ。意味の付与というのは、つまり、ベクトルの付与だ。記号は、意味を付与されることで、いかにもそれっぽい“もっともらしさ”を帯びてしまう。そして、勝手な方向へと走りだしてしまうんだ。それこそが、推理の過程において、もっともおちいりやすい罠なんだよ」
「もっとむずかしいよ」
先生、できの悪い生徒には、もっと優しくしてください……。
「聖書の暗号みたいなのが、ちょっとだけはやったのを知らないかな。聖書の中に隠されたメッセージがある、というものなんだけどね。でも、これ、別に新しいことでもなんでもないんだ。ゲマトリアとかノタリコンとか、聖書の中に隠された“意味”を見つける、というよりは、つくりだす神秘主義思想というのは、大昔からあるものなんだよ」
ゲマ……? ていうか、なんでここで聖書? もはや、ついてこられない生徒は切り捨て?
「トルストイの『戦争と平和』の中で、主人公のピエールが、自分の名前を『ヨハネ黙示録』の中の“獣の数字”、つまり666に無理やりこじつけようとして、四苦八苦する場面がある。要するに、この手のパズルは、いくらでも見つけられるし、いくらでもこじつけがきくものなんだ。だけど、一度でも意味を“発見”してしまうと、ぼくたちは、今度はその意味の引力へと引き寄せられてしまう。ありもしないものを、そこに見てしまうんだ。幽霊はね、“そこに幽霊がいる”と人が思ったとき、現れるものなんだよ」
ううん……なんとなく、わかるような、わからないような……。
わたし、もしかしなくても、こういう論理的思考に弱いのかな。
「つまり――どういうことなの?」
「あらゆる視点からの検証はいいけど、導き出される可能性は、当然ながら玉石混交だ。それを、ちゃんと取捨選択する判断力が必要、ということだよ」
「ええと……ということは、明石屋という言葉が、たまたまピッタリはまったからといって、それだけに飛びついて引きずられちゃいけない、ってことね」
「そのとおり。よくできました」
わたしは、ほっと胸をなでおろした。なんだか、赤点をぎりぎりのボーダーラインで回避、みたいな気分だ。
「アカシヤは、花の名前かもしれないし、花の名前じゃないかもしれない。それと、その先にあるもうひとつの可能性も、考えてみなけりゃいけない」
「もうひとつの可能性?」
ミュウの新たなサジェスチョンに、きょとんとしてしまうわたし。
「アカシヤ、というのが別の言葉の言いかけだった、っていう可能性さ」
言いかけ? そうか、確かにあのとき、美鈴さんは、やっとそこまで口にしたあと、せきこんでしまったのだ。だとすると、ほんとうは“アカシヤ”に続く言葉があった?
「でも、そんな言葉ってあるかな?」
「そうだね。たとえば……明石家、じゃなくて明石焼きだった、というのはどうだろう」
「明石焼き? それって、焼き物かなにか?」
「あれ……聞いたことないのかい? 兵庫県明石名物の食べ物さ。明石といえば、タコだろう? そのタコを、だし入りのふんわりした卵生地でつつんで焼いたのが、明石焼き。だしつゆで食べるんだ。上品なタコ焼き、というと大阪の人に怒られそうだけどね。それと、地元の明石では、明石焼きとはいわずに“玉子焼き”というらしいね」
「へええ。なんだかすごくおししそう……。ねえ、こっちにもその明石焼きを食べられるところってあるの?」
ミュウは、「もちろん、たくさんあるよ」とうなずいた。
これはもしや……おいしい冒険、という方向なのだろうか。
「まあ、これも、あまり関係ないと思うけどね」
「え……そうなの?」
つまりは、これまた、食えない赤いニシンってことですか。ちょっとだけ、がっかりしてしまうわたしだった。
「あるいは……そうだな、アカシャ記録なんて言葉もあるけど……牽強付会にすぎるかな」
「は? けんきょ……?」
ミュウって、高校生の日常会話ではぜったい使いそうにない言葉を、あたりまえのように口にするからビックリする。でも、そこで引っかかって考えこんだりすると、どんどん置いてかれちゃうので油断大敵だ。
「美鈴さんには、オカルティックなものへの興味はなかったかい? たとえば……そうだね、風水に凝ってたとか」
「ううん……多少は験(げん)をかつぐところがあったけど……でも、茶柱が立つと喜んでたとか、そんな程度かなあ」
「茶柱か……エドガー・ケイシーの後継者としては、ちょっと渋すぎるな」
江戸川……けいし……? また新しいキーワードが登場した。いったい、ミュウの推理は、どこへ向かおうとしてるんだろう。
「ねえ、教えて。深雪にはわかってるの? 美鈴さんが、なにを伝えようとしたのか」
「うん、どうやら、人類の未来に対する重大な警告ではない、ということだけはわかった」
唖然としてミュウの顔を見つめる。次の瞬間、われ知らず怒りが爆発した。
「そんなのあたりまえじゃない! なによ! まじめに考えてくれてると思って、一生懸命、深雪の考えについていこうとしてたのに! ただふざけて、からかってただけなの!?」
「からかってなんかいないよ」
ミュウが、静かに答える。
ほんの一瞬、髪からのぞく耳の先が、震えるように動いたのがわかった。
「ぼくなりに、検証の材料を思いつくかぎり拾いあげていただけで……ふざけてるつもりなんてなかった。でも、きみを怒らせたのなら、謝る。すまなかった」
あ……。
「ぼくは、こういう人間なんだ。他人(ひと)とうまく接することができない。その気はなくても、必ず最後は他人を怒らせてしまう」
「わたしこそ、自分のことしか考えてなかった。ごめん!」
またやってしまった。わたしってば、ほんとにどこまでバカちんなんだろう。ついさっき、ミュウを信じよう、って心にきめたばかりなのに……。
わたしは、ミュウに向かって思いきり頭をさげた。
「わたしこそ、ほんとにごめんなさい! わたしが深雪に、考えてほしいってたのんだのに。だから、深雪は懸命に考えてくれたのに……」
顔をあげたわたしに、ミュウが笑いかける。
「でも、きみの考えかたの方向は、なかなかいい。きみには、優秀な探偵助手の資質もあるよ」
「え? ほんと?」
わお、やった。生徒から探偵助手に格あげされたぞ!
なんて喜びかけて、いや、待てよ、と思った。前に、チイカがなにか言ってたなかったっけ………………あ……思い出した。
“ミステリーにおいては、探偵の相棒は、探偵よりも頭の回転がちょっとばかり悪くなくてはならない”
そうか……今のわたしって、その“おバカな相棒”ポジションなんだ。できの悪い生徒から、今度は、不肖の探偵助手になっただけ。しかも、反論の余地がまったくない。われながら、なんとも言えないトホホな心境におちいるのだった。
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