_周目⑨.いつも通りです。
押鼠から「あばよ! 末永く爆発しろ!」という言葉と共に見送られた後。
「そんで、バット」
とメガネは言った。
「まず聞くけど、あんたがこの世界で一番最初に目を覚ました場所ってどこよ?」
「自分の部屋だけど」
「じゃ、そこ連れてけ」
「何で」
「いいから。いますぐ。はりー」
「……」
俺はツンデレキャラのポスターが壁に貼られ、テレビとゲーム機があり、手入れだけはされている金属バットが置かれた自分の部屋を思い浮かべる。
最近勝手に出入りしては漫画やらラノベやらを勝手に借りていく妹だとか、最近勝手に出入りしては勝手に掃除をしては隠してある、その、ちょっとアレな薄い本をわざわざ見つけ出し綺麗に整頓して机の上に放置していく母を除いて、当然、異性を部屋に入れた経験は俺にはない。
「まあ、いいか。お前だし」
「おいこらてめー」
とメガネの奴は睨んでくるが無視。よりにもよってブレザー姿なのが悪い。例え似合っていて可愛いかったとしてもブレザーには萌えない。
俺は「とりあえず付いてこい」とメガネに言って先を歩きつつ、尋ねる。
「……というか、今気づいたんだけど、その格好って暑くないのか?」
「平熱低いから」
「あー」
「うん、でもやっぱくそ暑いわ。腐りそう」
「脱げ」
「嫌だ! ブレザーの制服を合法的に着れるのなんて今だけだもん! 今着とかないとコスプレになるもん!」
「いいから脱げ」
脱がせた。
「ひん剥かれたー! 変態ー!」
「黙れ。……で、そのマフラーは何だ。それは暑くないのか」
「いや、めっちゃ暑い」
「じゃあ何で掛けてんだよ」
「ん」
とメガネの奴は、するり、とマフラーを解いて、首筋をこちらに見せてくる。
「ほれ傷跡」
「ああ……」
「こっち来て首は取れなくなったんだけど、跡はばっちり残ってんよ。だから、ま、隠すためにね」
「それがマフラーである必要性は?」
「ロマン?」
「お前な……」
さすがにひん剥くわけにもいかず、俺は項垂れる。
「……それ、何か言われないのか」
「自分で切ったって説明してる。死ぬつもりで。リスカ」
「……」
冗談じみた口調で言ったメガネに対して「随分と大胆な切り方だな」とか「そんなもんお前のキャラじゃねえだろ」とか、そんな言葉が喉から出かかったが、やめた。
なぜってメガネの口調が、いつもより少しだけ、妙な感じに明るかったせいだ。
そういうとき、こいつは何かを笑って誤魔化してるのだ。それくらいはわかる。
だからと言って、詮索すればやっぱりメガネの奴は適当なことをはぐらかすに決まっているから、その代わりに俺はメガネの奴に言ってやる。
「なあ、メガネ」
「ん」
「見つけてくれて、ありがとな」
「……うんにゃ」
一瞬、虚を突かれたような顔をしてから、ふっへっへっ、とメガネの奴は笑う。
「別にいいってことよ」
たぶん、こっちが気づいたことにも、気づかれてるんだろうな、とちょっと照れくさく思いながら俺は、そういえば、と尋ねる。
「お前、どうやって俺を見つけたんだ?」
「ふっふっふっ。よくぞ聞いてくれたっ! 私がいかにスマートにあんたを見つけ出したのかを、今こそ聞かせてやんぜ!」
がばあっ、とメガネの奴はやたらとオーバーなリアクションでオーバーなポーズを取ってみせる。髪やらマフラーやら胸やらスカートやらいろいろ揺れた。
「おい、スカート……」
と、一応、俺は言っておく。例の美少女と違って鉄壁じゃないらしく、結構危うい感じだった。というか、ぶっちゃけぎりぎりアウトだった。
「大丈夫大丈夫。今日可愛いのだから見えてもセーフだセーフ。目に焼き付けろ」
「要らんから丈下げろ。膝まで」
「てめー」
とぶちぶち文句を言いつつも、メガネの奴はスカート丈を下げ「それでだな」と話を元に戻す。
「まずは、あれやこれやして、てめーが住んでるんじゃねーかって場所に目星を付けてだな」
「あれやこれやって何だ」
「あー、えっと……」
と、そこでメガネは口ごもって、
「その、図書館で……」
「図書館?」
何で図書館?
「SNSとかだと目星どころか直かもだったけどカッとなりかねんから……だから、その、アナログな紙媒体のニュースメディアの過去記事めくって……その、えっと、とにかくだな、あれやこれやしてあんたの通ってた学校調べたんだよ」
「なんでそこちょっと曖昧なんだよ」
「うっせ黙れ――とにかくだな、目星を付けたところで、その周辺でソフトクリーム売ってるところを全部検索したんだな。こっちはさすがにネットで」
「なんでソフトクリーム屋だってわかったんだ?」
「だって、ソフトクリーム巻くくらいしかできねーだろ。あんた」
「確かにそうかもだが泣いてもいいか?」
「そんで、出てきたソフトクリーム屋をリストアップしてだな」
「おう」
「リストアップしたソフトクリーム屋をひたすら巡りまくった。今回で84件目」
「ただのゴリ押しじゃねえか」
「うるせえ黙れ! 最終的にはしらみ潰しのローラー作戦が一番有効なんだよ! 頭使った上で脚使う! これ最強な!」
「スマートさは欠片もないと思うんだが」
「やかましい! なんにせよ、念には念を入れて同じ店には二回ずつ訪れることにしといて良かったぜ! 危うく、昨日休みだったっぽいあんたと華麗にすれ違うとこだったからな!」
「あ、いや。ごめん。俺、今日も休み」
「何だとっ!? じゃあ何でいんだてめー!?」
俺は、かくかくしかじか、とバイトを辞めることにした経緯を掻い摘んで話した。
それを聞いたメガネの言葉は、
「――馬鹿じゃねえの?」
ちょっと本気で泣きそうになった。
「あんた、私と会えなかったらどーするつもりだったんよ?」
「の、ノープラン……」
「それってただのニートじゃね?」
「ううう……」
と嘆く俺に「ま、でも」とメガネは言う。
「おかげで、こうして会えたわけだし……ま、結果オーライかね。うん、よくやった。誉めてやろう」
「いや、よくやったのは俺じゃなくてお前だろ……絶対スマートじゃねえとは思うが、それでも俺が何もできないでいる中で探し回っててくれたんだから」
「どうだかねー?」
ふっへっへっ、と何やら楽しげなメガネ。
「ところでだな」
と、俺の腕を引っぱって言う。
「ちょっとだけ、そこの商店街寄ってかない? というか、そこのお惣菜屋さんに」
「何で」
「コロッケ食べたい」
「……お前、俺を探しながら、いつもそんな調子で買い食いしてたのか?」
「うん」
「太るぞ」
「あ、歩いてるからセーフだし!」
「でも、さっきぶつかったときの感じから察するに、お前、ちょっと体重増え……」
「あーあー聞こえない! 聞こえない!」
耳を塞いで、ばたばた、と走っている割にやたらすっとろい速度で商店街へと向かっていくメガネ。その後を、しょうがねえなあ、と思いつつ俺は追った。
「いらっしゃいませー。コロッケ如何ですかー。美味しいコロッケ、揚げたての、美味しいコロッケでーす」
総菜屋では、高校生くらいの素朴な雰囲気の女の子が、きちんと結わえられた髪に三角巾を付け、清潔なエプロンを身に纏い、素敵な笑顔を周囲に道行く人々に振りまきながらコロッケを揚げていた。
メガネはその女の子の前まで歩いていくと、
「おっす」
と言った。
「いらっしゃ」
と女の子は条件反射的に笑顔で言いかけたところで、メガネの姿を確認した瞬間、
「げえっ。緒白っ」
と、めっちゃ嫌そうな顔をして呻いた。
メガネの奴は、しかし全く怯む様子もなく彼女に告げる。
「客相手に失礼な奴だなー」
「うっさい。ってか何で制服。コスプレ?」
「やめろコスプレじゃねーよ私は学生だ。……いや、だってよー可愛いじゃんよー」
「可愛けりゃいいってもんじゃねーんだよ。時と場合に応じた格好をするのが一番大事で――いや、というかあんたさ、猫被ってるときとの落差が激しすぎて、正直未だに慣れねーんだけど……」
「ほー。じゃ――こんな風に、猫を被った状態で話しますか?」
「キモい」
「……ち、面倒くせーな。いいからとっととコロッケ寄越せ。サービスで」
「帰れ。金払わねー奴にゃーこのコロッケは一個たりとも渡さねー」
「ちぇー、しょーがねーな。……おい、バットてめー出番だぞ。今ちょっと小銭ねーんだ。コロッケ奢れ」
と、言ってメガネが俺を見る――その視線を追って、女の子もこちらを見た。ぽかん、と口を開いて、それからメガネの方へと視線を向け直して、言う。
「…………え、何? あんたの彼氏?」
「あー、いや、そういうアレじゃねーな」
「おい、ふざけんな。彼氏に振られたばかりの私に対する当てつけか? あ?」
「もー、そんないつまでもくよくよしてんなよー。あんたはお洒落で可愛いんだからさ、良い男がきっと見つかるって」
「そういう問題じゃねーよ」
と、メガネの奴を睨み付けた後で、女の子は今度は俺に視線を向け直す。
「ちょっとそこの靴は格好いいおにーさん」
「えっと、はい。何?」
暗に靴だけ格好良いって言われた……、と地味にショックを受けつつ俺は答える。すると女の子は、びしっ、とメガネを指差しつつ、
「この女、めっちゃ性格悪いから!」
と告げてくる。
「なんか見た目地味で大人しくて目立たないけど実はすげー可愛い女の子、とか思ってると痛い目見るから! ちょー腹黒い奴だから! 真っ黒だから!」
「あ、大丈夫。知ってる」
「おいバットてめー」
とメガネが睨んでくるが無視。
「え、そーなんだ……その、おにーさんて、もしかして、どえむ?」
「いや、そういうんじゃなくて……」
「何を隠そう、こいつは私の友達なのだよ」
えっへん、と胸を張るメガネ。
「んでバット。こっちの娘は私のクラスメイト。お洒落のためにコロッケ揚げてる」
「はっ倒すぞ緒白――ってか、友達?」
女の子はまた、ぽかん、とした。
それから、こう言った。
「あんたに友達?」
「おいてめー」
「ねえ、大丈夫? もしかしてあんた、何か勘違いしてんじゃないの?」
「……バットぉー。何か言ってやってー」
「ええと……」
と、俺は言葉をしばし選び、
「何て言うかその、デートしたりキスしたりしたから――友達かと」
「あ、うん。何となく分かった――つまり、そーゆープレイなんだ」
盛大に誤解された。
「とりあえず、ちょっと塩撒いていい?」
「やめろよー」
などと言い合っているメガネと女の子を見て、俺は言う。
「…………というか、二人は友達では」
「ないから!」
と女の子が即答し、えー、とメガネの奴が不満げな声を出す。
「そんなこと言うなよー」
「うっせーぞ緒白。もうあっち行け。しっしっ!」
「ちぇー」
とメガネはぶーたれてから、あのさー、と女の子に対して告げる。
「私さ、ちょっと消えるかもしんねーから」
「は? 何? 消える?」
「おーよ。蒸発」
その言葉に、女の子はしばらくメガネの姿を見て、それから俺の方を見て、またメガネに視線を戻してからこう言った。
「……駆け落ち?」
「ちげーよ。……ま、でも、別に何とでも言ってもらってええよ。どーせその手の噂なんて幾らでも出るだろーし」
「いや、いちいちそんなん言わねーから。あんたのことなんてどーでもいいし」
「そか」
とメガネは頷いて、ふっへっへっ、と笑う。
「んじゃな。バット、私ちょっと他で買い物すっからコロッケ買っとけよ」
ばたばた、と走っていくメガネを見送ったところで、
「はい、おにーさん」
と、女の子が包み紙を俺に押しつけてくる。
「コロッケ二つ」
「あ、どうも」
てっきり売ってくれないかのと思ってたので、俺はちょっと焦ってお金を出そうとしたところで、
「あ、いいよおにーさん」
と女の子はぱたぱたと手を横に振る。
「これサービス」
「……さっきと言ってること違うけど」
「だって私あの娘大嫌いだもん」
「…………」
それツンデレにしか聞こえないんだけど、と言いたくなったが俺は黙っておく。たぶんこの娘はそういうこと言っていい相手じゃないと思う。ちょっと本気で「キモい」とか言われそうだった。
「それにこれは、よろしく料だからね」
「よろしく料?」
「あの万年ぼっちな腹黒女のこと」
「えっと……」
「返品不可だから」
「……」
「ま、でも」
と、コロッケの包みを俺に渡しつつ、女の子は片目を閉じてこう言った。
「今はもう、一人じゃないみたいだけどさ」
■■■
自宅に到着した。
「まあ、とりあえず上がれよ」
「ほいほい。お邪魔すんぜー」
などと話をしながら玄関を開けたところで何やら、ぺたぺた、と廊下をうろついていた妹と遭遇した。
「あ、おかえりお兄ちゃん。これで今日からまた無職だけどさ、気にせずに――」
とそこまで言ったところで、妹はメガネの姿を見て、ぴたり、と動きを止めた。
「あー」
そう言えば説明が必要かと思い、俺はメガネを指差して、
「えっと、こいつ俺の友達」
「初めまして。刈蛾くんの妹さんですね?」
と、メガネの奴は瞬時に猫を被ると「よろしくね?」と妹に優等生じみた笑顔を向ける。ぶっちゃけ詐欺みたいだった。
「い――」
と、妹が何やらぎりりと絞り出したような声を出した。
「い?」
「――いくら払った!?」
「おい」
「何!? 何がそんなに不満だったの!? デートが上手くいかなかったからって、こんなことしなきゃいけなかったの!? そこに愛は無いんだよ!?」
「違う」
「嘘だ! お兄ちゃんがそんな綺麗な人とお付き合いできるわけないじゃん! 制服姿のコスプレで、こんな暑い日に無理矢理マフラー付けさせて、一体どんなプレイだよ! お兄ちゃんセーラー服が好きだったんじゃないの!?」
「セーラー服のが萌えるに決まってんだろ」
「お母さん! お兄ちゃんが女の人連れてきたあっ! 何か眼鏡掛けてて頭良さそうで胸が大っきくて綺麗な人っ! これ絶対お金払ってるよねっ! ねっ!?」
「おいやめろ馬鹿! 母さん出ると、絶対ややこしくなるだろ! おい!」
案の丈というべきか、あらあらあらあら、まあまあまあまあ、ほうほうほうほう、などと頷きながら顔を出してきた母は「この子ったら……もうそんな歳になったんだねえ」とか何とかしみじみ言っていて、いやもう本当やめて欲しかった。
「こりゃもう、お父さんに電話して、早く帰ってくるよう言わなきゃね」
「やめろ。迷惑だろ」
「やだもう照れなくったっていいじゃない――ねえ?」
と俺の言葉を完全に無視して、メガネに話しかける母。対するメガネはというと、相も変わらず優等生じみた佇まいのまま、ぺこり、と母にお辞儀をして、
「こんにちは。刈蛾くんのお友達の緒白りらと言います。彼にはいつもお世話になっていて……」
とか何とか社交辞令としか思えないことを、しかしまったく嫌みを感じないザ・優等生然とした口調で、ぺらぺら、と口にする。もう完全に詐欺だった。
「あらもーうちの子にはもったいないくらいの素敵なお嬢さんねえ。ねえ、夕飯、一緒に食べていきなさいね?」
「ええ。喜んで」
と、話が一段落したところで、俺は無理矢理メガネの手を引いて二階の自分の部屋へと向かう。
「ちょっとお兄ちゃん! どこ行くの!?」
「自分の部屋だ。ちょっとこいつと話があってだな……」
「絶対ちょっとアレなことだ! その人を部屋に引っ張り込んで妹に言えないようなことする気だ!」
「やかましい! 上って来んなよ!」
と妹に厳命しつつ、俺はにこやかに手を振っているメガネを自分の部屋へと引っ張り込んで、ばたん、と扉を閉める。一瞬、鍵を閉めるかどうか迷ったが、あまり意味が無さそうなのでやめた。
「やーもー何だよ何だよ妹ちゃんちょー可愛いじゃんよー。めっちゃ萌えるわー」
と、直後に素に戻ってみせるメガネ。
なんかもう本当詐欺でしかなかった。
「お。めっちゃツンデレっぽいキャラのポスター発見ー。やっぱてめー筋金入りだな。萌え豚だな!」
「もうこの際、萌え豚でも何でもいいが……それで、俺の部屋に来て何をしようって言うんだ」
「まあ待て。とりあえずお約束として、ちょっとアレな本を探してからだな」
「帰れ」
「待て待て待て! ベタな冗談は止めるから! ちゃんとするから待って! ほらこれ! そのための準備!」
と言って、慌ててメガネは手に持っていたレジ袋を掲げてみせる。先程、俺がコロッケを持って商店街の片隅で待っている間に買ってきたものだ。
とりゃー、とメガネが中身をぶちまけ出てきたのは、ロウソクやらビー玉やらカエルの置物やらトマトジュースやらまるで取り留めがない。
「……ええと」
「こんなこともあろうかとだな!」
と言って、メガネの奴は胸元から何やら丸めたノートの切れっ端を取り出し、べちん、と部屋の真ん中へと叩き付ける。
その、罫線入りの紙を俺は見てみる。
「……何だ、これ」
油性ペンで描かれたそれ。
何て言うか、その、こう――魔術ちっくな複雑な紋様で構成された円。
「魔法陣だ! あなろぐ魔法のな!」
「まほうじん……」
「こいつを使って、あの中身が入ってるナビゲーター天使をこの場に召喚すんぞ!」
「…………」
正気かこいつ、と俺は思った。
「いや、まあちょい聞いてよ。バット」
「めちゃくちゃ駄目っぽいんだけど……」
「まあ聞けって……いいか、転生してこの世界に送られてきたわけだ」
「いや、今回女神様に会ってないぞ」
「そ。たぶん、あの美少女のせいで」
「……何でそんなことを?」
「知らん」
と、あっさりメガネは断言しつつ、
「でも、とにかく、どんな形にしろだな、あんたは他の異世界からこの世界に無理矢理ぶち込まれたわけだ――それもたぶん、あのキス魔な女神様がやってるのとは違う、割と無茶な方法で」
「ああ……」
この異世界に来る直前、美少女にぶん投げられる前に掛けられた無数のスキルのことを俺は思い返す。あれがそれか。
「ちな、私はそれに巻き込まれた形だな。狙ってかどーかしんねーけど」
「……それだと、どうなるんだ?」
「ま、何だってそうだけど、無茶な方法でぶっ込んだからにゃ、その分だけ無理が出る。その結果として、この部屋には、あんたのせいでぶち抜かれた穴が空いてるはず――と予想してたんだけど、ビンゴだったな」
「穴って……そんなもんねえぞ」
「うんにゃ、あるぜ。目には見えない穴が。でも――私にゃちゃんと『視える』。それはもう、えっぐい感じに空いてんのがな」
「……使えるのか。お前のそれ」
「これだけな。たぶんだけど、スキルの強度とかそういうもんの問題じゃねーかと。この世界、ほとんど全部の魔法やらスキルやらが使えなくなる仕様みたいだから」
「それで?」
「だから、その穴を利用する形で、魔法を使ってあの天使を呼び込む――あんたよくわかってないみたいだけど、あの天使が居れば結構いろいろ融通利くから」
「でもお前、この世界じゃ魔法もスキルもほぼ使えないって今言ったじゃねえか」
「だから、あなろぐ魔法って言ってんだろ」
「何だそれ」
「あー、と要はあれだな。いつもの魔法やらスキルやらが世界毎に正規に導入されてるものだとしたら、こっちはバグ技みたいなもんで――なんか説明もうめんどいな。もういいから、さっさとやんぞ」
「お前な……」
と呻く俺に取り合わず、メガネの奴は床に散らばっているよくわからない物品をノートの切れっ端に描かれた魔法陣の上に置いていく。
「……というかそもそもお前、そんなもん、どこで覚えてきたんだ?」
「あのキス魔の女神から無理矢理聞いた」
「ああ……うん……」
成る程、それならわからなくもない。
なんかこう、ちょっと不安になるが。
「よし――行けるな」
と、頷くメガネ。
「行けるのか……?」
と、火の点いていないロウソクやら、転がらないようにセロハンテープでくっつけられたビー玉やら、なんか腹の立つ顔をしているカエルの置物やら、トマトジュース(紙パック)やらが置かれた魔法陣を見下ろし、疑念を抱かずにはいられない俺。
「行ける行ける! 信じろって!」
メガネの奴は無視し、両手を突き出した何やら大仰な感じのポーズを取って――
「さあ――魔王たる我が呼び声に応えよ! 糸を紡ぐ原始の蚕よ!」
と、何か唱え始める。
「過去から現在を通り――未来へと続く、その線に生じたほつれを正すため! 今! ここに存在せぬ異なる運命の糸を、新たなる糸へと紡ぎ合わせ! 新しき糸の物語を紡ぐ!」
しかも、めちゃくちゃ懐かしい呪文詠唱だった――微妙に違うようだが、女神様が俺を最初に転生させようとしたときのアレだ。そうか適当な呪文じゃなかったのか、と俺は思う。
「聞け! 幾万世界を隔てたる番人よ! 今、この世界の理に新たな理を加え、かの者を今ここに呼び出さん! 魔王たる我がここに命ず――」
あのときは、女神様が結局途中で噛んでしまって最後まで聞けずじまいだったが、メガネの奴は意味深なようでいまいち意味のわからないその呪文の続きをすらすらと唱える。
「――開け! 世界の門!」
メガネの詠唱が終わるの同時に。
ばちり、と。
部屋の空気が張り詰めた。
ばちり、ばちり、と。
胡散臭い魔法陣が置かれた部屋の中央へと――得体の知れない力が満ちていく。
俺は息を呑む。
ぼうっ、とロウソクに火が点いて。
ぴかっ、とビー玉が光って輝いて。
げこっ、と置物のカエルが鳴いて。
ぶしっ、と潰れるジュースパック。
メガネが不敵に笑う。
ばちり、ばちり、ばちり、ばちり、と。
魔法陣に満ちる力が、瞬きをする間に物理的な圧力を感じさせるまでになって――
ぷすんっ、と。
魔法陣の上で、煙が弱々しく立ち昇った。
そして、そのまま霧散する。
ロウソクがふっと消えた。
ビー玉がその輝きを失う。
カエルが元の置物へ戻る。
潰れたパックはそのまま。
そして、先程まで確かに存在していた強力な力の渦は、跡形もなく消えていた。
「…………」
「…………」
とりあえず、一分待った。
落ち着け、とさらに一分。
念のため、もう一分だけ。
結果、何も起こらず――メガネの奴が、やっべ、と呟いてから俺に告げる。
「失敗した」
「おい」
と思わずツッコミを入れたその瞬間だった。
ぼすんっ、と。
壁に貼られた俺の好きなツンデレキャラのポスターを容赦なくぶち破りつつ、ちっちゃな天使が「うにゃあああああああああっ!?」と叫びながら転がり落ちてきて、狙ったかのように魔法陣のど真ん中で、べしゃっ、と止まる――しかし、がばっ、と即座に身を起こすと叫ぶ。
「バットさん! メガネさん!」
ぱたぱた、と。
背中の一対の羽で飛ぶ、ちっちゃな天使。
ふわふわな金髪の巻き毛に天使の輪っか。
どこまでもテンプレート通りな天使の姿。
そして服の裾からちょっと見えてる触手。
「お二人ともご無事でしたか!」
そう、笑顔で言ってくる天使さんに、とりあえず俺は言っておく。
「あの、天使さん――」
「はい! ナビゲーターの天使さんですよ! メガネさんのおかげもあって、やっとこの異世界の馬鹿みたいに堅牢なセキュリティをぶち破って侵入できました! 私が来たからにはもうご安心を――」
「――いや、それより、今さっき容赦なくぶち破られた何の罪もないポスターの件についてですね」
「そこですか!? 感動の再会なのに!?」
と、絶叫する天使さん。
「お兄ちゃん!? さっきからすごい音してんだけど何やってんの!? まさか、壁ドン!? ちょっとアレな壁ドン!? ちょっとアレな壁ドンなのか!?」
と、乱入せんと階段を駆け上がってくる妹。
「よっし、私がちっと時間稼いでやっから、その間に何とかしとけよバット!」
と、メガネが部屋の扉を開け妹を迎え撃ち、
「――あ、いえ、壁ドンではないですから、心配しなくても大丈夫ですよ。ちょっとお兄さんがですね、特技の壁走りからの空中三角二段ジャンプを見せてくれると言って盛大に失敗しただけなので……」
とか何とか言っている間に、俺は部屋の中央に置かれた魔法陣その他を纏めてゴミ箱に叩き込んで証拠を隠滅する。ポスターは……あとでセロハン貼っておこう。
「まったくもう」
と、天使さんが呆れたような顔で俺に言う。
「お二人のことが心配で必死になって侵入してきたって言うのに、全然、いつも通りじゃないですか」
「…………」
「心配して損しました。もう」
「……そうですね」
天使さんの言葉に、俺は頷く。
部屋の前の廊下で、何をどうやったのやらメガネは説得に成功したらしく「本当ですか!? おねーさんすごい!」とか何とか妹が騙されているのをちょっと心配しつつ、部屋の片隅へと俺は向かう。
そこに置かれていた金属バットを手に取る。
グリップを握って、ちょっと構えてみせる。
随分と久しぶりな気がしたが――けれども。
「――いつも通りです。天使さん」
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