_周目⑧.そして、これから。
デートの翌日。
店の前で待っていた俺を見るなり、「ん?」と押鼠は怪訝な顔をして言った。
「あれ? お前、今日も休みもらってなかったっけ?」
「うん。休みだな」
なんでって、デートの話を聞いた店長が「だってな、君、デートだろ。あれだろ。そういうことになるかもしんねーだろ」と店長が気を使ってくれたのだ。申し訳ないが嫌な気の使い方だった。
「じゃあ何だデートの結果報告か? どうだ、上手くいったか?」
「告られた」
「お、おう……」
「でも振った」
「…………」
押鼠はしばらく黙り込んで俺を見た。
それから言った。
「……理由とか、聞かない方が良い奴か?」
「悪い」
「いや、いいよ」
「それでさ」
「何だよ?」
「バイト、辞めようと思って」
「ああ……」
「そんで、さっき店長と話した」
「……そっか、辞めんのか」
と、俺の言葉をゆっくりゆっくりと噛み締めて飲み込むように押鼠は呟いて、それから俺に言う。
「店始める準備が終わるまで、ちょっと待ってろ。奢らせろよ。ソフトクリーム」
「いや、別に」
「いいから」
頼むよ、と押鼠は言った。
■■■
「ほら」
と、押鼠が巻いてくれたソフトクリームを俺は受け取ってしげしげと眺め、うーん、と思わず唸る。
「お前、やっぱすげえな。完璧だよこれ」
「いや、わからんけれど」
「才能あるよ。お前」
「だから、こんな才能は要らねえって」
と、押鼠は苦笑する。
「なあ、刈蛾」
「何だ?」
「俺、ずっとお前に謝ろうと思っててさ」
「何で」
「お前が退学になったの俺のせいだろ」
「は?」
と俺は思わず間の抜けた声を上げて、それから押鼠に言う。
「いや、お前のせいじゃねえだろ」
「そこだよ」
「え?」
「お前のその……そういうところだよ」
「?」
「お前はさ、良い奴なんだよなあ」
「金属バットで机殴る奴がか?」
「そういうことじゃなくてさ……なあ、刈蛾。お前のことだからさ、『あいつ』にだって悪いことしたと思ってんだろ」
「あいつ?」
「俺の後ろの席の」
「ああ」
俺にとっては、前の席だったクラスメイト。
消しゴムの滓を、押鼠に投げていた奴。
「そりゃ、まあ……」
と、押鼠のことを気にしつつも、俺は言う。
「その、何て言うか、あいつがお前にやってたことはそりゃもちろん悪いことだったけど……だからって、俺がやったことが悪くなかったってことにはならんだろ」
「なあ、刈蛾」
と、押鼠が言う。
「お前があいつの机を殴って、そのときのあいつの顔見て、俺、何て思ったと思う」
「……何て思ったんだ」
「『ざまあみやがれ』って思ったんだよ」
「それは」
と俺は言う。
「普通じゃないか?」
「そうかもしれないけどさ――でも、そうじゃねえだろ」
ぐずぐず、と押鼠が言う。
「だって俺、お前に助けられたんだぜ。なら――それは、良くねえだろ」
「……そうか?」
「そうだよ。誰かに助けてもらったんだから――助けてもらった奴はさ、良い奴じゃなけりゃ。そうじゃなけりゃ、駄目だろ」
「でも」
「でもじゃねえよ。良くねえよ」
「……」
「ごめんな――俺、お前に助けられたけどさ、実はあんまり良い奴じゃねえんだよ」
「……俺だって」
押鼠の言葉に。
ふと、記憶の奥底が叩かれる感触があった。
痛み。
――お兄ちゃんの、嘘つき。
――この、引きこもり野郎。
――そのまま、そこで死ね。
――大嫌い。
頭の中に響く声は、妹のもの。
こことは違う世界で、今はもう無い部屋の中、扉の向こう側から掛けられた言葉。
「……たぶん、お前が思ってるほどには、良い奴じゃないよ」
「そうなのかもなあ」
と、押鼠の奴は笑っていて。
でも何だか泣きそうな顔で。
なあお前さ、と俺は告げる。
「そんなことより楽しい話をしようぜ」
「楽しい話て」
「そうだな……押鼠。お前さ、女子の制服ってセーラー服とブレザーどっち派だ。ちなみに俺セーラー服な」
「あ、俺ブレザー派」
「は?」
「……うん?」
「ちょっと待て。そこはセーラー服だろ」
「ええと……、ええ……?」
「セーラー服こそ至高。異論は認めない」
「うわあ……刈蛾、お前面倒くさいな……」
「だろう?」
「…………」
俺の言葉に、押鼠の奴はちょっと黙る。そのまま黙り込んでこちらを見ている押鼠に、俺はこう告げる。
「悪いな、押鼠――俺、お前を助けたけど、実は結構面倒くさい奴なんだ」
「……はっ」
と、押鼠が笑った。
さっきとは違って、噴き出して。
堪えきれないと言った風に、大爆笑する。
「ははははははっ! 何だそりゃっ! 刈蛾、おま、馬っ鹿じゃねーのかっ!」
「よく言われる」
「はははっ! いや本当お前馬鹿だわ! いや薄々感づいてはいたけど、でも想像を超えて馬鹿だったわ! ははははははっ!」
「泣いていいか?」
「泣くなよ馬鹿――ははっ、うん、何ていうか、そうだな――お前、俺が思ってたより馬鹿だったみたいだけどさ、でも――」
げらげら、と。
大爆笑しながら、押鼠が言う。
「――やっぱ、良い奴だよ。馬鹿だけど」
そうかよ、と俺は頷いて。
そうだよ、と押鼠も頷く。
そして――
「というわけで、だ」
がっし、と。
カウンター越しに押鼠の両肩を掴み。
俺は告げる。
「押鼠、今日はお前にセーラー服のぺったんこなツンデレっ娘がいかに萌えるかってことをちゃんと理解させてやる」
「あ。そこ演技じゃねーのな」
「当たり前だろ。今からお前にセーラー服の魅力について小一時間だな」
「……なあ刈蛾、いくらお前が相手でもこればっかりは絶対に譲れん――よし、良い機会だ。ブレザーこそ究極だってことをきっちりと俺が教えてやる――いいか、刈蛾。昨日、ブレザー着た巨乳で眼鏡っ子な女子がソフトクリーム買いに来てだな……でも何故かこの時期にマフラー巻いてる不思議ちゃんっぽさが、何だ、こう……超可愛かった」
「いや、今どき眼鏡キャラとか萌えねーわ」
「よし刈蛾。表出ろ」
「いや、出てるけれど……」
「黙れ。ツンデレとか骨董品だってことを思い知らせてやる」
「よし表出ろ」
戦争の始まりだった。
■■■
と、いうわけで。
ソフトクリームを買いに来る客を優先にしつつ、俺と押鼠とが繰り広げた「セーラー服派vsブレザー派」の議論は、「ぺったんこ派vs巨乳派」の血みどろの戦いへ、さらに「眼鏡は時代遅れvsツンデレは終コン」の最終戦争と推移し、数時間掛けて最終的に出た結論は、
「……相容れないな」
「……だな」
という、馬鹿みたいな結論だった。
「なあ。刈蛾」
と、押鼠が俺に聞く。
「お前は、どうするんだ。これから」
「ちょっとやることがあって」
「店長が紹介してくれる、って言ってた店に行くわけじゃ、ねえんだよな?」
「違うな」
「大学?」
「そういうわけでもなくて――実は、その……ノープラン」
「おいおい、大丈夫か?」
「でも、やることだけは決まってる」
「……そっか」
そう、押鼠は言った。
なぜだかよく分からないが、何かちょっと嬉しそうな顔をして。
ずっと昔。
同じような顔をしていたイケメンな転生者のことを、ふと思い出す。
「なあ、押鼠」
と、俺は言う。
「俺は、お前が何と言おうがセーラー服が至高だと思うけれど」
「ああ。刈蛾。俺もお前が何と言おうがブレザーが究極だと主張するわ」
「相容れないな」
「まあな」
「でも、それはそれとして――」
と、俺は言う。
「――友達には、なれるのかもしれないな」
「お」
と、押鼠は驚いたような顔で俺を見て。
「お前、それ、ツンデ……」
「違うからな?」
「いや、それ、ツンデ……」
「違う」
「お、おう……」
と、押鼠は気圧されたように頷き、それからちょっと照れくさそうな顔で言う。
「友達、か」
「おう」
「やべえぞ。超嬉しいんだけど」
「そうか」
「あ。でもキスだけは勘弁な。お前に俺のファーストキスはやれん」
「それ、こだわるんだなお前……」
「当たり前だろ。もしかしたら、曲がり角でブレザー着た巨乳で眼鏡っ子な謎の女の子とぶつかって、そこからラブコメが始まるかもしれないだろう。そのときのためにだな」
「ねえよ」
「やかましい。夢ぐらい見させろ」
「……というか、そのシチュエーションはセーラー服のぺったんこなツンデレ美少女との出会いで使われるべきであってだな」
「黙れ。ブレザーのが完璧だっての」
「いや。セーラー服のが最強だから」
そんな風に。
馬鹿みたいな会話を最後にしばし続けて。
それから、俺は言う。
ひょい、とカウンターから離れて告げる。
「じゃあな。押鼠」
「……ああ。刈蛾」
手を振って、背中を向けた。
たぶん、いろいろなものに。
未練がないか、というとたぶんあった。
後悔しないか、というとたぶん後悔する。
それでも――俺がやることは決まっていた。
店の前の曲がり角。
ばたばた、と走る誰かの気配。
先程、押鼠が言っていた妄想を思い出すが、まあ普通に避けるに決まって――
違和感。
足音に聞き覚えがあった。
もう随分と聞いていない足音だ。
でも。
違和感の正体はそれだけじゃない。
その足音の主に対して――俺は。
えっと……その、うん、あれだ。
なんか、いまいち萌えない。
ぴたりっ、と俺は思わず足を止めて。
ばたばた、と相手はそのまま走って。
そうして、曲がり角の向こう側から。
いまいち萌えない奴が飛び出してきた。
一瞬、目と目が合った。
お互い何か言おうとし。
俺は、そのまま動けず。
相手は、すぐ止まれず。
結果、そのまま曲がり角でぶつかった。
「ごふぅっ!?」
反射的に激突の衝撃を和らげるように俺は動いた――が、突っ込んできた相手の頭突きは狙い済ましたかのように鳩尾に入っていて、俺は地面に片膝を付き悶絶する。
で。
その的確な頭突きを食らわせてきた相手の方はというと、ぺたん、と地面に尻餅を付いただけで無事で、ぽかん、とそのまましばらくこちらを見つめ、それから唐突に、くしゅり、と顔を歪めたかと思うと次の瞬間には、がばっ、と思いっきり抱きついてきた。
「バットぉっ!」
と、涙声で俺の名前を呼ぶ。
もう随分と久しぶりに感じる名前だった。
ちょっと泣きそうになるくらい。
単純に、痛みのせいである気もしたが。
「……よう、メガネ」
と、痛みを堪えつつ、俺は相手の名前を呼ぶ。
「てめーめっちゃ探したぞこんにゃろっ!」
と、ぐずぐずな声で言ってくるメガネを見下ろして、もう、何かもういろいろと言いたいことが有り過ぎたが、とりあえず俺は言っておく。
「いや……ていうかお前、タイミング良すぎだろ。まるでヒロインみたいな登場の仕方しやがって。お前じゃなかったら一発で惚れてたところだ」
「てめーが言うな! そしてそこは惚れろ!」
べっし、ばっし、と叩いてくるメガネ。
チート無しだと痛いのでやめろと思う。
と、そこではた気づく。
「というかお前、その格好……」
「おーよ。刮目して見るがいい」
と言って、ずい、と胸を張るメガネの格好。
制服姿だった。
あと何故か赤いマフラーを首に巻いていた。
「え、何だお前、学校通ってんのか?」
「そりゃ通ってんよ」
「年齢」
「誤差!」
「享年的にはそうかもしれないけどな」
「うるせえ! いいから、私の制服姿を見ろや! そして萌えろ!」
と言ってくる、メガネの制服。
ブレザーだった。
俺は深々と溜め息を一つ吐く。
「何でセーラー服じゃねえんだよ……」
「てめーこんにゃろー」
と。
「ちょっと待てええええええええええっ!」
そこで叫び声を上げたのは押鼠で、カウンターを軽やかに飛び越えるという密かに高い身体能力を披露しつつ、こちらに駆け寄ってくるなり、びしり、と震える指をこちらに突きつけ、叫ぶ。
「り、り、リア充爆発しろおっ!」
その言葉に、脊髄反射的に転倒を警戒して身構える俺とメガネに対し、押鼠はそのままの勢いでさらに捲し立てくる。
「おいこれはどういうことだ刈蛾!? 俺は一体何を見せられているんだ!? 何で曲がり角でブレザー着た巨乳で眼鏡っ子な謎の女の子とぶつかっていきなり抱きつかれてるんだお前!?」
「いや、こいつ顔見知りだから」
「何だその、つまり――彼女?」
「いや、友達」
「ほほう」
と、押鼠は一つ頷いてみせる。
「そうかそうか」
と、さらに一つ頷いてみせる。
「なあ、刈蛾。一つ言わせてもらうぞ」
と、最後に一つ大きく息を吸ってみせて。
そして言った。
「ふざっけんなあああああああああっ!」
最後にして、会心の四度目だった。
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