_周目⑦.美少女のいない赤い塔。
デートの当日。
洗濯して丁寧にアイロンを掛けた服を着て、妹に調べてもらったとこで切ってもらった髪に櫛を入れて、歯を磨いて、その他諸々の身だしなみを整えて、財布とハンカチとちり紙を持って、前の日にいつもよりちょっと念入りに磨いておいた靴を履いて紐をきちんと結ぶ。
金属バットは部屋に置いていく。
出がけに今日は留守番になる自転車のベルを鳴らすと、ちりん、といつも通りのごくごく普通の音が鳴った。
待ち合わせ場所は駅前。
俺は約束の時間の二時間前に到着し待つ。
板鍵は約束の時間一時間前にやってきた。
「……いやいや」
と、板鍵は俺の姿を見るなり呆れかえった顔をした。
「刈蛾くん、いくら何でも早すぎない?」
「こんなもんだろう」
「どんなもんなの……ま、それよりさ」
くるり、と。
板鍵は、その場で回ってみせる。
さらり、と。
綺麗に整えられた髪が揺れて。
ふわり、と。
スカートの裾がそれに合わせて翻る。
「私どうかな?」
「可愛い」
「うわ。刈蛾くん普通にそういうの誉めてくれるんだ。意外」
そうは言うが、実際、可愛かった。
何て言うか、その、普通に。
クラスメイトの仲の良い女の子が、休日にちょっと女の子っぽくお洒落してきたような感じで、一目見て「あ、可愛い」と思った。メガネの奴みたいに原型を留めないアレとは違っていたし、そしてもちろん、なんかいまいち萌えなかったりもしない。
「俺はどうだ」
「意外と普通」
「意外て」
「もっとこう……すごい格好で来るかと思ってた。金属アクセサリーとかたくさん付けてる感じの」
「俺は一体何だと思われてるんだ」
「あはは」
「じゃあ」
と言って、俺が手を差し出すと、板鍵は何とも不思議そうな顔をする。
「握手?」
「いや、デートだから」
と、俺は言う。
「手くらい繋ぐものだろ」
「……刈蛾くんてさ」
「うん?」
「実は手慣れてる?」
「何だそれ。どんな勘違いだ」
「本当に勘違いなのかな?」
と板鍵は、疑うような目付きで笑う。
■■■
赤い塔の元へと辿り着く。
滅びていない街の中を通って。
板鍵と手を繋いで歩いてきた。
こうして近くで見ると、意外と赤く感じない。ライトアップされる夜だとまた違うのだろうが、昼の光で見ると白の比率が意外と多いと感じる。
そして、馬鹿みたいにでかく感じる。
俺はこれまで、この赤い塔を散々駆け上がって、ついでに破壊したりもしてきたわけだけれども――チートスキルの使えない今の俺は、ただのちっぽけな元引きこもりで、だから支柱一本の大きさにだってちょっと圧倒されてしまう。
こんなもんチートも無しで人間がよく作ったもんだな、と思う。
いや。
「それが普通か」
「え?」
「何でもない」
と答えて、視線をさらに上に向ける。
チートで強化されていない視力では、塔のてっぺんはちょっと見えない。けれども、もちろん、そこにあの美少女はいない――そんなことは、わかり切っていた。
塔に入ると、中は単なる観光施設だった。
観光施設らしく、よくわからないキャラクターのよくわからないグッズやらお菓子やらがワンコインでないソフトクリーム数本を買える金額で売っていた。
以前は水族館があったはずだが、今はもうやっていないらしい。異世界だからなのか、それとも単に引きこもっている間に閉館したのか、俺はちょっと判断に迷う。
「刈蛾くんは」
と、板鍵が聞いてくる。
「新しいのこっちのと、どっちが好き?」
「新しいのって、白いの?」
「うん」
「まあ……こっちの方かな」
好きというのとはちょっと違うような気がしたが、まあ、あの白い塔の存在には未だに慣れない。違和感しかない。
「そっか」
と、俺の返答に対して、板鍵は何だか嬉しそうな顔をする。
「私もさ、こっちの方が好きなんだよね」
「そうか」
「なんかロマンチックじゃない?」
「そうか?」
「赤いからかなあ」
「よくわからんけど」
「あはは」
そんな他愛のないことを板鍵と話しながら、床やら窓やらをぶち破って幾度と無く訪れたことのある展望台へと、エレベーターを使って訪れる。
見覚えのある場所の、見覚えのない光景。
何たって、人がいる。
この異世界では白い塔があるにも関わらず、意外なくらいにたくさんいる。
そして、展望台の外に広がる世界はとっくに滅びて止まった世界ではなくて、今もまだ生きて動き続けている世界なのだ。
だからここには、あの美少女はいない。
「ねえ」
くい、と。
そこで、繋いでいる手を板鍵に引かれた。
「刈蛾くん」
「うん?」
「楽しい?」
「そりゃまあ」
「刈蛾くんってさ――」
ぽつんと、板鍵が言う。
「――ちょっと変な奴だよね」
「泣いていいか?」
「いや、そういうんじゃないんだって」
「どういうのだよ」
「だって刈蛾くんは、それほど仲良くもない誰かがいじめられてるのを助けるために、金属バットを振り下ろせるような男の子でしょ?」
「…………」
「ね?」
「勘違いしてるみたいだけど」
と、俺は言っておく。
「俺は別に、押鼠の奴を助けようとしたわけじゃないぞ。というかむしろ『これ知らんぷりした方がいいよなあ』って思ってたくらいで――だからあれは、かっ、となってやっただけだ。俺なんか大した人間じゃない」
「そんな風に言うの、やめてよ。刈蛾くんは全然悪くないよ」
「ふざけんな。異世か――アニメや漫画やラノベのバトルじゃあるまいし、いきなり金属バットで机ぶっ叩いていいわけねえだろ。なんていうか、こう……常識的に考えて」
「そんな常識はあれだよ――」
と板鍵は、ぎゅっ、と唇を曲げて言う。
「――くそ食らえだよ」
「すげえこと言うなおい」
「そりゃ言うよ。いじめられてる人を助けたのが、そんなに悪いこと?」
「やり方ってあるだろ。もっとこう穏便な」
「『いじめなんてやめろ馬鹿』って?」
「そうそう」
「やめるわけないよ。それどころか、痛い奴扱いされて笑われるって。それで今度はその人がいじめられるの。意味わかんない」
「いや、そりゃそうかもしれないけれど」
何でこんな話してるんだろう、と思いつつ、俺は答える。
「それでも、金属バットなんかに頼らないでどうにかやっていくのが、まともな人間って奴なんじゃないか?」
「いじめを見過ごしたり、緒になって誰かをいじめることになっても?」
「少なくとも、俺よりマシだろ」
「私は見てたよ」
「え?」
「私は、押鼠くんがいじめられてるのを見てたよ。私だけじゃなくて、たぶん、クラスみんな見てた」
「そりゃまあ……」
そうだろうな、と俺は思う。
なんせあれだけ堂々と消しゴムの滓を投げつけていたのだから、嫌でも目に入る。
「私ね、怖かったの」
「怖い?」
「すごく怖かったの。押鼠くんがいじめられているのを見てて。ずっと」
「どうしてだ?」
「だってさ」
と、板鍵は言う。
笑っていて、でも、何だか泣きそうな顔で。
「私は、例えこの先、押鼠くんがもっともっと酷い方法でいじめられたって、絶対に何もしないんだろうって」
だからもし、と板鍵は続ける。
「もし、そのせいで押鼠くんが自殺しちゃったりしたら、私はきっと一生自分のことが許せなくなるんだろう、って」
「……」
「将来、なりたい仕事に就いて、素敵な男の人と出会って結婚して、可愛い子どもを産んで、すごくすごくすごくすごく幸せになっても――たぶん何かの拍子に、このことを思い出すんだろうな、って」
「……」
「そんなときに、刈蛾くんが押鼠くんを助けてくれたの。金属バットで。正義のヒーローみたいに」
「それはヒーローのやることじゃねえよ」
「例えそうだとしても、刈蛾くんは助けてくれたんだよ。押鼠くんを。そして――そのほんのついでに、私のことも」
だから、と板鍵は言う。
「『俺なんか』とか言わないでよ」
「……俺は、お前は良い奴だと思うよ。良い奴じゃないと、そんなことは思わない」
「それでも、私は」
と、板鍵はこう言った。
今度はちょっと、寂しそうに。
「きっと刈蛾くんにとっての『まともな人間』なんだろうね」
■■■
夕暮れの公園のベンチに並んで座って。
影になった赤い塔を、ぼう、と眺める。
一日の終わり――デートの終わりだ。
「楽しかったねえ」
と、板鍵は言った。
「本当か?」
と、割と不安な俺はついそう尋ねた。
何でっていうと、まあ、その、あれだ。
要するに――ぐっだぐだになったからだ。
赤い塔を出て、それから、じゃあどこかで昼食を食べようぜ、となったところで、俺と板鍵は、はた、と立ち止まることになった。
どの店に入ればいいのか、よくわからない。
まあ当然だ。以前のデートとは違って俺には土地勘とか全然なかった。板鍵にもなかった。
そりゃあ、下調べもしなければどうしていいかわからなくなるに決まっている。そして俺はそんな器用なことはしていなかった。板鍵もしていなかった。
とりあえず、二人で赤い塔に行くのだ、ということだけが頭にあってその後どうするか、ということがすっぽ抜けていたわけだ。
メガネの奴が相手だったら「まあ適当でいいや。適当で」で済んでいただろうが、板鍵を相手にそんなふざけたことをするわけにもいかなかった。
結果どうなったか。
思い出したくない。
超恥ずかしかった。
「デートって上手くいかないもんだねー」
と板鍵は言う。
「あれだったね。あそこには最後に行くべきだったね」
「そうだな」
「そして刈蛾くんは全然手慣れてなかったね。うん。ほんと勘違いだったよ」
「悪かったな……」
「本当だよもー」
と板鍵は言いながら、けれども、その割に楽しそうで、おかげで俺はぎりぎりで何とか立ち直る。
「まあ、でも、これで刈蛾くんの友達になる資格は得られたかな?」
「まだキスはしてないぞ」
「いやそれもう恋人だよ」
と板鍵は俺にツッコミを入れ、それから、うん、と何やら頷いてそれから、
「刈蛾くん」
と名前を呼んできたので、俺は板鍵の方に顔を向ける。
キスされた。
「…………」
「あ、思ったより反応薄いね――やっぱり、初めてじゃないんだ?」
「……いや、十分驚いてるよ」
「私は初めてだったんだけどなあ」
そういう板鍵の頬は、夕日のせいなのかそれとも実際にそうなのか、何だかちょっと赤い感じがして、俺はちょっと反応に困る。
「……というかだな、何も俺が言ったからって即座に実行しなくても」
「違うよ」
「え?」
「これは、恋人になりたいのキス」
「……友達になりたいってのは」
「嘘」
と、あっさり言ってくる。
「友達じゃ嫌だよ」
板鍵が、俺を見る。
「ね、刈蛾くん」
言う。
「私とさ、付き合ってくれないかな」
その言葉に。
俺は、一瞬、迷った。
ここで頷いて、板鍵と付き合って、たぶんきっと次のデートは上手くやって、もしかして、その、ちょっとアレなことなんかもするような関係になったりするのだ――正直、もう本当に戻れるのかどうかも分からなくなり始めている異世界転生のことも、美少女のことも忘れて。
たぶん。
それで普通に生きていけるよな、と思う。
何の問題もなく。
それから、ちょっと死ぬほど勉強して大学に通うなり、あるいは店長の紹介してくれた喫茶店で働くのもいいかもしれない。
上手く行くかどうかはちょっとわからない。
大学に行くと決めても、受験に失敗することも有り得るし、大学を卒業してもその後で就職に失敗するかもしれない。
喫茶店で働いたところで、途中で仕事が嫌になって投げ出すかもしれない。
板鍵と付き合っても、もしかしたら、割とあっさりと別れるかもしれない。
でも。
それが普通の生き方だよな、と俺は思う。
まともな人間だ。
少なくとも、異世界転生を繰り返してあの美少女と戦い続けているより、ずっと。
だから、ほんの一瞬、迷った。
一瞬だけしか、迷わなかった。
「ごめん」
と、俺は答えた。
「そっか」
そっかそっかあ、と板鍵は何度も何度も頷いて、それから聞いてくる。
「他に、好きな娘がいるの?」
「ヒロインならいるけど」
「ひろいん?」
「でも、そういうことじゃないな」
「何それ」
「やらなきゃいけないことがあるんだ」
「そんな理由?」
「うん」
「男の子な理由だなあ」
まったくもう、と板鍵は赤い空を振り仰ぐ。
「あーあー。振られちゃった」
「……うん」
「本当はさ、知ってたよ」
ひょい、とベンチから立ち上がって。
くるり、と板鍵がこちらに振り向く。
「刈蛾くんが、私のことなんて全然見てないってことくらい。ちゃんと知ってたよ」
「……」
「私がどれだけ憧れてても、刈蛾くんは私のことなんて見てくれないし――私は、そんな刈蛾くんのことが好きだってこともさ」
「……そうか」
「面倒くさいよね」
「いや――少しだけ、わかるよ」
「そう?」
「そう」
「そうかあ」
あはは、と板鍵が笑う。楽しそうに、本当に、楽しんでいるかのように笑う。
それから、言った。
「私、帰るね」
「うん」
「さよなら」
「……さよなら」
くるり、と板鍵が俺に対して背中を向けた。
そのまま、やけに軽い足取りで去っていく。
ああ、と俺は思う。
これはたぶん、本当のさよならなんだな、と。
またね、とは決して言わないお別れ。
もう二度と会わない、そんなお別れ。
ひょい、と。
俺もベンチから立ち上がって、
去っていく板鍵の後ろ姿に背を向け、
夕日の中に浮かぶ赤い塔の影を見つつ、
後ろを振り向かずそのまま歩き出そうと、
「刈蛾くんの馬鹿やろーっ!」
こけた。
思わず後ろを振り向いてしまう。
板鍵がこちらに振り向いていた。
何やら、両手でメガホンを作っていて。
そして思いっきりの大声で叫んでくる。
「知らないんだからねっ! 私がっ! 将来、もっとずっと綺麗な女の人になったときになってっ! そのときに、死ぬほど後悔したって知らないんだからねーっ!」
わーぎゃー、とそのまま叫び続けて。
こほっ、けほっ、と板鍵は咳き込む。
そして呆気に取られている俺の前で。
ばっ、と顔を上げて。
ぶん、と片手を大きく振って。
にい、といつものあの笑顔を浮かべて。
そして。
きらきら、と。
その頬から零れ落ちた雫が赤く光って。
そして板鍵は、俺に言った。
「――刈蛾くんなんて、大っ嫌い!」
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