_周目⑥.妹には萌えない。

 バイト中。


「なあ。押鼠」


 と話しかけると、


「え、お前から話しかけてくるの珍しいな」


 と、押鼠はちょっと驚いたように言う。


「どうした? 悩みとかなら聞くぞ?」


「あのさ」


「お、おう」


「デートに行くことになって」


「……板鍵と?」


「うん」


「あー」


 と言って、押鼠は上を見て、下を見て、それから遠くを見つめて言う。


「そうかー、デートかー。あー」


「反応薄いな」


「いや、だってお前そりゃ、いつもお前と板鍵がいちゃついてるの見てりゃそうもなるわな――むしろ『やっとか』てな感じだわ」


「そういうのじゃなくてだな」


「ふざけんな」


 何やら容赦ない言葉が飛んできた。


「俺たちは友達になるためにデートをだな」


「ふざけんな」


 二度も飛んできた。


「お前な、刈蛾……お前にとってはどうか知らんが、デートってのはそういうんじゃないんだよ」


「そうなのか?」


「いや、俺デートしたことないから知らねえけれどよ……でも、もっとこう、夢と希望と桃色的なアレが詰まっただな」


「それは」


 と、俺は言う。


「デートに夢を見すぎてるんじゃないか?」


「ふざけんな」


 三度目だった。


   ■■■


 デートなのだから、ちゃんとしたところで髪を切ろうと思った。さすがに、いつも通りに紙幣一枚で切ってくれる近所の床屋にお願いするのがよろしくないってのはわかる。


 そんなわけで、妹に聞いてみた。


「なんかこう、良い感じに髪切ってもらえるところ知らないか?」


「え?」


 学校帰りでセーラー服な妹は、きっつい感じの目を、かっ、と見開いてこちらを見てきて、俺はちょっと怯む。

 視線一つでこちらを怯ませた妹は、何やらこちらも面食らったような顔で言う。


「お兄ちゃん、何か変なものでも食べた?」


「どういう意味だ」


「そういう意味だよ」


 と、妹は容赦なく俺に告げる。


「だって前に、カッターナイフ使って自分で適当に髪切ろうとしてたじゃん。あのときは一体何事かと思ったよ……」


「まあな」


 確かに、あのときは妹が俺にタックルをかましてきて「お兄ちゃんやめてっ! 早まるなあっ!」的なことを言ってきて一時騒然となった。


「でも、しょうがないだろう。手頃なナイフが無かったから、カッターナイフを使うしかなかったんだ」


「いやそうじゃなくて、そもそも何で自分で髪を、しかもハサミじゃなくてナイフで切ろうとするのかがわかんないんだけど……」


「まあ、そんなことよりもだな。とにかく、良い感じに髪を切ってくれるところを教えてくれ。別に、お前がいつも行ってるところでもいいから」


「やだよ恥ずかしい」


 と妹は言って、その代わりに、スマホを取り出して言う。


「ってか、そこはもうネットで調べようよ」


「検索してはみたが、多すぎてどこに行ったらいいのかよくわからないんだ。とりあえず、有名で高くて行列ができているところに行けばいいのか?」


「うん。たぶんそれ一番駄目な『とりあえず』の典型だと思う」


 などと言いながら、妹は「美容院」「メンズ」「シンプル」「コスパ」「おしゃれ初心者」「脱オタ」「いつも野暮ったい兄がいきなり格好良い感じに髪を切りたいとか言い出した件」などとキーワードを入れ替えながら検索を続け、出てきたサイトを閲覧し、戻って、また閲覧し、キーワードを変えて検索を繰り返していく。


「――ってかさ。そもそも、何でいきなり髪切ろうと思ったの? 好きな女の子でもできた?」


「ん? ああ、デート行くから」


「ふーん。成る程デートねデート」


 妹はふんふんと頷いて「デート」とキーワードを入力して検索をしようとしたところで、がばあっ、とこちらを振り返って、


「――デートぉっ!?」


 と叫んできた。

 押鼠と違ってなかなかに良い反応だった。


「お兄ちゃんがデート!? 嘘だっ! そんなことあるわけない! いくら払った!?」


「お兄ちゃん泣いていいか?」


「ま、待ってちょっと待って落ち着くから――えっと、それじゃあまず、タキシードと、それから口に咥える赤い薔薇を用意しなきゃ!」


「落ち着け。何か駄目らしいぞ、それ」


「赤い薔薇も!?」


「特に赤い薔薇が」


「嘘ぉっ!? まじで!?」


 ああさすがに俺の妹だな、と俺は思いつつ、わあわあと詰め寄ってくる妹の肩を掴んでとりあえず落ち着けと無理矢理に座らせる――一分ほどして妹は落ち着いた。


「……ていうか、意外と落ち着いてるね」


「そりゃ初めてじゃないからな」


「……ねえ、お兄ちゃん。ゲームの中で女の子とデートしても、デートしたことにはならないんだよ?」


「お兄ちゃん泣いていいか?」


「まったく、ずっと引きこもってたのがやっと出てきたと思ったら、今度はバイトしたりデートに行ったりなんだもん。お兄ちゃんめ、一丁前にリア充になりやがって」


「リア充なわけないだろ。リア充ってのは、もっと、こう……夢と希望と桃色的なものでいっぱいになっている奴のことをだな」


「お兄ちゃんはリア充に夢見すぎ」


 あー、はー、ほー、と妹はよくわからない声を上げ、それから、ぽつ、と言った。


「あーあー、なんか寂しいな」


「何だ? 嫉妬か?」


「いや、お兄ちゃん相手に嫉妬なんてしないって。だって妹だしさ。お兄ちゃんだってそうでしょ?」


「まあな」


「でも、ま、お兄ちゃんみたいな人を好きになるってことはあるのかもね」


「へえ。お前そうなのか」


「いや全然。お兄ちゃん、全然私のタイプじゃないもん。ぶっちゃけ――無い」


「お兄ちゃん泣いていいか?」


「だからさ」


 と妹は言う。


「もし、私とお兄ちゃんが兄妹じゃなかったら、きっと、こうやって話したりとか、まずなかっただろうね」


「まあ、そりゃあな」


「妙なもんだよねー。例えどれだけ大嫌いだろうと、兄妹ってだけで、こうして一つ屋根の下にいるんだもん。ホント変な感じだよ」


「俺はお前のことそこまで嫌いじゃねえぞ」


「私はそんな好きでもないけれどね」


「え」


「引きこもりだったし」


「……ごめん」


「ま、大丈夫だよ。嫌いってわけでもないからさ」


「そうなのか」


「そ。ちゃんと出てきてくれたんだから許したげる。おかげで、私のセーラー服姿だって見せてやることができたしねー」


「そんなに見せたかったのか?」


「そりゃもう、めっちゃ見せたかったね。『どうだ! お兄ちゃんが大好きなセーラー服だぜ!』って、そりゃもうドヤ顔で」


 だからさ、と妹は言う。

 きっつい感じの目元が、ちょっとだけ細くなってほんの少しだけ柔らかくなって、ああ笑ってるんだな、と思える形を作って。


「ありがと。お兄ちゃん」


 そう言って微笑む妹の姿に重なって。

 鍵の掛けられたままの閉じられた扉。

 その向こうから聞こえる妹の泣き声。


 ――お兄ちゃんの、嘘つき。

 ――この、引きこもり野郎。

 ――そのまま、そこで死ね。

 ――大嫌い。


 ずきん、と。

 痛みが走って。

 俺は目を閉じて。

 でも、ほんの一瞬。


 俺は言う。


「しばらく見ない間に、お前も随分と可愛らしくなったもんだな」


「お。私に惚れちゃった?」


「いや。妹には萌えない」


「きもおたー」


「うるせえ」


 妹は言って、俺も言い返して、そうして二人して笑って。

 だから、痛みはもう、消えていて。

 けれど――無くなったわけじゃないということは、ちゃんとわかっていた。

 

   ■■■


「やっほー。刈蛾くん」


 デートの三日前に、板鍵から連絡が来た。


「デートだけどさ」


「うん」


「どこ行く? 何か考えてた?」


「いや全然」


「いや、そこはちょっとくらい決めといたり、少なくとも考えたりしてもらいたかったかなあ……」


「……悪い」


「ま、いっか。じゃあさ。私の行きたい場所でもいいかな?」


 と言って、板鍵が伝えてきた場所を聞いて、ああ、と俺は思う。そういや、そっちには行かなかったな、と思う。

 白い塔があるこの異世界では、この都市で二番目に高い塔。


 この異世界の――赤い塔。

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